今年読んだ「すまい・まちづくり本」ベスト5

 今年はとにかく本を読まなかった。わずか10冊。しかも退職した6月以降はわずか4冊。大学講義準備の関係で、過去の本を読み返したりもし、新たな本を読む時間がなかった。それでも今年は「平成都市計画史」を始め、いい本に巡り合えた。読みかけで放棄したり、積読のままになっている本も数冊ある。後期の講義準備も終ったし、新学期が始まる前にこれらの本を読み終えたいと思う。

【第1位】平成都市計画史 (饗庭伸 花伝社)
 何と言っても今年の第1位はコレ! 平成30年を振り返る本や企画は多くあるが、建築・都市計画分野以外を見ても、これが最もうまくまとまっているし、都市計画にとっても平成年代にいかに重要な節目があったかがよくわかる。法、制度、市民。都市、住宅、市場。筆者の目配りは正しく、漏れがなく、わかりやすい。まさに都市計画史に残る名著だと言える。

【第2位】日本近現代建築の歴史 (日埜直彦 講談社
 筆者は、一般読者を対象に書いたと言うが、専門家にとってもわかりやすくよく整理されている。明治維新以降の近現代建築を通史的に書いていくが、しっかりポストモダン以降まで綴られている。そしてこの150年を「上からと下からの民主化の相克」として描く。その視点がわかりやすい。日本の「建築の共有されたスタンダード」はまだ達成されていないと筆者は言う。

【第3位】地方の論理 (小磯修二 岩波新書
 国で地方開発を担当してきた筆者による、地方自立への応援の書。都市・建築関係の専門家が見逃してきた多くの事例が掲載されており、興味が尽きない。中でも「コモン」への視線は、昨今の斎藤幸平の主張に通じるようで興味深い。地方があっての日本であり、地方こそが日本発展の源泉なのだ。

【第4位】地域衰退 (宮崎雅人 岩波新書
 「雇用があれば人は定住する」。この当たり前な真実から、真の意味での地方活性化への方策を論じていく。そのキーワードは「範囲の経済」。小規模であることを前提に政策を組み立てる。きらびやかな成功例に目を奪われがちだが、真に必要なことは継続すること。そして地域の資源が生かされていること。無理はしない。それが一番大切だ。

【第5位】新築がお好きですか? (砂原庸介 ミネルヴァ書房
 「Chikirinの日記」で紹介されていて読んだが、政治学者が綴る住宅論は、住宅の現状と制度をつないで、興味深く展開していく。景気対策としての住宅制度はもういい加減、賞味期限切れだろう。政治も住宅制度も新しい展開を必要としている。

【番外】未来の住まい (祐成保志他 住総研)
 住総研が主催したシンポジウムの記録。野城智也、大月敏雄、園田真理子、後藤治、岩前篤、岡部明子、平山洋介の各面々が参加し、それぞれ専門の事項を話していく。それぞれが面白く、でもできればさらに深い考察を読んでみたい。「番外」にした所以である。

見えない震災☆

 9月から始まった大学の後期授業では、講義の最初に、講義内容に応じたワードを示し、最後にそのワードの説明をすることにしている。取り上げるワードは本のタイトルのこともあるし、誰かの言葉だったりする。今週の講義は「災害と住まい」をテーマに予定しており、講義の冒頭で本書のタイトルを提示する予定でいる。2006年の発行だが、未だに「見えない震災」というタイトルが記憶に残っている。
 手元にあると思っていたが、探してもないので、たぶん図書館で借りたのだろう。それで今回、古本を購入し、改めて読んでみた。やはり面白い。姉歯事件の後、地震が発生したわけでもないのに、次々と建物が壊されていくことに、「見えない震災」と批判的に書いた五十嵐太郎だが、彼が編者として呼びかけた筆者たちは五十嵐氏の思惑を超えて多様な論文を寄せている。中でも、平山洋介の都市論が興味深い。
 というようなことが、先に読んだ後に書いたホームページにも書かれていた。なので、以下に引用しておく。現時点で、特に付け加えることもない。本書で指摘された内容が15年以上経っても全く色褪せないのは、日本の建築状況が進歩していないということだろうか。今の学生にも自信を持って本書を紹介する所存である。

(以下、今は閉鎖したホームページに2007年1月13日に記したものです。)

