地方の論理☆

 筆者は北海道開発庁国土庁で国の地方開発を担当し、その後、釧路公立大学で退官を迎えた。現在は北海道観光振興機構の会長を務め、道内の多くの審議会委員等も歴任している。略歴に「地域政策プランナー」と書かれているが、もともと法学部卒であり、上から目線の内容ではないかと警戒して読み進めた。しかし、読み進めるほどに、面白くなっていく。建築・都市界隈の専門家からは知ることのない事例や経験も数多く載っている。それらも当初は単なる経歴自慢ではないかと警戒したが(どこまで本人の関りがあったのかは知る由もないが)、非常に面白い。こうした人材が北海道にはいたのだ。ただし、もう既に70歳を超えている。筆者の経験をいかに生かしていくかは、地方の中堅・若者たちに託されている。
 「『平時の論理』と『非常時の論理』のバランスが大事」というのは当たり前の指摘ではあるが、北海道胆振東部地震での電力ブラックアウトを示されれば、現実のこととして理解できる。フランスとイタリアの分権の先例と、パットナムのソーシャルキャピタルを挙げて、分散からさらに分権型の国づくりを提案している。
 第2章以降は、「辺境」「共生」「連帯」をテーマに、筆者が関わった具体的な事例を紹介する。第2章で紹介するカザフスタンキルギスの事例は興味深い。第3章では冒頭にノーベル賞経済学賞受賞者であるエリノア・オストロム女史のコモンズ論を紹介するが、「人新世の『資本論』」(https://tonma.hatenablog.com/entry/2020/11/18/085448)など昨今の「コモン」に注目が集まっている状況を先取りしており、興味を引いた。また、「苫東環境コモンズ」や「静岡県桜えび漁業組合」の事例も興味深いが、北欧の「自然享受権」の紹介にはびっくりした。北欧では他人の土地であっても、自然を享受するためであれば自由に出入りする権利が認められているのだ。そこではキノコ摘みも自由にできる。第4章では、北海道での相互連携による様々な取組が紹介される。中央に頼らない、地方自立の取組こそが力を発揮している事例だ。
 そして「おわりに」では、「『地方の論理』とは…実践的な活動や挑戦の積み重ねから…」と書かれる。実に、地方の現場で経験を重ねて、実績を残してきた者こそが言える言葉ではないか。筆者も再三、記述しているが、今回のコロナ禍は、地方の力の重要性を明らかにしたと言える。われわれも自信をもって、地方で生きていこうではないか。地方こそが変革の源泉なのだ。

地方の論理 (岩波新書)

地方の論理 (岩波新書)

○大切な視点は、「平時の論理」と「非常時の論理」の健全なバランスであり、そのために地方が果たす役割をしっかり見極めていくことである。/平時の論理を推し進めると、市場メカニズムが重視され…効率的な処理ができる大都市重視の集中の論理へとつながっていく。一方、非常時の論理ではいざという時に備えるために、長期的、巨視的な視点が求められる。…20世紀末から次第に平時の論理や集中の論理が支配するようになってきて…その結果、国土や経済社会が有事に脆い構造になってしまってきている。(P39)
○わたしは、わが国の分権議論は、器づくりに主眼が置かれていたように感じている。目指すべき分権社会とは、単に権限を国から地方へ移譲するのではなく、人々の社会的なつながりによって分権による統治パフォーマンスを高めていく社会であるべきだろう。…大切なのは、住民のやる気や参加意欲、住民同士のつながりなど与えられた権限を発揮できる幅広い地方の力であり、その力を発揮していくために必要な「地方の論理」を構築していくことであろう。(P52)
○エリノア・オストロム…は、コモンズが長期に持続していく条件として、「コモンズの利用ルールと地域条件との調和」、「ルール違反者に対する段階的制裁」を挙げている。…それは、地域におけるビジョンとしての将来計画と、それを実現するための規制計画に置き換えられる。長期的なビジョンを明確に持ち、その目標に沿って、それを阻むものは排斥していくという、強力な政策手段を持つことによって、コモンズとしての政策がより一層強いものになっていくのだ。(P126)
スウェーデンデンマークノルウェーフィンランドなどの北欧諸国では、土地所有者に損害を与えない限りで、すべての人々が自然環境へアクセスできる権利を持っている…。キャンプだけでなく…乗馬、スキー、ベリーやキノコ摘みなどが、土地所有者の許可なく行うことができるのだ。(P146)
○経済の活動は市場メカニズムで動いており、それは競争の原理だ。…しかし今、日本の社会が直面している問題の多くを、一人だけで、また一企業だけで解決していくことが難しいことも事実だ。大切なことは、連帯することが、地方の活性化の大切な手法であり、それが地方の力になることをお互いに自覚し、理解しあうことではないか。そう感じている。(P172)
○地方を対象にさまざまな活動を続けてきて、あらためて「地方の論理」とは何かを考えると、それは抽象的な理論の構築ではなく、実践的な活動や挑戦の積み重ねから得られる多様な思想、発想、戦略を体系的に示していくことではないだろうかと思っている。そこから、より多くの人々のやる気を醸成させていくことが、健全な社会変革につながっていくのだろう。(P230)