未来の住まい☆

 「一般社団法人 住総研」が創立70年を記念して「住宅研究のフロンティアはどこにあるのか」と題して開催したシンポジウムの記録である。第1章から第6章までは当日の発表者の内容を収録、第7章には司会進行をした祐成保志氏の寄稿が掲載されている。シンポジウムという限られた時間での発表なので、それぞれの内容は短く、尻切れトンボに終わった部分もあるかもしれないが、「住宅研究のフロンティア」というタイトルに応え、それぞれの研究分野での最先端の課題や方向を語っている。それぞれの発表の中で、特に印象に残った部分を下に書き出した。いずれも興味深い視点であり、指摘だ。

○【大月】いま、空き家が問題だとしても、空き家であるかどうかを定義することすら困難なのではないか?…我々は現在「無理に」世の中を「1と0のデジタルな世界」として解釈しようとしているのではないか?…そうした事例の一つとして、夏山冬里とも呼ばれている…季節限定の居住地を移動しながら暮らす…二拠点居住も…0と1の二進法を超えた、グレーな量子論的現象だともいえる。…こうしたグレーゾーンの評価をもう少し考えようという志向性が大事なのではないだろうか。(P35)
○【園田】住宅研究のフロンティアとは、<研究>×<開発>×<デザイン>にある。/そして、これからは”実践”がいままでにも増して重要になるだろう。…女性医師から…教えてもらった…「三つのS-スピリット(精神)・サイエンス(科学)とそしてスキル(実践)」あるいは「三つのH-ハート(温かい心)、ヘッド(冷静な思考)とそしてハンド(実践)」が必要である。…中でもスキルあるいはハンドの“実践”がきわめて重要なことを指摘し…たい。(P64)
○【後藤】木材の利用に関していえば、これまで世界の歴史は、利用が促進されると木材という資源を使い切ってしまうという歴史の繰り返しである。…歴史を学んだ私には、今流行のCLT利用の促進、バイオマス燃料利用の促進や高層建築への木材利用に関する提言は、森林資源の浪費につながる恐れがあると思えてならない。…「資源循環」や「持続性」への注目も、フロンティアであろうとするあまり、都合のよい解釈のところばかりを強調することに終始してしまってはならないと、自らを戒めたい。(P88)
○【岩前】「低温は万病の元」…寒さ、ではなく低温である。寒さは人体が低温にさらされていることを心が認識した状態…「低温」は心が認識していない状態である。…本当に豊かな住まいは暖かい。/寒さは精神で克服することはできるが、無意識の低温は精神で克服できない。低温の健康障害をしっかり認め、これの本質的な対策を行い、家族の幸せを考えることがいまこそ重要と考える。
○【岡部】<住居への権利>が定着して、単体としての「適切な住居」を政府に要求する運動が強まるなか…「適切な住居」は、「交換価値」としてマーケットで調達する対象になっている。…スラムの居ながら自力改善が使用価値としての住居を高める文脈にあったはずが、マーケットを利用したスラム対策と出会うことで交換価値にすり替えられつつある。…<住居への権利>と<都市への権利>のジレンマ…にこそ住まうことの根源に迫る研究のフロンティアがあるのではないだろうか。(P135)
○【平山】持ち家社会の形成は、経済上の「自然現象」ではない。…検討すべきは、社会変化のなかに住宅システムをどのように埋め込み直すのかという論点である。…住まいの生産・消費を方向づけるシステムは、住宅事情に影響するだけではなく、より広く社会・経済・政治・イデオロギーの文脈を反映し、そして形成する。…大切なのは、住宅と社会変化の関係をどう理解し、どう説明するのかという問いに挑戦することである。(P140)

 発表者は、住宅論や高齢者等の住宅・住環境、伝統建築の保存、建築環境、国際的な地域戦略・都市論、そして住宅問題とそれぞれ専門を大きく異にするが、それらをまとめて司会進行を務めたのが社会学者の祐成保志氏。当日の討論をまとめた第8章もまた、異なる分野での研究や発表をうまく組み合わせ、興味深い内容となっている。
 最初に提示したのは「住宅研究は誰のためにあるのか」という質問。そこから「社会の底」を作ることの重要さを引き出し、「住居への権利」と「都市への権利」の話につないでいる。またその前には、大月氏が提示した「グレーの機能評価」について、岩前氏ほかと意見を交わす。そして会場の若林幹夫氏(社会学)からの「資本主義的ロジックの中での居住のあり方」に関する質問を得て、各自の意見が話され、最後に祐成氏が「住宅が社会構造の隙間を埋める緩衝材となっていたものが、もはや住宅がそうした社会の危機を受け止めきれなくなっているのではないか」とまとめている。こうした指摘も興味深い。
 個人的には、園田氏が話していた「実践」という言葉が気になった。たぶん、大月氏の「グレーの機能評価」も「現場での実践を真摯に捉えろ」という意味だろうし、後藤氏も「保存の実践活動から研究のフロンティアは生まれる」と話している。岡部氏のスラム街からの発表はまさにその実践の場からの報告であるし、平山氏は住宅困窮という実態をいかに変えるかというところで呻吟している。まさに事件は現場で、「実践」のフェーズで起きている。
 そしてその実践の場である「住宅」が今、ハウジングとホームの亀裂の中で引き裂かれようとしている。最近、住宅問題に注目する社会学者が増えている。社会の分断や階層化が進む中で、建築サイドだけでは対応しきれない「住宅問題」の悲鳴が学際を超えて鳴り響いているのかもしれない。彼らが書き著す住宅論をこれからももっと読んでいきたい。

○【祐成】ハウジングは「居住のための資源の配分」に、ホームは「居場所の形成」に、それぞれ焦点を置いている。「供給される空間」と「生きられる場所」と言ってもよい。…ハウジングとホームには解きがたい緊張関係がある。両者の亀裂をいかに防ぎ、修復するか。ここでは、学問分野の線引きをこえた協働が求められている。…この意味で、住宅研究こそが現代の知における一つのフロンティアであると言えるだろう。(P177)
○【祐成】住宅が社会構造の隙間を埋めており、一方で、住宅を供給するシステムの隙間を社会構造が埋めている…お互いに浸透し合っている関係がある。見方を変えると、住宅は社会の急激な変化に対する衝撃吸収材にもなるわけです。しかしながら、もはや住宅が社会の危機を受け止めきれなくなるのではないか。…そのための構想が求められているのではないかと思います。(P203)