団地へのまなざし

 埼玉県草加市の松原団地をフィールドにして、団地のローカル・ネットワークを中心に調査・研究した論文である。筆者は松原団地に隣接する獨協大学に勤務する社会学者で、中でも社会情報学を専攻している。本書はいくつかの研究論文を再構成したものだが、第1章「団地へのまなざし」・第2章「ローカルな記憶の記録」では、筆者の専門領域である社会情報学の見地から、団地という記号がどのように扱われてきたか、そして松原団地における駅名の変更と水害の記憶がいかに伝わってきているかを論考する。
 そして、第3章「団地のローカル・ネットワーク」では、特に東日本大震災時の状況から、ローカル・ネットワークの重要性を記述する。ローカル・ネットワークとは「私たちの場所」における情報。それはすなわち、まず一義的には、口から口、顔を見合わせての情報が最重要であり、続いてチラシなどの紙媒体による情報伝達が必要とされる。総務省などが推進するICTを活用した情報提供については、有用性は認めるものの、それを読み解く「リアルな」関係がなければ機能しないと、やんわりと批判する。
 そして第4章で、松原団地における高齢者等を中心とした相互扶助的な活動への取材等を通して、第3の場所(サード・プレイス)の必要性と人間関係(ネットワーク)の重要性、そしてそれらを支える公的支援の必要を訴える。終章「団地をめぐる現代の問題」は総論だが、孤独死や国際化といった団地をめぐる問題が、実は団地だけの問題ではなく、現代社会における一般的な問題であること。そして、団地で育まれてきたネットワークやサード・プレイスが団地外との結節点として機能している実態を説明し、団地の可能性を提議する。
 松原団地で発見されたことは、一般住宅地でもあり得る。それでも松原団地を調査研究のフィールドとしたということは、団地が一つの記号となっていることの証左でもある。そして一つの調査フィールドを一般化する上では、記号化されていることは利点でもあるのだろう。筆者の本書における論点は第3章以下の後段にあるのだろうが、その上で前半の記号論を考えてみることも意味がありそうだ。

○愛好者たちのまなざしからは、団地という記号が、たんなる住空間を超えたなにかであることがわかる。それは自己表現のための記号であり、個々の美意識や嗜好を表すためのツールでもあるのだ。…団地は、それを語るひとによってさまざまな顔を見せる。…近年の団地イメージは、羨望、忌避、偏愛とも違う、快適な日常生活を提供するコミュニティとして捉えられている(P75)
○ヘルパー…らは、それぞれ担当する利用者の私生活に深く入り込み、身体的な状況、病状、性格などを熟知している…。/団地における「ご近所」関係は、ほどよい距離間を保つからこそ、円滑に保たれる。…ヘルパーと同じようなやり方・スタンスで、団地住民が「ご近所さん」の私生活に立ち入るのは、場合によっては「不躾な態度」と見なされ、関係が悪化してしまうだろう。だからこそ…ヘルパーの存在は、とくに災害時において、きわめて重要になる。(P160)
○ICTも…情報にアクセスする方法が増えたにすぎない。…膨大な情報…を処理するだけの余裕や編集力がない場合、それらの情報は「ゴミ」でしかない。…情報を読み解く基盤となる「リアルな」関係がなければ、ローカルな領域での情報ネットワークはうまく機能しないである。…ローカルな領域の情報とは、すなわち「私たちの場所」の情報である。…地元の新聞社やローカル局といった組織であれ、個人であれ、ある程度顔の見える社会的ネットワークが基盤にあってこそ、ローカルな情報が活きてくるのである。(P177)
○ローカルなネットワークには、具体的なアイディアや実行力、豊かな経験をもつ個人と、専門機関や公的機関とをつなぐ役割がある。そのネットワークによってゆるやかにつながった人間関係は…活動を実践するための「場所」と…経済的・制度的に支援する公的な活動とによって、さらに活発な活動を呼び起こす。ネットワークと場所と公的支援、これらが揃ったとき、地域社会で生じた問題やこれから生じるであろう問題に対処する道筋が拓かれるのではないだろうか。(P254)
○団地は閉じた社会でありながらも…閉鎖空間ではない。団地は外部とのネットワークを保ちながら…地域社会の一部として位置づけられている。/団地の敷地は…だれもが散歩できて…休息をとることができる。…団地の高齢者を支えるネットワークは…団地外のひとびとをも巻き込んだものとなっている。…これらの人間関係は、要するに「団地つながり」である。地域社会に組み込まれた団地が、ひとびとを結ぶ結節点になる可能性をここに見ることができる。(P272)