江戸の都市プランナー

 「都市プランナー」というタイトルに騙された。歴史学者からすると、自治活動のリーダーは「都市プランナー」なのだろうか。出版社の戦略かもしれないが、せめて「江戸の都市行政家」位にしてほしかった。

 本書は江戸末期の文化6年(1809)から安政5年(1858)まで、江戸深川と後年は堀江町その近隣の町々を支配する名主であった熊井理左衛門の仕事について描いたものである。天保改革が実施され、名主制度が大きく揺すぶられる中、疲弊する幕府から市政全般が名主制度に委ねられ、名主の側もよりやりやすく効率的な自治システムに改めていく。その中心となったのが、熊井理左衛門であった。

 本書で都市づくりの分野で理左衛門が行ったとして紹介されるのは、江戸の町に縦横に入る水路の川浚いである。拍子木の合図で一斉に水深を測り、杭に基準高さの墨を引くところが唯一工学的な描写。後はいかに町管理のためのシステムを作り上げていったかということを、町奉行の政策に対する対応が書かれた古文書を元に描いていく。

 ただし、理左衛門は町奉行の変遷の中で最後は捕縛され、流罪となる。本書の書き出しは延々と小伝馬町の牢獄の話が続く。歴史物としてはそれも面白いが、都市政策を知りたい側にとっては、いったい何のためにとイライラする。そして永代橋の落橋事故と江戸時代の橋梁の維持管理について。名主制度の変遷について。そして最後に理左衛門逮捕の顛末とその後が語られる。

 歴史物として読む分にはそれなりに面白いとは言える。都市計画的には・・・江戸時代の住民自治制度とも言える名主制度の実態がよくわかるということで、都市計画史に興味がある人には面白いかもしれない。

●江戸時代の幕府や藩による人身支配は、・・・人々が所属する集団を基本単位として組み立てられた支配であった。・・・理左衛門たち名主は町のリーダーであった。・・・彼ら名主が、町や村といった集団を統轄していたのである。町や村のほかには、商人や職人などが結成する組合もあった。それら各集団の自律や自治を前提にして、初めて幕藩権力の支配は成り立つものであった。(P039)
●天保改革推進を目的として生み出された強力な名主組織、それ自体が、江戸の天保改革における正の遺産の最たるものといえるのではないか。そして、この組織を構成する名主たちは、天保改革以前から、江戸の社会が抱える問題と直接向き合ってきた人々であった。その問題解決のための政策を、彼らは改革政策の一環に組み込み、自らその政策の実施に奮闘したのである。(P186)