金沢市の歴史的建物を活かしたまちづくり

 都市住宅学会中部支部恒例の総会・講演会に参加した。今年の講師は金沢大名誉教授の川上光彦氏。先生は金沢市出身で、京大で学んだ後、郷里の金沢大に赴任し退官したという金沢一筋の方だ。達磨さんのような茫洋とした風貌はさすが加賀百万石の風情を感じさせる。講演タイトルは「金沢における歴史的建物を活かしたまちづくり」。
 金沢は1546年、本願寺が金沢御堂を建てたことから始まる寺内町で、1583年には前田利家金沢城に入り、明治維新まで加賀前田家の城下町として発展した。江戸時代の石高は102万2千石。2位の薩摩島津家77万石、陸奥伊達家62万石、尾張徳川家61万9千石を離してダントツの石高があった。2001年に金沢城の菱櫓・橋爪門・五十間長屋などが復元され、金沢城公園としてオープン。昨年度には第二期整備事業で河北門、宮守堀なども完成し、今年度からはさらに第三期整備計画の策定が進められている。
 冒頭、これら金沢城の他、兼六園武家屋敷跡や町人街、茶屋街、寺院群など今に残る歴史ある景観をスライドで紹介された。金沢市は人口約46万人。歴史資源を活かしつつ、北陸地域の中心としての産業活動の活発化と安全・快適な都市づくりをめざしている。歴史的景観・町並みの保全と中心市街地の再生・活性化を実現するため、国制度の活用と自主条例の制定、市民活動等による取組みが進められている。
 具体的には、重要伝統的建造物群保存地区に、東山ひがし茶屋地区、主計町茶屋地区、寺町台地区、卯辰山麓地区の4地区が指定され、外壁等の修景などにかなり手厚い補助を行っている。また、歴史まちづくり法に基づく歴史的風致維持向上計画を2009年に全国第1号で策定し、認定を得ている。この計画では金沢城下町地区2140haを指定し、金沢城公園整備事業や大野庄用水整備事業、無電柱化事業などを進めるほか、金沢職人大学校を開設し、技術の伝承と人材の育成を行っている。
 これらの国の制度を活用した取組みのほか、金沢市では多くの自主条例が制定されている。景観条例に始まり、こまちなみ保存条例、寺社風景保全条例、沿道景観形成条例、夜間景観形成条例、金澤町家条例。さらには、まちなか定住促進条例、歩けるまちづくり条例、学生のまち推進条例など。これらの条例により、市内各地区は複層的に景観やまちづくり関係の区域指定がされ、道路標識や眺望景観など様々な視点で景観保全が図られている。
 中でもこまちなみ保存条例は、通路を挟んで旧町単位で散在的に残存する歴史的小規模建築物の保存と修景を行っている。補助率は7割で補助上限500万円はかなり手厚い支援だ。また、整備にあたっては設計段階から協議を行うこととしており、歴史建造物整備課には8名の専門職の職員を配置している。
 また、まちづくり条例では都市計画区域外も含めて市全域を対象に、まちづくり協定に基づくルールづくりと規制を行っている。協定では自動販売機や商品陳列ワゴンの禁止など、地区計画制度では規制できない内容も定めている。また、全市的に高度地区による高さ制限を行うとともに、定住促進条例ではまちなか区域を定め、上限200万円までの住宅建築奨励金や空家購入改修補助、マンション購入奨励金などを支給している。
 こうした歴史まちづくりを進めるための市役所の組織体制として、都市政策局の下に歴史文化課を置き、都市整備局や土木局と同じフロアーとして一体的な整備を図っている。
 川上先生が特に中心的に関わっている事業としては「金澤町家」への取組みがある。平成20年・21年度に金澤町家再生活用モデル事業を実施し、内部改修も含め、上限600万円の改修補助を行った。この事業により、元材木店を活用したギャラリー&カフェ、フランス料理のレストランなどがオープンし、また工芸工房開設奨励制度を活用して、町家職人工房が整備されている。その後、この制度は金澤町家再生活用補助事業として制度化され、多くの実績を上げている。
 現在、川上先生が理事長として関わっているのが、NPO法人金澤町家研究会だ。金沢職人大学校やその修了生によって設立された実務集団「LLP金澤町家」などと連携しつつ、金澤町家に関する調査研究や金澤町家の魅力発信、交流事業等を行っている。毎年1回、金澤町家巡遊というイベントを開催し、町家deアート、町家deマナブ、町家deタノシムなどの催しを行うとともに、町家情報バンクや町家流通コーディネート事業などにも取り組んでいる。また、学生や留学生にシェア居住する町家を紹介する一般社団法人金澤町家ドミトリー推進機構といった組織もある。
 最後に、これらの取り組みを踏まえ、今後の課題をまとめられた。国の制度の積極的な活用と自主条例等による独自の取組みにより、歴史的資源の活用が進展し、観光・交流人口も増加するなどの成果が出ている。今後は、高齢化や人口減少、財政的な制約などを踏まえ、補助内容をより効果が出るように工夫するとともに、民間人材を活用する方向へ仕組みを変えていく必要がある。景観はあくまで手がかりであり、住民参加によるまちづくりに向けて取り組んでいくことが必要だというまとめだった。また金沢は先月、北陸新幹線が東京まで開通し、時間距離が1時間半近く短縮された。観光客も非常に増加しているが、これを維持し、移住・定住につなげ、さらには企業・生産拠点の移設まで進めていきたい。そうした期待をこめて全体の話をまとめられた。
 講演後の質疑応答では、どうしてこうした取組みが可能であったのか、イニシアティブは誰が取っているのかという質問が出た。これには1990年から5期20年間、市長を務めた山出保氏の影響が大きい。金沢市職員として最後は助役まで務めた上で市長に当選。上述の施策を精力的にこなした。だが、単にワンマン市長だったわけではなく、その背景には市長の支持母体となった町内会の存在が大きい。住民の側も行政による歴史まちづくりを積極的に支持し、これを支えた。これはまさに加賀百万石の誇りと伝統の力であるだろう。
 多選・高年齢批判もあり、山出氏は2010年、現在の山野市長に選挙で破れた。現山野市政は基本的に山出市政を引き継ぎ、金澤町家条例なども成立させている。新幹線特需が去った後の金沢市がどうなっていくか。これまでの歩みがあまりに力強かっただけに、楽しみでもあり不安でもある。講演を聴いて最近の金沢にまた行きたくなったが、ブームが過ぎ去るのをしばし待つことにしよう。金沢市としてはもちろんブームが去らないことを願っているだろうが。