藤森照信 建築が人にはたらきかけること

 大きさもB6変型判(17.6cm)。ページ数もわずか128ページ。あっという間に読み終えてしまった。「のこす言葉 KOKORO BOOKLET」シリーズの中の一冊。既刊を見ると、金子兜太、大林信彦、安野光雄、中川李枝子など。建築家は藤森照信だけ(その後、「伊藤豊雄」が刊行されたから、近いうちにこちらも読もうと思う)。だから、あくまで一般読者を対象に、建築史家であり、建築家の藤森照信の言葉を伝えようというもの。だから全編、語り下ろし。平凡社のサイトでは「語り下ろし自伝シリーズ」と銘打っている。
 それで本書では、第1章「建築史家が建築をつくる暴挙」で、藤森照信は何を考えて自らの建築をつくっているのかを語り、第2章と第3章では、生まれた時から建築史家として活躍を始めるまでを語る。第4章「人類は二度、建築をゼロからつくった」は、藤森氏による建築観が披露されるが、その中では、住宅の保守性について語っている部分が最も興味深い。
 そして、冒頭で書いているとおり、藤森照信自身はエコロジー建築をつくっているのではないと全否定している。それは建築を学んだものなら知っていることだが、一般の人の多くは勘違いをしているかもしれない。一流の建築家は理論を語らない。語ったとしての「その理論だけによって建築をつくってるわけじゃない」(P106)という言葉も興味深い。だから私は隈研吾を信用しないのだ。彼は受けの言い言葉を語るだけで、その言葉と建築は必ずズレている。藤森照信はそのことをしっかり見抜いている。藤森照信はまた好きになる一冊である。

○私が設計する建築は、屋根に草を生やしたり、木を植えたり、いわゆる普通の建築とは少し違った風体をしています。壁や柱も、栗の木や銅板など自然素材やそれに近いものを独自の仕上げ方で使います。それはしかし、世にいう自然志向とかエコロジーというものとは関係が薄い。表現としての植物仕上げであり、自然材料なのです。/自然と建築の関係は、私にとって設計をするときの最大のテーマです。(P4)
○土間に接して、ちっちゃな部屋があって、そこが子ども心にすごく気味が悪かった。日頃は絶対に行かない。にもかかわらず、「お部屋」と呼ばれていました。板敷で、四畳半あるかないか。私はその部屋で生まれました。出産の部屋で、一番暗い、じめじめした部屋でした。…かつて日本の伝統的な村や家には、お産のときに使うこうした産屋がありました。(P69)
○江戸時代になくて、近代になって入ってきたものが、昭和20年代当時の生活のなかにどれくらいあったろうかと数えてみても、極めて少ない。…電灯、ラジオ、水道、ガラスだけです。/にもかかわらず…毎日通う学校はじめ郵便局、警察、役所、病院などは、全部近代になって入ってきたものです。…近代化のシステムは整っているけれど、人々の暮らしはほぼ前近代のままで、そこから近代的な学校や役所へ通って、前近代と近代の間を行ったり来たりしている。(P75)
○私は“相撲を取るように見る”と言ってます。つくった人が勝つか、私が勝つか、です。建物がいいか悪いかではない。…優れた建築は、本人も気づかなかった意味がいっぱい入ってる。だから、時代を超えられる。本人が自覚した点は…その時代のなかで考えたことで、時代が変われば消えていく。だけど時代を超えるものがある。…偶然もあると思うし、無意識もある。そういう質を持った建築は…時代が変わっても生き続ける力がある。それを見抜くのが、私にとっては一番の勝ちです。(P97)
○住まいっていうのは、平気で5000年くらい変わらないんです。…世の中はどんどん変わっていくし、お寺のような立派な建物だって目にしてる。…でも、それは自分の暮らしとは関係ない。無意識の世界は昨日と変わらないものだから。昨日と変わらない限り意識はされないのです。…よほど追い詰められない限り、特に住むことに関して人は旧状を保とうとする。住生活の大事な特徴だと思います。住むことは保守的で、それが人の心のなかに安定性を与えているといえます。(P114)