伊東豊雄 美しい建築に人は集まる

 平凡社「のこす言葉 KOKORO BOOKLET」シリーズの1冊。先に詠んだ「藤森輝信 建築が人にはたらきかけること」に続いて、今度は伊東豊雄が語る。
 伊東豊雄は外観的にはすごく若く見えるが、来年には80歳になる。藤森輝信よりも5歳。隈研吾と比べれば、一回り以上も上だ。だが、語る内容は、はるかに若々しいし、よく考えているし、地域や住民に近いところにいる。そして、まだ結論に達していない。未だに考え続けている。それがまた人を惹き付けるのだろう。実に魅力的だ。
 伊東豊雄の作品は「シルバーハット」の頃から知ってはいるが、本書を読むと、時代と共に、大きく変化を続けていることがわかる。「八代市立博物館」や「下諏訪町諏訪湖博物館」は実際に見学にも行ったが、それらから「せんだいメディアテーク」まで、わずか10年余りしか経っていないことに驚く。「せんだいメディアテーク」伊東豊雄は大きく変化したと感じた。各務原市「瞑想の森 市営斎場」も面白く見たが、それは「せんだいメディアテーク」よりも6年も後の作品だった。そして、仙台市宮城野区福田町南仮設住宅に建設された「みんなの家」。あれは確かに普通だった。伊東氏にとって、そこで学んだことも大きかったようだ。さらに4年後には「みんなの森 ぎふメディアコスモス」。これはまだ見ていない。いい加減、見に行かなくては。
 私が見た限りでも、伊東豊雄の作品はいずれも素晴らしいが、本書で「美しい建築をつくりたい」と語る。コンセプトで建築をつくるのではなく、「美しさ」。そして、人と自然との関係の中から建築をつくっていく。人と自然と建築の関係を再編したい、と語る。まさに80歳にして、なお。
 一方で、新国立競技場のコンペに対して批判的に語る個所もある。国交省からの内閣総理大臣補佐官と言えば、菅総理が信を寄せる和泉氏のことに違いない。そして「あまりにも政治色の強いレースだった」と批判するが、だからこそ、伊東氏には落選してもらって良かったと思いたい。もちろん伊東作品が新国立競技場として完成しておれば、隈作品よりもはるかに「美しかった」とは思うが、あんな政治まみれの場所で汚される伊東作品は見たくない。瀬戸内海の自然の中でこそ、伊東作品はふさわしい。大三島の「今治市伊東豊雄建築ミュージアム」他の建物も見に行かなくては。
 昨年、脳幹梗塞で倒れたということも知らなかった。伊東氏にはまだまだいつまでも活躍してほしい。そう、安倍元総理が目指したのとは異なる、伊東氏の建築にふさわしい真の意味での「美しい日本」が実現する日まで。

○日本語で思考してきたことと、身体性は深く関係していると感じます。…それは日本語の持つ曖昧さによるところが大きい。…近代化された社会の中で、ヨーロッパの近代とは違う、日本人の身体性を探っていきたい。/それが、これからの時代の、世界に通じる建築思想になると思っています。(P31)
○菊竹事務所での教訓は、頭で考えたことなんて三日で変わってしまう、でも腹の底からこれがいいと思ったことは少なくとも一、二年は変わらない。…ものをつくること、建築をつくるとは、こういうことなんだと初めてわかったような気がしました。頭じゃなくて、身体で考える。(P50)
国交省からの内閣総理大臣補佐官がすべてを仕切っていて、すべては彼のストーリーどおりに進んでいく…完成されたスタジアムの凡庸さを見ると悔しさが蘇ってきます。あまりにも政治色の濃いレースだったと、いまでも思います。…公共建築の問題は、それを利用する人と、それを設計する人の間に…官僚組織が存在していて、その官僚組織が衰退していることにあると思います。(P71)
○いま、どういう建築をつくりたいか。/ひとことで言えといわれれば、美しい建築をつくりたい。それにつきます。いつからか…人は…コンセプトという言葉で、建築を語るようになった。それは、都市の理屈で建築を考えているからではないかと思います。…東日本大震災のとき、都市ではないところに住んでいる人たちと出会って、都市ではない町の可能性から建築を考えるようになりました。(P75)
○これからの建築は、人と自然と建築との関係を、もう一回どう組み直すか。再編するか。そこにかかっていると思っています。…近代主義の時代を超えた先に、自然との関係を回復した建築はどのように可能だろうかと考えたときに、僕は「内なる自然」ということをテーマにしています。…つまり、どこにでもある自然と違って、人の手を加えてつくられたもうひとつの自然ならば、現代のわれわれも考えられるんじゃないか。…多くの人が共感してくれるような空間をつくることができると思うのです。(P92)

