限界都市 あなたの街が蝕まれる☆

 日経新聞で2018年3月から連載されてきた「限界都市」シリーズを加筆修正して発行されたのが本書だ。日経といえば企業寄りのスタンスだと思うが、本書ではそんな企業の利益追求活動による弊害をあからさまに描き出す。それだけ都市における矛盾、問題が深刻になっているということだろうか。本書で描く都市の課題は、大きく3つ。タワーマンションの乱立、マンションの老朽化、そしてコンパクトシティの虚構性だ。
 タワーマンションがそもそもなぜ売れるのかが理解できないが、しょせん首都圏の話。正直実感は薄い。マンションの老朽化についても自明の話。もう20年近く前から指摘され続けてきたことだ。そしてコンパクトシティの虚構性。これについては、立地適正化計画が国交省補助金目当てで本気度のないまま全国で策定されてきたことや、コンパクトシティの優等生で知られる富山市ですら課題が山積していることなどが報告されている。これも専門家なら当然知っていたこと。
 こうした現状報告にはそれほど驚くこともないが、本書で一貫して問題提起するのは、「2000年の都市計画法の改正による市町村への権利移譲と規制緩和により、部分最適・全体不最適なまちづくりが進められている」ことだ。その指摘はある程度当たっているかもしれない。しかし、都市計画をより住民に近いところで行うことが間違っているわけではない。問題は部分適合にして全体最適な仕組みがないことだ。しかも、全体不適合な開発に対して規制緩和補助金等で支援する中央官庁がある。
 第2章の末尾に、東急電鉄社長や江東区長、そして学識者のインタビューが掲載されている。その中では、東洋大の野澤千絵教授の内容が的を射ている(下記の3番目の引用)。大阪では統廃合した小学校跡地にタワーマンションが建設され、再度、小学校を増設せざるを得なくなったというバカな事態も生じているという。人口は増えればいいという訳ではない。住みやすい環境づくりが自治体にとっての最大の責務のはずだ。
 第4章では「脱。限界都市の挑戦」と題して、ユーカリが丘、「ゆいま~る大曽根」、そしてライプツィヒフライブルクの事例が紹介されている。「ゆいま~る大曽根」については、先に見学したこともあるので、こうして全国的に紹介されていることには驚いたし、うれしく思った。それはさておき、これら4例の中ではライプツィヒの現状報告が興味深い。すなわち、既に空き家率は大幅に低下し、今やジェントリフィケーションを心配する状況になっているというのだ。まさに「『脱・限界都市』の歩みに終わりはない」。「人口が増えたからといって都市問題が解決するわけではなく、むしろ問題は複雑化する」(P216)という言葉も含蓄がある。本書で示しているのは、都市をコントロールする主体も理念もない日本の都市政策の現状ではないだろうか。

○「振り返れば、現在の都市問題が生じる起点となったのは1990年代後半からの地方分権規制緩和だ」。首都大学東京の饗庭伸教授は住宅中心の傾向に拍車がかかった背景をこう読み解く。/大きな転換点は2000年。都市計画の決定主体は市区町村になった。……饗庭教授は「地方分権で個々の市町村が好き勝手に動くようになったため、全体最適のまちづくりを進めにくくなった……」と指摘する。(P51)
○マンションの劣化を防ぐ大規模修繕工事のための積立金が悪質な設計コンサルティング会社に狙われている。工事会社に談合まがいの行為を促し、割高で受注した業者からバックマージンを受け取る―。住民側に立つべき会社が水面下で管理組合の資産を食い物にしているのだ。……悪質コンサルの横行はマンションの資産価値を低下させ、都市そのものの「老い」を加速させかねない。(P94)
○ニューヨークの規制緩和は計画的で過剰な供給を抑えている。都内も住宅ばかりの開発なら元の容積率のままでいい。自治体が近隣学校の受け入れ能力を算出し、余力があれば高層住宅の建設を認めるといった制御も必要だ。単純に住民増に応じて学校を増やせばいいわけではない。いずれ子どもは減り、費用をかけて統廃合せざるを得なくなる。……行政は住宅拡大ではなく「住みやすい環境」の創出に力を注いでほしい。そうすれば都市の持続的な更新は可能だ。(P132)
○空き家を壊さずに残しつつ、所有者の維持管理費の負担を軽くする必要はないだろうか。こうした問題意識から2004年に生まれたのが「ハウスハルテン」と呼ばれる空き家の所有者と利用者をつなぐ民間団体である。/ユニークなのは空き家の利用者が水道光熱費のみを払い、家賃はタダで使えるようにした点だ。内装のリノベーションの原則、利用者の自由……所有者は家賃収入が見込めないものの、当面使い道のない物件の「家守」を利用者に託せるメリットがある。(P211)
○人口増に伴う住宅需要の高まりを反映し、20%を超えていた市内の空き家率は5%近くまで低下した。……人口流入で街が活性化し、不動産不況も回復したライプツィヒだが、華麗な復活劇の陰で副作用も表れ始めている。「ジェントリフィケーション」への懸念だ。……「人口が増えたからといって都市問題が解決するわけではなく、むしろ問題は複雑化する」。日本の家の大谷氏の実感だ。ライプツィヒの経験は「脱・限界都市」の歩みに終わりはないことを教えてくれる。(P216)