南海トラフ地震の真実☆

静岡県から九州沖にかけてマグニチュード(M)8~9級の巨大地震が30年以内に「70~80%」の確率で発生するとされている南海トラフ地震。この数字を出すにあたり、政府や地震学者が別の地域では使われていない特別な計算式を使い、全国の地震と同じ基準で算出すると20%程度だった確率を「水増し」したことを、ほとんど人は知らないだろう。…この確率の根拠となっているのは、元をたどれば江戸時代に測量された高知県室戸市室津港1カ所の水深のデータだ。しかもこの数値は、港のどこを、いつ、どうやって測ったかが不明なデータで、さらにその港は測量前後に何度も掘削工事を重ね、確率計算の前提となる自然の地殻変動をきちんと反映していない。このことを知ったらこの数字を信用できるだろうか。(P2)

 本書の冒頭「はじめに」は上記のような文章で始まる。中日新聞に初めてこの記事が掲載された時の衝撃は今も覚えている。30年以内の発生確率なので、すぐには起きないかもしれない。だがいつ起きてもおかしくない。だがこれを確率として数字で示されると、やはり準備をしなくてはという思いがする。だが、かたや「70~80%」という数字が示され、一方では「20%」とか「0.6%」などの発生確率を見ると、ほとんど発生しないだろうという気にもなる。だが、阪神淡路大震災以降、大規模地震は悉くこうした低確率の地域で起きている。「70~80%」とは何だろうか。それが実は、防災予算を確保するためのまやかしの数字だった、としたら。
 本書の前半では、筆者が取り寄せた地震調査研究推進本部の海溝型分科会や地震調査委員会、政策委員会などでの議事録をベースに、地震学者が発生確率の見直しを訴える中で、政策委員会の委員らの主張が強く、結局、南海トラフ地震にだけ、これまでどおりの不確実な計算方法が採用され、かつ両論併記や参考値としての記述すら曖昧にされていく状況が明らかにされていく。そこにはかつて親しくしていた大学の先生の名前もあり、さもありなんという気もするが、少なくとも、「70~80%」と予測した推計モデルに対する異論や不確実性は明らかにすべきだろう。また、情報公開制度を利用して議事録を取り寄せる過程では、国が情報公開制度を誠実に運用されていない状況も明らかになる。
 本書の後半では、その時間予測モデルが根拠とする高知県室津港のデータの不確実性を明らかにしていく。前半、後半ともに、次第に真実が明らかになっていく筆の進め方は、ミステリー小説でも読んでいるかのようだ。結局、現在公表されている「70~80%」という確率がいかに不確実、不誠実なものかということがその根底から明らかにされる。
 「おわりに」に、防災のために「本当に必要な情報とは何か」という記述がある。われわれは確率を知らされないと防災対策などしないのだろうか。いや、確率のためにかえって防災対策が疎かになっていないだろうか。確率に防災予算が左右される状況こそがおかしいと思わなければいけない。たぶん、今世紀に入って以降だろうか、数値目標を置き、目標達成に向けて取り組むというやり方が蔓延している。確率を提示することもそうしたやり方の一つだろう。だが、それが本当によい結果を生んできたのか。「本当に必要な情報とは何か」。これは本当に重い言葉だ。情報に過剰に囚われない判断こそが重要な時代になってきているのかもしれない。

○01年評価から使われていた時間予測モデルだが、13年評価の検討時には、時間予測モデルを採用することの妥当性に地震学者から疑問の声が次々と上がった。…すると、普段は長期評価に関わらない政策委員会に意見が諮られて『確率を下げることはけしからん』と言われたんです」…同会の委員らは、南海トラフ地震はこれまで「発生が切迫している」ことを根拠に防災対策を進めていたので、確率を下げるとその根拠が失われてしまうと指摘したという。(P24)
○時間予測モデルは、隆起した分と同じだけ沈降したときに地震が発生すると説明したモデルだ。室津港は年13ミリのペースで沈んでいるという計算に基づき、前回の地震での隆起量1.15メートル分が沈むには約90年かかり、2034年ごろに次の地震が起こるとされている。だが、国土地理院のデータでは実際の沈降速度は…年5~7ミリのペースで沈降していたのだ。…5~7ミリで計算すると、発生時期は21世紀末以降になる。(P66)
○島崎論文で1.8メートルとされていた宝永地震による隆起量は、検証を進めた結果、不確定な要素が多過ぎることが明らかになった。このため、橋本氏は他の史料に記されている水深の記録などを踏まえつつ、宝永地震の隆起量を1.4~2.4と試算した。/この試算値を時間予測モデルに当てはめると…隆起量が最大2.4メートルである場合…確率は2022年時点で90%となる。一方、1.4メートルの場合は…38%だ。(P166)
○首都直下地震は30年以内に70%の確率で発生するといわれているけど…実は専門家に聞くと、「南海トラフよりも『えこひいき』した確率の出し方をしている」と言う人も多い。…取材ではさまざまな立場の人から「確率を出さないと地震学の存在意義がない」「低い確率を出すと防災予算が下りない」などとの声を聞いた。確率は地震学や防災、政治の思惑が複雑に絡み合い、本質的な意味が見えにくい情報になっている。本当に必要な情報とは何か、立ち止まって考え直すべきだろう。(P234)