団地と共生

 芝園団地は首都圏では有名な中国人が多く住むUR団地らしい。団地における外国人問題に関心を抱いた筆者は2014年から芝園団地に住み始め、かつ自治会役員になり、日本人と外国人の交流や良好な住環境づくりに関わっている。しかし、交流イベントなどは自ら企画するわけでもなく、大学に助けを求め、学生たちの取り組みを支援しつつ、自治会と住民たちの状況を観察している。
 いったい彼はどうやって生計を立てているのだろう。早稲田大学卒業後、三井物産で10年弱働き、松下政経塾で学んだ。ということは、政治家志望なのかもしれないが、バイトなどに奔走している様子もない。今は、芝園団地自治会の事務局長を務めているというのだが、有給なのだろうか? いずれにせよ、筆者に特段の知識やノウハウがあるわけではない。意欲は感じられるが、何をしたいという目的があるわけでもない。無手勝流で住民の中に入り、自治会役員や中国人などに話を聞き、しかし一方では過剰なほど、高齢の自治会役員や住民に気を遣う。正直、読んでいてイライラするばかり。
 そして辿り着いたのが、外国人を特別な存在とする見方自体が自分の勝手な思い込みだったのではないか、という結論。ある意味、当たり前な気もするが、無手勝流で団地住民の中に飛び込んで、辿り着いたことには意味があるのかもしれない。あえて「外国人混在団地」とタイトルに付けなかったのは、そういう意識の故か。
 人は「困った、困った」と言いながら何とか住んでいくもの。時に引っ越したり、怒ったり、トラブルにもなるが、それでも何とか妥協点を見つけて生きていく。もちろんトラブルや嫌な思いをすることは少ないに越したことはないが、それをURや行政にどこまで期待していいのか。難しい問題ではある。成功例として紹介していないのは、正直な態度なのかもしれない。当たり前な結論だけど、渦中で試行錯誤したからわかったことでもある。副題に「芝園団地自治会事務局長 2000日の記録」とあるのはある意味、そのことを示しているのかもしれない。

○顔見知りによる「お互いに協力する関係」を、「共生」と定義してみよう。…「共存」とは、「お互いに静かに暮らせる」ような、いわば最低限必要になる地域社会の土台である。「共存」の関係さえ築くことができれば、住民同士にさまざまな違いがあったとしても、近所付き合いができる可能性は生まれてくる。そうなれば、「お互いに協力する」に発展するかもしれない。/ようは、「共存」あっての「共生」なのだ。(P70)
○イベントは、自分ひとりか友だちとともに参加するので、見知らぬ人には声をかけない…。つまり、「大きなイベント」ばかりを開催しても、日本人が外国人と顔見知りになるとは限らない。…企画する段階から集まって交流することを、学生たちは「プロセスからの交流」と名付けた。他方、「大きなイベント」では、準備されたイベントに参加するだけなので、「結果の交流」と呼ぶことになった。/「プロセスからの交流」が実現すれば、外国人との関係づくりが進展するように思われた。(P118)
○考えてみれば、そもそも「外国人」という表現は、他人の特徴的な部分を自分のものさしで示しているにすぎない。たまたま相手の特徴が「外国人」だったのであり、たとえば「新入り」とか、「若者」、「高齢者」と表現するのに似ている。…どうやら、「外国人」に対する不満や「外国人」が嫌いな人の態度を見聞きして、「外国人」の全般に日本人住人の偏見があると考えていたことこそ、私の思い込みだったことがだんだんわかってきた。(P202)
○あの日の夏祭りで、日本人と外国人のあいだに「心の国境」があるように私が感じたのは…「芝園団地では、日本人と外国人のあいだで何かが起きている…」。そんなふうに思い込んでいた「わたし」が、勝手に両者を分けて見ていたのかもしれない。つまり、「心の国境」は両者のあいだにあったのではなくて、「わたし」の心のなかに築かれた虚像だったのだ。(P212)
○都会で暮らす人々は、移動が激しい。/都会で暮らす人々のあいだでは、若者と高齢者、古参と新参、子どもの有無、日本人と外国人というように、多様化が進んでいる。…多様な人々が暮らす地域では、お互いの「共通点」が少なくなり…「見知らぬ隣人」になりやすい。…私たちが都会で暮らす以上、まずはこうした現実を受け止めることが重要だ。そして、自治活動を展開する際に、「見知らぬ隣人」同士をどうやって「ゆるやか」に結びつけたらよいのかを考える必要があろう。(P223)