日本の醜さについて

 井上章一を私は建築史家と思っている。「京都ぎらい」でブレイクして以降、本人は自分のことをどう考えているのだろう。本書は「小説幻冬」という文藝詩で連載した「結局、日本人とは何なのか?」を改題し加筆修正したものと書かれている。「あとがき」では「ちょっとした作家気分も・・・いだくことができ」たと書いている。文筆家、社会評論家といった風情か。でも内容は明らかに建築史家。建築を学び育った人間が社会学者や文学者に対して、「みなさん偉そうに『日本人は集団主義だ。空気を読む』なんて言うけれど、都市景観はまったく集団主義的ではありませんよ。逆に、西欧と比べても極端に個人主義的です。書斎の中、建物の中に閉じこもってばかりおらず、外の、現実の姿を見たらいかがですか」と異議を申し立てる。
 建築史家にとって当たり前のことが、社会科学分野では全く顧みられない状況に憤り、呆れ、でもどうしてそうなるかまでは解明できず、それで苛立つとまではいけずに、その違いを面白がっている。だから、本書に書かれていることは都市や建築を学んだ者なら当たり前のことばかり。いや、文藝愛好者を前に、ちょっと書き過ぎのステレオタイプにさえなっている。
 でも結局、なぜ日本人は、こと建築や都市景観においてこれほどまでに個人主義的で自由になりすぎてしまったのか。それは社会における集団主義的な性向でもって説明できるのか。もしくは人間は本来、個人主義的で、都市景観を集団的にしばる欧米のあり方のほうが特殊なのか。そうなった理由はあるのか。ホッブズやスピノなどの哲学を駆使すれば説明できるような気もする。そういえば松原隆一郎「失われた景観」はこのことをどう考察していたっけ。でも面倒なので、読み返すまではしないけど。

○建築に関しては、ヨーロッパのほうが、はるかに集団主義的である。個人主義的なのは日本だと、そう言わざるをえない。・・・都市と建築を比較するかぎり、自我の肥大化を肯定したのは日本である。欧米、とりわけヨーロッパでは、それをおしとどめようとする力が、強くはたらいた。「和をもって貴し」とするような景観をこしらえたのは、あちらのほうである。日本の都市建築は、まわりの空気を読もうともしない。全体の「和」などは、歯牙にもかけてこなかった。(P22)
○アン女王時代の・・・整然とした様子が、貴族を地主とする土地でできたことも、たしかである。雑然とした日本の家並には、封建遺制などぬぐいさった小市民の自由が、いきづいている。・・・しかし、社会科学は、また歴史学もそこを見ようとしなかった。近代的エートスは、西洋ではめばえ、日本ではうまくそだたなかった、と。精神やエートスは、肉眼だと見えないのに、建物の様子は、ざっとながめるだけで、たしかめられるのもかかわらず。(P69)
○建築意匠では、自我の発露をたがいにきそいあう。・・・日本的な都市景観を象徴するそんな道頓堀で、歩行者は手摺にまもられていた。意匠はときはなたれているが、安全対策では自由をしばられている。/この風景を見ていて、つくづく思う。われわれの身体は、子どもあつかいでもされているかのように、国家から保護されている。その安全地帯で、われわれは幼児的な自我のあふれる様子を目にしてきた。(P120)
○京都は戦禍をあまりこうむらなかった。・・・旧来の街並は温存されたのに、それを自分たちの手でくずしたのである。・・・明治以降の石造建築なども、つかいつづけるつもりがあれば、維持は可能であったろう。/鉄筋コンクリートのビルを、高度成長期にぞくぞくたてていく。・・・そこに、経済的な旨味があったからである。・・・木の文化だから、日本では建築のたてかえにはずみがつきやすくなる。この説明では、現代の都市景観をもたらした推進力が、読みとけない。(P134)
安吾の論法は・・・単純である。言葉をつかう言語芸術はえらい。建築をはじめとする非言語表現は、くらべて見おとりがする。・・・一種の文学至上主義が、となえられているにすぎない。・・・建築びいきの私には、まったく逆の構図も脳裏をよぎる。宗教が信仰という本質をうしなっても、建築は生きのこりうる。・・・古代ギリシアの信仰はとだえても、パルテノン神殿がかがやきつづけたように。(P204)