【完】ドイツ流街づくり読本

 5年ほど前に同じ筆者による同タイトルの本「ドイツ流街づくり読本」を読んだ。その後、「【続】ドイツ流街づくり読本」があって、今回の「【完】ドイツ流街づくり読本」が完結編。続編は読んでいないが、最初の「ドイツ流街づくり読本」はドイツの都市計画の仕組みや実例の紹介がもう少し多かったような気がする。本書もそういう内容を期待していたが、ドイツの話はほとんど出てこない。ドイツでの経験から日本の街づくりを批判する。そういう内容の本である。
 批判の対象として取り上げるのは、板橋区ときわ台、文京区小石川植物園横の区道整備、狛江市東京航空計器跡地のマンション開発などである。
 第4章「景観と建設履行図」では、平塚黒部丘地域のたばこ工場敷地や某教育財団施設計画を事例に、実際に建設履行図を描いてみる。これを見てわかるのは、都市計画は容積率や建蔽率、用途制限などで作るものではなく、実際に建設されるべき建物を想定して行うものだということだ。第4章ではときわ台における景観計画試案を作成する過程も公表されている。そして日本の都市計画が企業の利益優先で、住民や共同体が蔑ろにされていることを国立の景観裁判を挙げて批判する。日本には「国民は国権に服する者」、権力を持った人々にとっての体のいいお客さんにすぎぬと喝破する。国民不在の政治環境。
 最後に新潟港将来構想への批判を展開する。現地を知らないと正直よくわからない。新潟出身の筆者ならではの余興として読んだ。都市計画が日本のように経済計画ではなく本当の意味で都市と建築の計画になっている。そんなドイツがうらやましい。

●企業の「利益」と、住民が享受する“利益”とは根本的に次元が異なるものである。したがって、保護されるべきは、住民の良好な景観を保持する行為と、外的要因によって損失または損害を受ける住民の生活、つまり、生活権であるのだから、住民の景観を保持する権利として「景観(保有)権」とするべきではなかろうか。・・・この方が「景観利益」とするより「住民は己の利益のためにおらが街の景観を整えているわけではない」という意図が明確にできるのではなかろうか。(P51)
●都市または町という共同体の中において、住民権利の侵害を起こす問題は、その直接被害を受ける住民だけの問題ではなく、社会全体の問題である。その一部住民の問題でも・・・放置しておけば、明日にでも自分の身に降りかかる可能性があるのだから、・・・その都市問題に関して己の意見を主張する権利をその共同体の住民は誰でも持っている。したがって、・・・直接的に悪影響を受ける住民にしかその問題に対しての公訴権がないという「原告不適格」の判断は、市民が生活する共同体の原則を認めないという、共同体の存在を無視する非民主的なものである。(P89)
●都市計画行政の任務を担うものとしての一つの大きな義務は、市域内の土地利用状況の変化を調査分析しながら、都市問題を発生させないように、必要な場合は先取りをして、建設や開発が行われる前に政策的措置を行うことにある。(P105)
●街区の一画に建物を建設することで、その街区周辺に何らかの影響を与える。その建設が大型施設であればその度合いは大きくなる。それによってその一画の構造が変わるようなことがあれば、町全体の構造にも影響を与えることになる。それ故に建築家は、建物と都市という観点の中で、概念的に縮尺一分の一から二万5000分の一の図面内容を把握していなくてはならないのである。(P168)
●戦後の押しつけられた民主主義の間違った理解の仕方が、都市環境悪化を進行させていることをはっきりと把握できた。自分の権利を主張する前に他人の権利を尊重する、または他人の権利を侵害しないということが、経済的強者の論理で踏みにじられているという現場に出会ったからである。(P195)