 耐震強度偽装事件を「法的に定められている建築の耐震強度が偽装されていた。設計者の倫理性の欠如が厳しく問われるべきであり、今後はその確認とチェック機能をさまざまな形で厳格化していく必要がある」(P111)と割り切って処理していくことに大きな違和感を覚えた著者たちが、日頃の活動や思考に基づくそれぞれの視点から、その後の行政や社会の動きに対して異議を唱え、今後の建築や都市づくりの方向を論じている。
 タイトルの「見えない震災」は、編者の五十嵐が「現代思想」に寄稿した論文である。これに目を留めた編集者が本書の企画を提案し、編者が建築構造や建築設計者、都市計画家など多方面の専門家に声をかけて編纂されたと「あとがき」に書かれている。その結果、必ずしも編者の視点に留まらず、多様な論文が集められ、非常に多様で興味深い論文集となっている。
 最初の五十嵐の論文「見えない震災」は、まだ起きない震災に対して、スクラップ・アンド・ビルドを強要し誘導する社会の風潮や施策に対して、これでは「見えない震災」が発生しているようだ、と異議を唱える。これを哲学的に補完しているのが「不可知の次元」と題する南泰裕の論文である。不可知な地震に対して、可知的に対応することの不完全さと無意味さを嗤い、本当の対応のあり方を考えさせる。また、倉方俊輔の「『耐震構造』の歴史」は、日本の(ということは世界の)耐震設計技術自体がまだまだ発展途上であることを窺わせて興味深い。「耐震構造の父」と呼ばれる佐野利器が1900年に東京帝国大学に入学したときには、構造の講義は一切なかったという。
 また、「リファイン建築」の青木茂、耐震改修デザインに取り組む「みかんぐみ」の竹内昌義や佐藤考一による多くの改修事例も興味深い。いたずらにスクラップ・アンド・ビルドするのではなく、丁寧に改修し再生していくことの重要性を語る。都市計画的な視点からは、神戸震災後の再生事例から松原永季、大阪の路地を活かした長屋の再生事例から松富謙一が論文を寄稿している。
 最後に、平山洋介が「飛び地のランドスケープ」と題して、プロジェクト主義により経済的に成り立つ地区だけを偏在的に開発する昨今の開発が、不安の喧伝や情報化の進展などにより、社会に閉じられた「飛び地」ばかりを生み出し、都市をますます薄っぺらで不安な状況に陥らせていくことを指摘し、スクラップ・アンド・ビルドを糾弾する。
 アネハ問題が今の社会に提示したもの、そして今進められつつある対応策や社会の反応に大いに違和感をもっているが、その一端を示してもらった気がする。もちろんこれだけに留まらない。我々はもっと今回の問題を真剣に、そして真摯に考えていく必要があるのではないか。

○スクラップ・アンド・ビルドの促進こそは、戦後日本における静かな震災ではなかったか。すなわち、高度経済成長期からバブル期まで続く、激しい建設のサイクルは、戦後最大の都市破壊でもあった。…震災は、劇的な変化をもたらしたようにみえるが、実際は日本中どこにでも進行している変化の速度を速めたに過ぎない。言い方を変えれば、日本ではいつも静かな震災が起きている。しかし、耐震偽装の問題は、完成したばかりのマンションでさえスクラップにするという意味で、さらに破壊のスピードを上昇させているのではないか。(P10)
耐震強度偽装事件により構造に関する関心が高まったが、そのなかでも重要なことが抜け落ちている。法の規定が満たされているかどうかに関心が集まり、法で規定されている性能とは何か、それが許容できるものかなどの議論まで行き着いていない状況である。(P50)
○建築の構造はふたつの「不完全さ」を抱え続けている。ひとつは地震の挙動が完全には分からず、また経済性を考慮するなかで、「安全」のボーダーをどこに引くかという問題。もうひとつは、そのボーダーが時間とともに移動することに伴う、現在の基準との不適合の問題である。(P154)
○法律は安全を保障するものではないのだ。(P196)
○東京が直面しているのはフロンティアの揺らぎである。…21世紀の東京は旧来のフロンティアをもっていない。…「飛び地」のランドスケープは開発の力が都市の内側に向かう様相を表現する。…「プロジェクト主義」の政策は空間の連続性を織り上げるのではなく、プロジェクトを都市全体の文脈から切り取り、それ自体において自立させた。旧来のフロンティアを失った東京は「飛び地」の建造によって内側の再編に取り組んでいる。(P233)
○都市に生成する空間が深みをもっているのは、複数の欲求と声が複雑に絡み合っているからである。…しかし「飛び地」のデザインは葛藤との付き合いを省略し、空間を閉じる方向に「割り切って」いる。…「飛び地」に接続すると同時に「飛び地」から出て都市と付き合…うような…バランスの形成が求められる。…将来の予測可能性が低下し、社会・経済の不確実さが増しているからこそ、都市の複雑さと交際し、その深みをいっそう大切に扱うべきではないか。(P248)

アフターコロナの都市の住まい☆

 筆者の米山秀隆は、長く空き家・空き地問題について研究を続けている。2018年に読んだ「捨てられる土地と家」「縮小まちづくり」は興味深かった。アフターコロナ禍で米山氏がどんな考察をしているか、興味があった。
 本書のタイトルと同じ題名がついた序章「アフターコロナの都市の住まい」では、コロナ禍でのテレワークや郊外移転の状況などを新聞記事や多くの取材などで明らかにする。だがその結論は「アフターコロナで都市や住まいの状況が大きく変化するとは思えない」というものである。テレワークによる弊害も合わせて紹介し、「根本的には新たな出社形態のデザインが求められている」とみるのは実に穏当な評価であろう。

