あの日からの建築

 伊東豊雄という建築家はもちろん昔から知っていたけれど、やはり「せんだいメディアテーク」でガラッと変わったというイメージがある。本書は鈴木布美子というインタビュアーに対して話したことをまとめ、加筆・修正してできた、伊東豊雄の半生を振り返り、建築の未来を語る本である。本の成り立ちもあって非常にソフトで読みやすい。これまで伊東豊雄を知らなかった一般の人にも十分によくわかる内容となっている。

 前半では、東日本大震災当日の行動や思いから始まって「みんなの家」、そして被災後に始めた「伊東建築塾」までを語る。宮城野区の「みんなの家」は先日、私も見学したきたところだ。かつての伊東作品とは違い、住民に寄り添い、実に心強く暖かい空間となっている。かつての伊東豊雄は建築界をひとり飛翔し、軽やかに浮遊していたが、それは同時に社会から浮いていたことの証でもある。それが「社会」とのつながりを語り、現代建築を批判する。

 「せんだいメディアテーク」は、構造家・佐々木睦郎との出会いによって生まれた。地面から生え出る力強さは実は佐々木睦郎により与えられたものだった。そして自然とつながり、自然に溶け込む建築をめざす現在の伊東豊雄が現れる。

 後半は、「第5章 私の歩んできた道」でこれまでの半生を振り返り、第6章で「これからの建築を考える」。その展望と方向には激しく同意するし、大いに期待もする。伊東豊雄は現在、私がもっとも期待する建築家の一人である。

●数万年という人類の歴史的視野に立って眺めれば、近代なんてほんの一瞬の出来事なのだ。近代の先には再び夢に満ちた広大な新しい自然の世界が拡がっているに違いない。/そのような未来の自然を発見したいという思いを巡らせながら被災地に向かった・・・これは私にとって、建築を探る旅の出発点なのである。(P6)
●私たちは東京のような都市のなかですべて近代のシステムによってコントロールされています。・・・震災後、被災地に大量に設営された仮設住宅こそ、三陸に突如持ち込まれた近代ではないでしょうか。・・・あれほど個人の分化を可視化したものはないでしょう。・・・すべてを失った被災地でなら、近代のシステムに因らない生な自然に溶け込む建築や街を実現することができる。それは唯一無二の社会なのです。(P59)
●建築のコンセプトのなかで使われる「社会」や「コミュニティ」といった概念は、現実の世の中と直結したものではありません。現実の社会を建築家によって扱いやすいように抽象化したのが「社会」であり、その・・・なかで、「コミュニティ」という、さらにまた抽象化された概念を弄んでいるわけです。そこで自分は建築を通じてコミュニティを表現するんだと言っているわけですから、その表現そのものが完全に現実から遊離しています。(P104)
●正直なところ佐々木さんから提案されたチューブは私がイメージしていたメッシュ状のものよりも粗々しいもので、疑問がないわけではありませんでした。しかし工事現場でそのチューブが現実に立ち上がってくると、私の当初のイメージとは違う力強さがあることに驚きました。その瞬間に、私がそれまでイメージしていた繊細で重力を感じさせない抽象的な構造体は消えて、新しい建築の姿が現れてきました。こうして「せんだいメディアテーク」は・・・新しいステップに向かう出発点となったのです。(P135)
●10年、20年たっても、「この建築はいいね」と言われるためには、時代を突き抜ける、何か社会が共有しうる原理を持たないといけない。・・・あくまで個の力によって近代建築を突き抜けていくけれども、その結果が皆で共有できる原理にならなければいけないのです。/実は「個によって個を超える」ことはとても難しい。(P182)