見えない震災☆

 9月から始まった大学の後期授業では、講義の最初に、講義内容に応じたワードを示し、最後にそのワードの説明をすることにしている。取り上げるワードは本のタイトルのこともあるし、誰かの言葉だったりする。今週の講義は「災害と住まい」をテーマに予定しており、講義の冒頭で本書のタイトルを提示する予定でいる。2006年の発行だが、未だに「見えない震災」というタイトルが記憶に残っている。
 手元にあると思っていたが、探してもないので、たぶん図書館で借りたのだろう。それで今回、古本を購入し、改めて読んでみた。やはり面白い。姉歯事件の後、地震が発生したわけでもないのに、次々と建物が壊されていくことに、「見えない震災」と批判的に書いた五十嵐太郎だが、彼が編者として呼びかけた筆者たちは五十嵐氏の思惑を超えて多様な論文を寄せている。中でも、平山洋介の都市論が興味深い。
 というようなことが、先に読んだ後に書いたホームページにも書かれていた。なので、以下に引用しておく。現時点で、特に付け加えることもない。本書で指摘された内容が15年以上経っても全く色褪せないのは、日本の建築状況が進歩していないということだろうか。今の学生にも自信を持って本書を紹介する所存である。

(以下、今は閉鎖したホームページに2007年1月13日に記したものです。)

 耐震強度偽装事件を「法的に定められている建築の耐震強度が偽装されていた。設計者の倫理性の欠如が厳しく問われるべきであり、今後はその確認とチェック機能をさまざまな形で厳格化していく必要がある」(P111)と割り切って処理していくことに大きな違和感を覚えた著者たちが、日頃の活動や思考に基づくそれぞれの視点から、その後の行政や社会の動きに対して異議を唱え、今後の建築や都市づくりの方向を論じている。
 タイトルの「見えない震災」は、編者の五十嵐が「現代思想」に寄稿した論文である。これに目を留めた編集者が本書の企画を提案し、編者が建築構造や建築設計者、都市計画家など多方面の専門家に声をかけて編纂されたと「あとがき」に書かれている。その結果、必ずしも編者の視点に留まらず、多様な論文が集められ、非常に多様で興味深い論文集となっている。
 最初の五十嵐の論文「見えない震災」は、まだ起きない震災に対して、スクラップ・アンド・ビルドを強要し誘導する社会の風潮や施策に対して、これでは「見えない震災」が発生しているようだ、と異議を唱える。これを哲学的に補完しているのが「不可知の次元」と題する南泰裕の論文である。不可知な地震に対して、可知的に対応することの不完全さと無意味さを嗤い、本当の対応のあり方を考えさせる。また、倉方俊輔の「『耐震構造』の歴史」は、日本の(ということは世界の)耐震設計技術自体がまだまだ発展途上であることを窺わせて興味深い。「耐震構造の父」と呼ばれる佐野利器が1900年に東京帝国大学に入学したときには、構造の講義は一切なかったという。
 また、「リファイン建築」の青木茂、耐震改修デザインに取り組む「みかんぐみ」の竹内昌義や佐藤考一による多くの改修事例も興味深い。いたずらにスクラップ・アンド・ビルドするのではなく、丁寧に改修し再生していくことの重要性を語る。都市計画的な視点からは、神戸震災後の再生事例から松原永季、大阪の路地を活かした長屋の再生事例から松富謙一が論文を寄稿している。
 最後に、平山洋介が「飛び地のランドスケープ」と題して、プロジェクト主義により経済的に成り立つ地区だけを偏在的に開発する昨今の開発が、不安の喧伝や情報化の進展などにより、社会に閉じられた「飛び地」ばかりを生み出し、都市をますます薄っぺらで不安な状況に陥らせていくことを指摘し、スクラップ・アンド・ビルドを糾弾する。
 アネハ問題が今の社会に提示したもの、そして今進められつつある対応策や社会の反応に大いに違和感をもっているが、その一端を示してもらった気がする。もちろんこれだけに留まらない。我々はもっと今回の問題を真剣に、そして真摯に考えていく必要があるのではないか。

○スクラップ・アンド・ビルドの促進こそは、戦後日本における静かな震災ではなかったか。すなわち、高度経済成長期からバブル期まで続く、激しい建設のサイクルは、戦後最大の都市破壊でもあった。…震災は、劇的な変化をもたらしたようにみえるが、実際は日本中どこにでも進行している変化の速度を速めたに過ぎない。言い方を変えれば、日本ではいつも静かな震災が起きている。しかし、耐震偽装の問題は、完成したばかりのマンションでさえスクラップにするという意味で、さらに破壊のスピードを上昇させているのではないか。(P10)
耐震強度偽装事件により構造に関する関心が高まったが、そのなかでも重要なことが抜け落ちている。法の規定が満たされているかどうかに関心が集まり、法で規定されている性能とは何か、それが許容できるものかなどの議論まで行き着いていない状況である。(P50)
○建築の構造はふたつの「不完全さ」を抱え続けている。ひとつは地震の挙動が完全には分からず、また経済性を考慮するなかで、「安全」のボーダーをどこに引くかという問題。もうひとつは、そのボーダーが時間とともに移動することに伴う、現在の基準との不適合の問題である。(P154)
○法律は安全を保障するものではないのだ。(P196)
○東京が直面しているのはフロンティアの揺らぎである。…21世紀の東京は旧来のフロンティアをもっていない。…「飛び地」のランドスケープは開発の力が都市の内側に向かう様相を表現する。…「プロジェクト主義」の政策は空間の連続性を織り上げるのではなく、プロジェクトを都市全体の文脈から切り取り、それ自体において自立させた。旧来のフロンティアを失った東京は「飛び地」の建造によって内側の再編に取り組んでいる。(P233)
○都市に生成する空間が深みをもっているのは、複数の欲求と声が複雑に絡み合っているからである。…しかし「飛び地」のデザインは葛藤との付き合いを省略し、空間を閉じる方向に「割り切って」いる。…「飛び地」に接続すると同時に「飛び地」から出て都市と付き合…うような…バランスの形成が求められる。…将来の予測可能性が低下し、社会・経済の不確実さが増しているからこそ、都市の複雑さと交際し、その深みをいっそう大切に扱うべきではないか。(P248)