○テレワークの普及に基づき、人々の働く場所や住む場所の制約がなくなり、それに伴い郊外や地方への人口移動が本格化するなどといった見通しは、筆者は抱いていない。テレワークを単純に継続することではなく、根本的には新たな出社形態のデザインが求められているのであり、オフィスへ通う形自体はなくならない。そうした観点からは、住む場所の制約は完全にはなくなることはない。これが現実であろう。(P204)

 「アフターコロナの課題①②」とタイトルの付いた第1章と第2章では、コンパクトシティや定住促進の取組について紹介する。夕張市富山市岐阜市宇都宮市毛呂山町のそれぞれの取組はこれまでも他の本で読んできたものだが、筆者独自の視点もあって興味深い。また、定住促進施策に関しても、空き家バンクの状況について総括した後、竹田市江津市浜田市神山町海士町の取組を紹介。いずれも定住対策として有名な取組だ。
 第3章から第5章は、「ビフォーコロナの課題①②③」というタイトルが付く。第3章では「空き家問題と相続対策としての賃貸住宅供給」について、第4章は「マンションの終末期問題」、そして第5章は「タワーマンション問題」を取り上げる。空き家問題の中では、下に引用した2018年住調に対する評価と「廃屋」への視点は興味深い。また、戸建て空き家だけでなく、マンション、さらにタワーマンションと考察を進めるなかで、前著でも提案をしていた「解体費の徴収」や「所有権放棄の一般ルール化」について提案を深める。私自身、前著を読んだ時以上にその必要性を強く感じるようになった。すぐに制度化されることはないかもしれないが、近い将来、真剣に導入が検討されるようになるのではないか。
 終章「所有から利用へ」では、現在は本当の意味で「土地神話の崩壊過程にある」(P236)のではないか。そして「必ずしも所有にはこだわらないという考え方が、じわじわと広がっていく可能性がある」(P236)と指摘する。そうかもしれない。若者にとってクルマが今や必需品ではなくなりつつあるように、住宅もまた近いうちに所有対象ではなくなるかもしれない。コロナ禍はすぐに都市や住まいを変えることはないかもしれないが、人口減という日本の状況と相まって、最初はじわじわと、そして後にはかなりドラスティックに、人々の暮らしや気持ちを変えていくのではないか。今まさに、日本の都市や住まいが大きく変化する、そのとば口に立っている。そんな気がしてきた。

○「住宅・土地統計調査」によれば、2018年の…空き家のうち、「賃貸用」「売却用」「二次的住宅(別荘等)」の増加が頭打ちになった…。しかし…「その他」の空き家は増加を続けて…いる。…空き家率を持家系、借家系に分けて算出してみると…持家系は上昇を続けている。/また…戸建て住宅(木造)の空き家率は上昇を続けている。…これらは放置された一軒家の増加というイメージと合致する(P134)
○現存している住宅には、買い手も借り手も募集していないその他の空き家というステータスの次の段階として、もはや住むことのできない廃屋というステータスがあり、住調では廃屋は調査対象外のため、もし廃屋が急増しているとすれば、この統計で空き家問題を語るということが、限界に達しつつあるという可能性に今後は注意を払っていく必要があると思われる。(P142)
○マンションの場合…問題は相続放棄であり…残された区分所有者が負担を押し付けられる結果になっている。…相続放棄物件のその後の処理コストが嵩むことを考慮すれば、最初から放棄できる一般ルールを定めておいた方が望ましいとの考え方に立つことも可能である。…放棄時に費用負担を求め…物件と放棄料は管理組合に移せるようにし、管理や処分を行っていくことが考えられる。(P166)
○マンションの場合も…建物解体費用が土地売却費用を上回る場合…区分所有者は費用支払いを免れることはできない…。この問題に対処する1つの方法は、区分所有者があらかじめ将来必要になる解体費用を積み立てておく仕組みをつくることである。…登記後50年を経過したら、建物の状態にかかわらず決議によって解消できるようになるとすれば、いずれは取り壊すときが来るという前提で解体費用を準備しておく方が合理的と考えられる。(P170)
○近年の空き家問題や所有者不明土地の問題の深刻化は、住宅・土地を持つことの意味を、人々に改めて問うている。…取得したとしても最終的に処分できないような住宅・土地は、自分や子孫にとって重荷になるだけだということである。こうした認識が共有されつつある現在は、本当の意味での土地神話の崩壊過程にあると考えられるのではないか。…今後は、必要な期間に、必要な広さや条件の住宅に住めれば十分で、必ずしも所有にはこだわらないという考え方が、じわじわと広がっていく可能性がある。(P236)