「オランダの社会住宅」訳者の角橋氏に聴く

 「オランダの社会住宅」の訳者で「オランダの持続可能な国土・都市づくり」の著者である角橋徹也氏の講演を聴く機会があった。私が幹事を務める都市住宅学会東海支部公共住宅部会主催の講演会の講師になっていただいたもので、角橋氏へのアポイントメントから終了後の懇親会とその後のやりとりまで対応させていただき、大変勉強になった。

 講演は、角橋氏の熟年留学後に執筆した2冊の本の内容をなぞるもので、前半、「オランダの持続可能な国土・都市づくり」をベースにしたオランダの国土、歴史、文化等に関する説明があり、その後、オランダの住宅事情、政治状況から、社会住宅制度の内容、運用、住宅協会の状況等の詳細に入っていった。

 内容をたどるのは、先に紹介した2冊の本とダブるので省略し、レジュメに書き留めたメモを参考に、特に心に残ったことを記しておきたい。

 まず、オランダの干拓の歴史と社会状況・人口動向の変化等が語られたが、「干拓の文化=協議の文化」というメモが残されている。まさに2冊の本を通して書かれていたことで、「協議の文化」からオランダの社会住宅は生まれ、支えられている。逆に言えば、それがない日本で単純に導入しても成功は難しい、ということかもしれない。ひとえに社会制度は国民の民度に支えられ、反映するものだ。

 1901年に住宅法が制定されるが、これは1875年以降の人口急増を背景にしている。特にオランダは第一次世界大戦に参戦しなかったため、戦争被害による停滞や都市破壊などもなく、劣悪な民間開発が急速に進む中で、都市計画法と一体となった住宅法が制定された。すなわち、1万人以上で20%以上の人口増加している自治体に都市計画の策定を義務付け、都市計画は建築家が主導し、美観・景観に配慮した都市づくりと住宅供給が進められた。また1920年代は赤いウィーンと呼ばれた社会・共産主義の時代で、西欧各国で低所得者向けの社会住宅の供給が始まった。アムステルダムに今も残る1920年代に建築された社会住宅は大変美しいものだと言う。

 第2次大戦後は、民間賃貸住宅の家賃が凍結され、その後衰退した。「社会住宅のマクロ経済化」とパワーポイント・データのタイトルに書かれていたが、住宅政策は常にオランダの政治課題として挙げられ、国民の関心も高い。また、土地事情も日本と大きく異なる。干拓で作られたオランダの国土は、その多くを政府や自治体が所有し、貸地されている。よって住宅事業者は社会的に連帯する「社会的企業家」にならざるを得ないのだと言う。

 オランダの住宅施策は、①社会住宅の供給、②家賃補助、③持家化促進が3大施策だと言う。家賃補助については、「オランダの社会住宅」にも詳述されていたところだが、いくつか十分記述されていなかった点について聞いてみた。

 まず、家賃補助は家主に直接支払われる。また、住宅格付システムに立地の項目がない。これは、国内でほとんど地価の差異がないのが原因らしい。政府は毎年、建設時の最高適正家賃を定めるとともに、家賃最高値上げ率も設定する。なぜ「値上げ率」なのか? 「経年変化による老朽化や物価に連動した家賃低減はないのか?」と問うたが、明確な回答はなかった。たぶん私の質問が下手だったのだろうが、経年変化というのは日本特有の家賃決定ルールのような気がするし、物価・賃金等はこの間ずっと上昇局面だったということか?

 入居者選考基準について、「誰が選考するのか?」と聞いたところ、「自治体の計画に基づき住宅協会が選定する」という答えだった。なるほど。

 これは「オランダの社会住宅」にも書かれていたことだが、オランダの家賃制度では、所得階層が最低ランクの者であっても、最低24,900円は自己負担となっている。日本の公営住宅制度では、これよりも低い家賃負担しかしていない世帯が非常に多く、運よく公営住宅に入居できた者には厚く、不運な者には薄い、受給格差が問題である。

 さらにオランダにおける最低就労収入(最低賃金)と社会保障給付額(生活保護給付金)の比較表が示されたが、65歳以上の世帯で若干逆転している他はきちんと整合しており、日本のように生活保護世帯の方が最低賃金で生活する非生活保護世帯よりも高収入という逆転現象は生じていない。

 ちなみに、日本の生活保護世帯の住宅扶助額は、2人以上の世帯には特別基準の1.3倍額が適用され、東京都で69,800円、名古屋でも46,600円が最大支給される。公営住宅の応能応益家賃額を大幅に上回っていることは言うまでもない。

 なお、参加者から指摘があったが、収入分位別の住宅種類の図表で、収入分位が低い世帯ほど民間賃貸住宅入居が多くなっており、社会住宅の最低負担額を下回る家賃で提供される劣悪な民間賃貸住宅の存在を示唆しているのではないかと思われる。日本でも民間住宅施策をどうするかは重要な課題である。

 講演会後、角橋氏を囲んで懇親会が開かれた。幸い近くの席で、角橋氏の人生についてさまざまな話を伺うことができた。大阪府職員時代に組合活動に深く関わり、53歳にして府知事選に立候補。あえなく落選したものの、その後立ち上げた都市計画コンサルタント業務は、知事選での知名度や縁でそれなりに仕事も回ってきて(特に住宅問題に関わる弁護士からの斡旋が多かったと振り返る)、10年間、コンサルタント稼業で生活した。その間、TOEICにチャレンジ、ある程度の英語力を身につけて一念発起。夫婦でオランダへ留学。その時の勉強が今回の2冊の本に成果としてつながっていると言う。

 夫婦留学の経験を記した本「オランダにみるほんとうの豊かさ-熟年オランダ留学日記」を上梓されている。実は講演会終了後、角橋氏からこの本を贈っていただいた。「おまえももっともっと人生にチャレンジしてガンバレ」という叱咤激励だと感じた。甘んじて受けたいと思う。角橋氏と私との違いは、オランダと日本との違いほど遠くないはず、だから。