限界ニュータウン

 「限界ニュータウン」というタイトルからは、高度経済成長期、都心から遠く離れた地域で開発された中小の分譲住宅地で、入居者の高齢化や人口減少に伴い、空き家や空き地が発生している状況を想像させる。だが本書が紹介する住宅地はそんなレベルではない。高度経済成長に続いて、日本列島改造論がもてはやされた1970年代に、千葉県北東部で多く開発された投機型住宅分譲地を指す。それらの分譲地では、投機熱の中で、いったんは完売するものの、建物が建てられることなく放置され、しかしバブル期に再び不動産投資ブームが起こり、住宅が建設された。そこではポツポツとながら住宅が散在し、しかし放棄された空き地も多くあり、荒廃が進む。何より問題なのは、公共水道や下水道がなく、共同水道や汚水処理施設の管理運営がままならない状況にあることだ。一方で、更地は売れないが、貸家としての需要はそこそこあると言う。
 1章「限界ニュータウンとはなにか」で、こうした分譲地の現状と問題を伝えるとともに、2章「限界ニュータウンで暮らす」では、こうした限界住宅地に住む筆者自身の暮らしやそこに至る過程などが綴られる。どうしようもないと思われる限界住宅地だが、筆者自身はそこにわずかな光明を見ている。そして3章「限界ニュータウンを活用する」では、筆者と同様に限界分譲地での暮らしを始めた人々を取材し、可能性を検討していく。
 もちろんすべての限界分譲地、すべての区画に復活可能性があるわけではない。だが、こうした暮らしを楽しめる人たちもいるだろう。それは理解できる。一方で、都市計画として考えた場合、やはりこれでいいのだろうかと考えてしまう。そうは言っても、結局は自然に戻っていくのだろうか。「ポツンと一軒家」と同じ状況かもしれない。首都圏特有の状況だとは思うが、こんな住宅地があることに驚いた。驚いておけばいいのだろうか。

○投機型分譲地の開発ブームも…1970年代中盤以降…いっきに下火になってしまう。…時は流れ、80年代後半のバブル景気に向かうにつれ…不動産投資ブームがふたたび過熱し…ていくことになる。…そのため千葉県北東部の限界ニュータウンは、開発・分譲じたいは1970年代にもかかわらず、そこに建つ家屋の大半が、80年代後半以降に建てられたものだ。この、開発と利用開始時期の10年以上のタイムラグこそが、限界分譲地特有の現象である。(P26)
○行政をはじめとした地域社会の関心の薄さこそ、まさに不法投棄者を招き寄せる根本的要因であるといえる。…耕作放棄地も同様の問題をかかえているが、法規分譲地の場合、所有者自身ですら現地の状況をほとんど正確に把握していない。だれひとりとして関心を寄せることのない「棄てられた土地」の荒廃が進むのは、むしろ必然といえるのだ。(P76)
○開発された分譲地にほとんど家が建てられず、空き地ばかりが残されている光景は、都市計画や町づくりの視点からみればけっして成功事例とはいえないものだが、こと、みずからの住まいとしての利用を考えれば、場合によっては、家屋がすきまなく立ち並ぶ住宅街よりも、より柔軟な利用法が可能な環境であるといえる。そしてじっさい、そのような需要を掘り起こす以外に、周囲の環境を適切に維持できる手段はないとも思う。(P119)
○土地価が安くなったいまこそ、限界分譲地は投機の実験場ではなく、現実にその地を必要としている人の手に渡るべき時代がきていると思う。/長年、製造業の現場に立ちつづけてきた山廣さんの父親は、ともすればゴミとして捨てられがちな壊れたガラクタであろうと、まずは…再利用できないかと考え、加工や溶接をほどこして家の補修や農耕具などに利用する。その思想は、いまや打ち捨てられつつある限界分譲地の再利用を考えるうえでも模範とすべき尊いものだ。(P198)
○隔絶された環境で世捨て人まがいの生活を送るのではなく、あたりまえの現代社会が営まれている都市部からほんの一歩踏みだした先にある限界分譲地で、社会を拒絶するわけでもなければ、そのど真ん中に身を投じるわけでもない、一歩身を引いた生活を送る。地価が安いかわりに利便性が悪いので、そこは可能なかぎりの創意工夫でカバーする。そんな暮らしが、都市の外側にとり残された、もっとも限界分譲地「らしい」ものであると思うのだ。(P230)