都市計画と‘まち’の行方

 先に投稿した「平成都市計画史」で、筆者である「饗庭伸の講演会の様子を報告する」と書いた。しかし、その後も色々と忙しく、なかなか書く時間が取れなかった。でもさすがにもう1ヶ月以上が経過した。忘れないうちに感想などを残しておこう。
 講演会のタイトルは「都市計画と’まち’の行方」だが、内容は「平成都市計画史」を踏まえ、その内容を紹介するものとなっている。副題に「平成から令和へ」と付せられたのは、「では令和の時代の都市計画は、どうなるか」という主催者の思惑の故か。もちろん饗庭氏も同じ問題意識ではあるだろう。最初、「これからの都市計画」というタイトルで講演を始めた。
 明治維新から現代まで、縦軸に人口(下が大)、横軸に都市の規模(左が大)を取り、右上から右下(過密)を経て、左下の象限へ移ってきた。人口がピークを迎えた2008年以降は次第に左上に移りつつある。右回りに回っている。次のスライドには「リセットなき76年目」と書かれている。「平成都市計画史」では明治維新以降、「萌芽期」「確立期」「成熟期」の3期に分けていたが、講演では75年毎に分けた。次のスライドは「革新主義の都市計画と保守主義の都市計画」。革新主義の都市計画が何もないところに新しい街を作った多摩ニュータウンとすれば、これからの都市計画には、既成市街地をいかにするかが求められる。過去に引きずられる。「リセットなき76年目」とは、敗戦による都市の壊滅で終わった前の75年に対して、後期の76年目には「リセットがない」ということか。すなわち「保守主義の都市計画」。そして、「平成都市計画史」の説明に続く。第3章から6章がパソコンでいえばOS。第7章から10章がアプリ。これは本の序章にも書かれていたこと。本の第2章は「バブルの終わり」というタイトルだが、講演でも「バブルの終わり方がまずかった」と語っていた。
 「平成都市計画史」説明の冒頭は、法と制度のマトリックスの説明から始まる。ちなみに、「法=行為の制限」「制度=行為の肯定的な規範」と定義している。法も制度もない「原野」から、法が整備されるも制度は少ない中で「都市が成長」する。そして次第に制度が多くなって「都市社会が成熟」すると、最後は法が少なくても機能する「民主主義」へ至る。この「都市の民主化」を動かす7つの関数が「土地利用」「土地所有」「住宅政策」「景観保全」「災害と復興」「分権と住民参加」「規制緩和」。二つ目の「土地所有」は前著「都市をたたむ」で説明した。その他は、「平成都市計画史」の各章に相応する。この7つの順で講演を進めていく。先の説明に即していえば、アプリを先に、後でOSという本とは逆の順番だ。
 最初に「土地利用」。1次:農業、2次:工業、3次:商業、そして住居の4つに分けると、1次と2次・3次・住居を分けたのが線引き。これはある程度成功。1次から住居までを分けたのが色塗り。だが、3次(商業)と住居の関係がどうあるべきかは現在の課題となっている。続く「土地所有」では、戦後から90年代までは土地の細分化が進んだが、それ以降はスポンジ化が進むと説明。これが今後もさらに進んでいく。
 「住宅政策」では、本の194ページ、197ページの図がスライドに映し出される。「三本柱」から「市場とセーフティネット」へ。民主化と言えるが、果たしてコロナ禍で見えてきた課題を「市場とセーフティネット」で解決できるだろうか。それこそが直面する課題だと饗庭氏は言う。4つ目の関数は「景観保全」。景観に関しては各地で住民それぞれのやり方(制度)が先行し、法が後を追いかけた。「防災と復興」では、災害が発生する毎に思ってもいなかった部分が壊されて、新しいリスクが指摘され、新しいルールが作られ、を繰り返す。スクラップ&ビルドから抜け出せない現状を指摘する。保守主義を壊す唯一のリスク。
 関数の6つ目は都市計画のOS、「分権と住民参加」。地域のコミュニティに対応してきた行政だったが、目的を同じくするアソシエーションが住民活動の中心となってきた。だが「『尖ったアソシエーションと弱いコミュニケーション』による都市計画制度は、実に変わりやすいバランスの上に成り立っている」(P150)と「平成都市計画史」にも書いている。7つ目は「規制緩和」。地の規制緩和と図の規制緩和。民活で公共施設が作ることができるのは東京だけかもしれない。そして最後に「都市の民主化」を改めて問う。相当には進んだ。では次はどうなるか?
 3つ目のテーマは「’まち’の行方」。では今後の日本は、都市計画はどうなるか。人口と都市のマトリックスで考えると、人口・都市ともに大きい現在から、人口・都市ともに少ない「原野」へ一直線に戻るのか。それとも人口は減るが、都市はそれほど小さくならず、ちょうどよい都市規模を維持するのか。過疎を受け入れ、空き家があってもいいじゃないか。一方、スポンジ化する都市をいかに使うかも課題。ここで一つのグラフを持ち出す。時間軸の中で、人口と世帯数と建物数が変化する。人口が先に減少し、続いて世帯が減少し、そして建物が減少する。その減った建物の跡地に都市を豊かにする空間を埋め込む。そこにこそ都市計画の出番がある。「都市をたたむ」でも取り上げたいくつかの事例が紹介される。スポンジ化する都市に法で都市機能の集中を進めるか、それとも都市機能を分散し、スポンジを有効利用して定常化した都市の集まりに再編していくか。当然、饗庭氏は後者を提言する。
 その後、質疑応答に移った。不動産業者への期待。民間の力を信じる。行政から地域に欲しい施設を明示して、民間活力による公共施設整備を期待するような仕組み。コミュニティとアソシエーションも使いよう。やらざるを得ない共有の仕事があれば、コミュニティは残らざるを得ない。回覧板。自治会経営アパートと発電所構想。そして、用途地域をもっと自由に変えたらどうか。時限的な行政介入など、興味深い提案が飛び交った。中でも興味深かったのが、商業と住居の寿命の違い。商業の周りに住居を配置してきたが、現実は住居の周りに商業が寄っていく。スポンジを埋める都市計画を考えるうえでヒントになるに違いない。
 「平成都市計画史」は、戦後75年という点でも大きな意味のある仕事だった。そしてコロナ禍。令和に入り、都市計画は大きく変化せざるを得ない。当然、饗庭氏の関心もそこにある。日本は新しい都市、新しい国土へと生まれ変わることができるだろうか。饗庭氏の講演を聞いていると、必ずしも酷いことばかりではない。楽しい都市の姿が生まれる可能性と期待を感じる。住みやすい国になるといいなあと思う。