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階級都市

 「橋爪紳也」氏が書いた都市論だと勘違いしていた。筆者の「橋本健二」氏は社会学者。それも「都市社会学」という分野があるらしい。本書はタイトルのとおり、社会階級が都市に表れているということを説明するものだが、それだけなら、「山の手」と「下町」を取り上げれば足りる。実際、本書でも第3章では山の手と下町の形成史や文化の違い等を文学作品や古い雑誌等から説明するのだが、筆者の関心はそれだけではない。

 一つは最近の格差社会の進行に伴い、特に東京の各地域の格差はどのように現われているのか示すこと。そしてもう一つは、それが地域内の格差拡大という形で表れていることを説明する。そのための道具立てが第4章で用いる統計的手法だ。23区別の収入や学歴、ジニ係数等を用いて、23区間の格差が拡大するとともに、各区内において格差が拡大していることを証明する。いわゆるジェントリフィケーションである。最近、下町の工場跡地などを再開発したビルに上級階層が住みつく現象が各地で見られる。六本木ヒルズなどはその典型だ。

 これらの現状を説明した後、第5章で突然、街歩きを始める。最初は、六本木ヒルズから湾岸へ。次いで、文京区春日から根津を経て谷中へ。さらに板橋と練馬の境の街々を。世田谷区では三軒茶屋から下北沢、そして祖師谷から成城、国分寺崖線の山の手に並ぶ高級住宅地を確認する。最後は足立区を北千住から歩き、新住民と旧人民の軋轢を見る。

 街歩きの最後は居酒屋だ。結局、この人は街歩きを楽しむために社会学を研究しているのかと思う。もちろん人のことは言えない。僕は建築や都市計画を学んで、まち歩きを楽しんでいるのだから。

 まとめの第6章「階級都市から交雑都市へ」で、やはりソーシャルミックスをめざす方が、人々の健康や教育水準を高め、文化を発展させ、相互理解を促すと利点を主張する。だが、それを妨げる人々の意識をいかに変化させるか、その具体的な提案は書かれない。先日、法政大の稲葉佳子氏が「社会学者は現象の要因を明らかにするところに留まるが、工学系の専門家は解決策を示そうとする」といった趣旨のことを述べていたが、まさにそのとおり。下町に建設された東京スカイツリーが交雑都市の形成につながることを期待する旨の記述で本書は締めくくられるが、本当にそうなるだろうか。そのための仕掛けや戦略が東京スカイツリーを建設する東武鉄道墨田区にあるようには思えないのだが。

●都市とは、単なる人口の集積ではない。だから、多数の人が集まる難民キャンプを都市とは呼ばない。また都市とは、単なる産業の集積ではない。だから、石油コンビナートや巨大な製鉄所は都市ではない。集合的消費手段が配備され、大量の労働力が再生産される空間的な単位のことを、都市と呼ぶのである。(P052)
●震災前の好況期には、閑静な住宅地だった山の手にも工場が進出し、商業地も形成されたが、震災後の都市計画によって、それぞれの地域には同一目的の建築物を集めることになった。/これによって山の手は「多種多様の生産過程、並に生活様式の混在から免れ」、住宅地としての色彩を保つようになった。・・・労働者階級(プロ)は下町に住み、新中間階級(プチブル)は山の手に住む。このような山の手と下町の階級的性格の違いは、以前にも増して明確になったということができる。(P106)
●人々はしばしば、・・・みずからの社会的地位にふさわしいとされる地域に住もうとする。このことが、地域の格差を再生産し、固定化させる。それだけではない。このような居住分化の構造は、人々から居住の自由を奪う。どの場所に住むかの選択に対して社会的圧力が加わり、自由な選択が妨げられるからである。(P253)
●かつて東京都庁の新宿移転は、東京の西進と下町の没落を印象づけたが、スカイツリーは正反対の効果をもち、下町の復興のシンボルとなる可能性がある。/下町に、下町を愛する高学歴の新中間階級が流れ込み、高層マンションのようなゲットーに立てこもることなく定住することによって、彼ら・彼女らの親しんできた文化と従来からある下町文化が交雑し、新しい下町が生まれることに期待したい。(P264)