藤森照信 建築が人にはたらきかけること

 大きさもB6変型判(17.6cm)。ページ数もわずか128ページ。あっという間に読み終えてしまった。「のこす言葉 KOKORO BOOKLET」シリーズの中の一冊。既刊を見ると、金子兜太、大林信彦、安野光雄、中川李枝子など。建築家は藤森照信だけ(その後、「伊藤豊雄」が刊行されたから、近いうちにこちらも読もうと思う)。だから、あくまで一般読者を対象に、建築史家であり、建築家の藤森照信の言葉を伝えようというもの。だから全編、語り下ろし。平凡社のサイトでは「語り下ろし自伝シリーズ」と銘打っている。
 それで本書では、第1章「建築史家が建築をつくる暴挙」で、藤森照信は何を考えて自らの建築をつくっているのかを語り、第2章と第3章では、生まれた時から建築史家として活躍を始めるまでを語る。第4章「人類は二度、建築をゼロからつくった」は、藤森氏による建築観が披露されるが、その中では、住宅の保守性について語っている部分が最も興味深い。
 そして、冒頭で書いているとおり、藤森照信自身はエコロジー建築をつくっているのではないと全否定している。それは建築を学んだものなら知っていることだが、一般の人の多くは勘違いをしているかもしれない。一流の建築家は理論を語らない。語ったとしての「その理論だけによって建築をつくってるわけじゃない」(P106)という言葉も興味深い。だから私は隈研吾を信用しないのだ。彼は受けの言い言葉を語るだけで、その言葉と建築は必ずズレている。藤森照信はそのことをしっかり見抜いている。藤森照信はまた好きになる一冊である。

○私が設計する建築は、屋根に草を生やしたり、木を植えたり、いわゆる普通の建築とは少し違った風体をしています。壁や柱も、栗の木や銅板など自然素材やそれに近いものを独自の仕上げ方で使います。それはしかし、世にいう自然志向とかエコロジーというものとは関係が薄い。表現としての植物仕上げであり、自然材料なのです。/自然と建築の関係は、私にとって設計をするときの最大のテーマです。(P4)
○土間に接して、ちっちゃな部屋があって、そこが子ども心にすごく気味が悪かった。日頃は絶対に行かない。にもかかわらず、「お部屋」と呼ばれていました。板敷で、四畳半あるかないか。私はその部屋で生まれました。出産の部屋で、一番暗い、じめじめした部屋でした。…かつて日本の伝統的な村や家には、お産のときに使うこうした産屋がありました。(P69)
○江戸時代になくて、近代になって入ってきたものが、昭和20年代当時の生活のなかにどれくらいあったろうかと数えてみても、極めて少ない。…電灯、ラジオ、水道、ガラスだけです。/にもかかわらず…毎日通う学校はじめ郵便局、警察、役所、病院などは、全部近代になって入ってきたものです。…近代化のシステムは整っているけれど、人々の暮らしはほぼ前近代のままで、そこから近代的な学校や役所へ通って、前近代と近代の間を行ったり来たりしている。(P75)
○私は“相撲を取るように見る”と言ってます。つくった人が勝つか、私が勝つか、です。建物がいいか悪いかではない。…優れた建築は、本人も気づかなかった意味がいっぱい入ってる。だから、時代を超えられる。本人が自覚した点は…その時代のなかで考えたことで、時代が変われば消えていく。だけど時代を超えるものがある。…偶然もあると思うし、無意識もある。そういう質を持った建築は…時代が変わっても生き続ける力がある。それを見抜くのが、私にとっては一番の勝ちです。(P97)
○住まいっていうのは、平気で5000年くらい変わらないんです。…世の中はどんどん変わっていくし、お寺のような立派な建物だって目にしてる。…でも、それは自分の暮らしとは関係ない。無意識の世界は昨日と変わらないものだから。昨日と変わらない限り意識はされないのです。…よほど追い詰められない限り、特に住むことに関して人は旧状を保とうとする。住生活の大事な特徴だと思います。住むことは保守的で、それが人の心のなかに安定性を与えているといえます。(P114)

