地域の景観・歴史を活かしたまちづくり

 先月23日に、上記タイトルの講演会が開催された。日本建築学会東海支部研究集会シンポジウム。講師は、新潟大の岡崎篤行教授と、三重大の浅野聡教授。岡崎氏からは「新潟県の歴史・景観を活かしたまちづくり」と題して、新潟市を中心とした歴史的景観と活動の現状について報告があり、浅野氏からは「三重県内における景観まちづくりのマネジメントの実践」と題して、浅野氏が三重県内の各自治体で実践してきた景観まちづくりの実績について、総括的な報告がなされた。浅野氏は2020年日本建築学会賞(業績)を受賞しており、その内容報告でもある。
 Zoomによる講演会であり、手元に資料が残らなかったことから詳細で正確な報告は難しく、講演中も他所事ができてしまうため、集中していない時間帯もあった。中でも、両氏の講演後の質疑応答はほとんど聴き落してしまった。ここが一番重要だったような気がする。以下、簡単に手元のメモを記録として写しておきたいと思う。
 まず、岡崎氏から。新潟県では2006年に「新潟県まちなみネットワーク」が組織され、約70の団体が参加している。新潟県では唯一、佐渡市の宿根木が重要伝統的建造物群保尊地区に指定されており、まずはその紹介があった。ただし、宿根木地区の建物の7割は必ずしも古いものではなく、それらしい景観に修景されたり、新築されており、「オーセンティシティ(真正性)の問題を考えざる」を得ないと言われた。
 重伝建地区は宿根木地区にしかないとは言え、村上市塩谷や関川市下関、上越市高田など、特徴的な町並みはけっして少なくない。これらの町並みには、平入りの家が並ぶ通りと妻入りの家が並ぶものがあるが、新潟県に特徴的な民家として、丁字型の民家がある。京都の町家は、通りに面して、ミセ・ダイドコ・ザシキと続くが、新潟の民家は、ミセ・ザシキ・ニワ・ダイドコと連なる。そして通りに面したミセの部分が平入りで、奥は妻入りとなる独特な形態の民家があると言う。その代表として揚げられたのが、新潟市の旧小澤家住宅だ。
 新潟市は幕府が開港した5港のうちの一つで、信濃川に面して、川湊が作られた。信濃川は河口近くで大きく東に迂回するが、その東南側は新発田藩の外港である沼垂町、北西側は長岡藩の外港としての新潟町。新潟駅は沼垂側に置かれたため、現在の市街地は川の南東側に発展したが、日本海と挟まれた新潟町のエリアは空襲を免れ、古町として今も古い町並が残っている。
 古町と言えば「花街」が有名で、新潟の花街は、京都や金沢のような茶屋はなく、料亭が並ぶ。それも表の古町通は商店街となっており、その一本裏を通る新道が花街となる。さらに花街の料亭の間には「ダシアイ」とか「ヘヤナカサ」と呼ばれる路地が走っている。これは路地の両側の所有者が半分ずつ土地を出し合い作られた路地で、路地の上には両側から2階がせり出すなど独特の景観を作っている。
 こうした魅力的な街並みが残っているにも関わらず、新潟市における景観形成の動きは、信濃川に面して高層マンションが建設されたことから始まった。平成19年に「新潟市景観計画」が策定され、これにより信濃川の両側のエリアは、現在50mの高さ規制がかけられている。その後、古町の3地区も特別区域に指定された。
 ということで、新潟市の歴史景観を活かしたまちづくりは道半ばという状況だが、2022年には全国町並ゼミ新潟大会が開催される予定なので、ぜひ来てください、というお誘いで講演は終わった。
 一方、浅野氏の発表は、三重県内の町並みを紹介するという内容ではなく、浅野氏が関わった景観まちづくりの活動を紹介するというものであった。三重県では、2004年の景観法制定以降、7つの景観行政団体(三重県亀山市伊賀市・津市・松坂市・伊勢市志摩市)、18の景観重点地区が指定されている。それらの中には、城下町あり、門前町あり、寺内町、宿場町、農村集落ありと実に多様な地区が指定されている。
 まず三重県には、大きく3つの景観要素がある。一つは、東西に走る「東海道」と途中から分岐して伊勢神宮へ延びる「伊勢街道」に沿った「歴史街道」。県土の35%が自然公園に指定され、「伊勢志摩国立公園」を巡る景観。そして、世界遺産である「熊野古道」を巡る景観。このうち、「街道景観」の代表例として、亀山市の景観を取り上げた。亀山市には約20㎞に渡り東海道が横断するが、重伝建で宿場町の「関宿」だけでなく、亀山城下町には武家や町家が残り、少し離れた田園集落には「坂本棚田地区」が景観形成推進地区に指定され、さらに関宿を眺望できる「百六里庭」は景観形成推進地区よりも更に積極的に景観形成を図っていく必要のある地区として「景観重点地区」に指定されている。
 二つ目の話題として、伊賀市と松坂市で起きた景観論争が紹介された。伊賀市では高さ43mのマンション計画に対して建築差し止めの仮処分が下され、高さ20mに抑えられた後に、城下の重点地区である三筋町などは高さ12mに規制された。また松坂市では、7階建て高さ26mのマンション計画が、反対運動の結果、6階建て高さ22mに変更され、その後、高さ12mとする地区計画が決定された後に景観計画が策定された。
 3つ目の話題は、志摩市の景観計画である。伊勢志摩国立公園の美しい眺望景観を維持していくため、7ヶ所の視点場を設定して、500m以内の近景・500~3300mの中景・3300m以上の遠景と整理して調査した結果、「横山展望台」と「桐垣展望台」の二つの「眺望保全地区」を設定した。
 4つ目は世界遺産の景観である。世界遺産の登録資産を守ることとは別に、その緩衝地域及び山麓集落や背後の山並みなども含め、熊野川流域景観計画を策定し、世界遺産を有する地域にふさわしい景観の形成に努めている。
 また、東日本大震災を契機として、歴史的町並みにおける震災復興計画をテーマに「みえ歴史的町並み防災・復興研究会」を立ち上げ、さらに地域の衰退や再生等に係る課題に一体的に取り組む場として、景観行政団体や建築士会等の業界団体、NPO等の市民団体が参加する「みえ歴史的町並みネットワーク」を組織した。その他、伊勢河崎商人館での公開展示や鳥羽市で新たに始めた海女集落景観の調査研究についても紹介された。
 その後の質疑応答では、「現在における、将来に残る歴史的景観の創造についてどう考えるか」など、興味深い質問も聞かれたが、冒頭に書いたように、Zoomのため、他所事をしていたら聞き逃してしまった。結局、新潟県三重県という二つの地域での歴史的町並み景観の現状と取組が、それぞれ異なった状況下で進められているということを理解するに留まってしまったことは残念。でも、特に新潟の状況は、なかなか訪れることのない土地だけに興味深かった。数年前に妻とともに駆け足で旅行したが、新型コロナの感染が沈静化したら、今一度、じっくり時間を取って見に行きたいなと思った。