団地と移民

 安田浩一と言えば、「ネットと愛国」で有名になり、その後も右翼やヘイトスピーチなどを取り上げたルポルタージュが多いライターだ。本書では団地に住む移民を中心に、差別やヘイトの問題を取り上げているのかと思って読み始めたが、思った以上にまともに現在の団地を取り巻く現状や課題について調査している。
 第1章、第2章で取り上げるのは、団地の高齢化や孤独死の問題。住民による孤独死対策の活動なども紹介するが、副題にもあるとおり、「課題最先端『空間』」として設定しようとしている。第3章「排外主義の最前線」は、ヘイト活動のターゲットとなった芝園団地における若者や学生たちによる活動を紹介する。「人種間というよりは、世代間のギャップなんです」という中国人入居者の言葉は鋭く急所を突いている。
 そして一転、第4章ではパリの郊外団地を取材する。移民たちが集まる郊外で活動をする者たちは、単に生活支援ではなく、移民たちを難民やホームレスを支える活動に誘い、誇りと生きがいを喚起しようとしている。第5章で取り上げるのは広島市基町団地。大高正人によるデザインと改良事業は建築の専門家には有名だが、入居者の現状について聞くことはこれまでほとんどなかった。ガタロと呼ばれる掃除人兼アーティストの視線から、中国残留孤児や中国人入居者の生活が描き出される。そして第6章は保見団地。ブラジル人の視点から団地を描いている。
 最期の「あとがき」には「団地は、移民のゲートウェイとなる」という副題が付いている。高齢者と外国人。現在の日本社会の中で疎んじられがちな存在同士を融合し、アマルガムする場として団地が最適かもしれないと言うのだ。現実問題として、団地の高齢化は“限界集落”と呼ばれても仕方がないほど進んでいるし、外国人入居者も多い。筆者が主張するような解決策が有効となる可能性もあるだろう。しかし逆にうまく融和できず、大爆発する可能性もある。団地であれば、たとえ大爆発しても大丈夫だろうか。
 安田浩一という一般の人々にも影響力のあるライターが団地問題を取り上げたことは評価すべきかもしれない。しかし本書が逆に団地スティグマを広める結果となってしまわないかと心配にもなる。一般の人は本書をどう読み、団地をどう理解しただろうか。団地の現状はあくまで日本の居住の問題が先進的かつ集約的に現れているのであるから、その解決も一般の住宅施策の中で解決すべきというのが私の持論だが、難しいだろうか。特別な住宅地である団地をさらに特別な地域とするというのではない解決策はないものか。

団地と移民 課題最先端「空間」の闘い

団地と移民 課題最先端「空間」の闘い

○給水塔は団地のシンボルだった。屹立し、高い空間から、コミュニティを見守ってきたのではないか。いや、人々は給水塔を見上げながら、団地の住人であることを自覚していた。改築によって給水塔が撤去されたとき、同時に団地を支えてきた”つながり”もなくなった。支柱を失い、団地は団地でなくなった。……団地とは……濃密な人間関係によってつくられたコミュニティを意味する記号でもあったのだ。(P16)
○「人種間というよりは、世代間のギャップなんですよ。高齢者ばかりの日本人と、働き盛りの中国人では、どうしたって交流の機会が少なくなる。接触がなければ相互理解だって進まない」/なにかのはずみで、無関心は容易に憎悪や不寛容に変化する。/差別は、そうした場所に入り込む。憎悪を煽り、亀裂を持ち込む。……団地はときに、排外主義の最前線となる。(P87)
○日中両住民の間に最初から壁が置かれているわけではないし、境界線が引かれているわけでもない。両者を分かつ何かがあると、みんなが思いこんでいるだけなのだ、と。/「文化、習慣、言葉、どれもが違う。でも、違いは壁でも境界でもないと思うんです。違いを理解したうえで、普通に付き合えばよいだけなんですよね。同じ地域でともに生きているのだという共通点こそ重要なのではないでしょうか」(P98)
○下から見上げると世の中がよくわかる。……ガタロは、そうした下流のもっとも深い場所から、団地の移り変わりも目にしてきた。/「被爆者、在日コリアン、貧困者、そしてヤクザも住んでいた。様々な人生が、この団地で交差し、溶け込み、ときにぶつかり、独特のダイナミズムを生み出してきました」……「ここはそういう場所なんですよ。多様で、多彩で、多文化の街。絶対に一色に染まることはない。面白いじゃないですか。それでこそ基町です」(P188)
○政府の思惑が何であれ、少子化と急激な高齢化が進行する以上、好むと好まざるとにかかわらず、移民は増え続ける。/その際、文字通りの受け皿として機能するのは団地であろう。/そう、団地という存在こそが、移民のゲートウェイとなる。/私はそこに、団地の高齢化問題を解決するひとつの解答が示されているようにも思うのだ。……いつの時代であっても、地域に変化をもたらすのは“よそ者”と“若者”だ。……限界集落化した団地を救うのは外国人の存在かもしれない。(P251)