マイホームの彼方に☆

 「あとがき」でも書かれているが、神戸大名誉教授の早川和男先生が一昨年の7月に亡くなった。平山氏は早川先生直系の後継者として、一貫して住宅問題・住宅政策への研究を進めている。前著「都市の条件」から早や8年。久しぶりの新刊はタイトルこそやや軽い感もするが、まさに筆者渾身の一冊と言える。
 「都市の条件」の読後ブログでは、量的に貧弱な公共賃貸や低劣な民間賃貸を批判する平山氏に対して、「戸建て住宅に多くの空き家が発生し始めた中…これらの余剰ストックを活用できないだろうか」と書いた。まさか私のブログを読んでもらっているとは思わないが、本書では、持ち家を含めた現在の日本の住宅事情をこれまでの住宅政策の結果として見事に描いているし、人口減少と経済の低迷が確実なものとなるこれからの「成長後の時代」における日本の住宅事情を的確に予測している。さらにその解決に向けた提案も盛り込まれている。これからの住宅政策者には必須の本と言えるだろう。
 今回、筆者の視点は明確に「持ち家」に向けられている。日本の住宅政策において一貫して進められてきた「持ち家政策」。その意図と成果について、第3章から第5章にかけて、3期に区切って日本の住宅政策の変遷を追う。戦後の住宅難の時代から90年代半ばにかけて、経済政策の一環としての開発主義により進められた住宅政策から、21世紀に入って以降、新自由主義による「市場化」とカテゴラリ化された「セーフティネット」が住宅政策の大きな柱となった。しかし、持ち家政策の原動力であった人口や世帯の増加と経済成長が見込めなくなった「成長後の社会」において、日本の住宅事情はどうなっていくのか。
 第6章では、住宅ローン返済が終わったアウトライト持ち家を中心に、住宅土地統計調査や全国消費実態調査のミクロデータを再集計することで、住居費を差し引いた実質可処分所得AHI(アフター・ハウジング・インカム)や住宅・宅地評価額から負債現在高を差し引いた住宅・宅地資産額(エクイティ)などを算出し、持ち家層においても生活がさらに厳しくなっている現状を明らかにする。また一般世帯だけでなく、若年層と高齢層の現状や住まいの世代間継承による影響に対しても目配りを忘れず、分析をしている。ここまで丁寧に潰していけば、私としてこれ以上の注文はない。
 「あとがき」で「個人所有の促進ばかりに傾いた戦後住宅政策の『成果』として、住宅問題は、社会問題から個人問題に転化した。この本では、高齢者がさらに増える低成長の時代を迎え、住む場所をどうするのかを、社会レベルの問いとして位置づけ直そうとした」(P343)と書いている。もともとは新書としての依頼だったものが、単行本となってしまったそうだ。しかし本書の内容が建築・住宅研究者の中だけに留まっていてはもったいない。社会全体の課題として、もっと多くの人に「成長後の時代の住宅政策」について考えてほしい。そのためにも次はぜひ、新書版の執筆と発行を期待したい。平山先生もそろそろ神戸大退官が近付いているかもしれない。その集大成に相応しい内容の本である。

マイホームの彼方に (単行本)

マイホームの彼方に (単行本)

○政府の住宅政策がはたす役割の一つは、所得再分配を進め、より低所得の階層の住宅事情を改善する点にあると考えられてきた。しかし、新自由主義イデオロギーが台頭するにしたがい、低所得者向け住宅政策は縮小し、その再分配機能は衰えた。住まいの商品化をめざし、再分配を減らす住宅システムの政策・制度は、社会を再階層化する原因となった。(P32)
○日本の住宅政策の構成は、“階層別供給”から“市場化とセーフティネットの組み合わせ”に変化した。…新しい住宅政策が前提とするのは、社会の「内/外」への二分という認識である。…住宅市場の「外」に位置するごく少数の「特殊」な人たちのために、最小限のセーフティネットをつくる方針が示された。…住宅困窮を「カテゴリー」化する技術は、住宅政策のあり方…を…“脱社会化”し、さらに”脱政治化”する。(P228)
○持ち家ストックとその資産価値の世代間移転は、複数世代にまたがる家族を…「蓄積家族」…「食いつぶし家族」…「賃貸家族」に分割した。…持ち家の大衆化によって、中間層のライフスタイルが普及し、人びとの平等の程度が上がると考えられていた時代は、すでに終わった。…「開発主義的新自由主義」の住宅政策には、再分配の仕組みがほとんど備わっていない。…むしろ拡大するメカニズムを構成した。住宅不平等の構造を説明しようとするのであれば、その原因としての住宅システムの役割への注目が不可欠になる。(P322)
○さまざまな脱商品化住宅の「パッチワーク」の形成が日本の住宅システムを特徴づけていた。公共賃貸住宅の供給は少量のままであった。しかし、脱商品化セクターの一角は…低家賃の給与住宅によって占められた。…さらに、借家法は…民営借家における契約解除、家賃値上げなどを規制した。…若年グループでは、世帯内単身者が増大した。…高齢グループでは、脱商品化住宅としてアウトライト持ち家に住んでいる人が多い。…新自由主義の政策改革のもとで、住まいの脱商品化セクターは縮小した。しかし、成長後の社会では、脱商品化住宅をどのように確保するのかが問われ…論点になる。(P334)
○社会次元での持ち家に価値を認めるイデオロギーがあってはじめて、住宅と住宅ローンの購入を促進する経済次元のシステムが成り立つ。…住宅所有の商品化と金融化、そして市場化は…社会を再階層化し、不平等を再拡大した。住宅の経済側面は、社会側面からしだいに分離・自立し、肥大した。そして、持ち家促進の「経済プロジェクト」は、それ自体が拠り所としていた「社会プログラム」を壊すことで、自身を危機にさらすようになる。(P339)