外国人居住者の居場所-ある団地での誕生と終焉

 建築雑誌2012年5月号に掲載され、2012年日本建築学会優秀卒業論文賞を受賞したことから、指導教官の小松先生にお願いし、現在は名古屋大学大学院修士1年の筧さんに研究報告をしてもらった。発表論文だけでなく、その前段としての外国人登録者の状況や研究対象とした住宅団地を巡る状況、外国人居住への様々な対策の現状等の説明から始まり、論文執筆後の地元住民やNPOとの交流・意見交換等の状況まで、様々な話を聞かせていただき、その後の意見交換も興味深いものだった。

 対象団地はUR賃貸住宅(約1600戸)と県営住宅(約1350戸)をUR宅地分譲地(約600戸)が取り囲んだ形をした約3550戸余りの住宅団地である。居住人口7971人のうち外国人が3781人と約半数に近い。こうした状況に、地元自治会では交流イベントの実施や回覧板等の多言語化、防犯パトロールの実施などに取組み、市では国際課を設置して関係者による多文化共生推進会議を設置するなどの対策を進めてきた。また外国人居住をサポートするNPOも5団体ほど設立され、日本語教室やブラジル人学校の運営、放課後学習支援、未就学児対策などに取り組んでいる。

 本研究はこうした状況の中、団地の一角に生まれた「トラックヤード」と呼ばれる外国人居住者の居場所の設置から撤去までの経過を追い、その要因等を考察している。

 事の始まりは1995年頃、団地内の路上に外国人向けの移動販売車が出現するようになったことによる。外国人が多く住む県営住宅団地とスーパーマーケット等のある商業・業務地区との動線付近に停車された販売車には多くの客が集まり、中にはまるでドライブスルーのように販売車の外側に横付けて購入するクルマまで現れ、交通渋滞が問題となった。

 ちょうどその時期に団地内の不法駐車問題に対応するため、団地内の4自治会が合同で駐車場委員会を設置。団地内の市有地を借地し、駐車場を整備することとなり、その一環として2000年頃、駐車場の一角に移動販売車専用の駐車ゾーン「トラックヤード」が出現した。販売車からは駐車場料金を徴収していたが、そのうちにテントが設置され、プレハブ店舗が設置され、2005年にはついに軽量鉄骨造の店舗が建設された。この間、駐車場委員会は、契約上は駐車場内での営業は不可となっていたにも関わらず、口頭で商売を許可。さらにプレハブ店舗の設置に対しても、移動できることを条件に許可をしている。

 トラックヤードの場所は、当初、移動販売車が停車していた場所からやや移動し、県営住宅からの動線からは外れることとなった。これにより、県営住宅に入居する日本人の来店が減り、外国人の利用が増える。特にこの団地では滞在歴や出身都市等により複数のエスニック・グループができていたが、日本語能力が乏しい外国人にとっては、同郷等で構成されるエスニック・グループの存在は貴重な情報交換の場であり、グループの活動は主としてこのトラックヤードで展開されるようになる。

 軽量鉄骨造店舗が建設され、室内にはビリヤード台やトランプ室(賭博?)などもできると、団地外から訪問する外国人が増加し、外国人グループ同士の喧嘩なども発生するようになる。また外部からは見通せないことから周辺住民にとっては不安でもあり、撤去を求める声が次第に強くなっていった。

 自治会では2006年になってようやく駐車場委員会のメンバーを一新。市も駐車場委員会に対して契約違反であることを通告。建築相談課も違法建築の撤去を指示した。一方、設置側は撤去を拒否して抵抗。結局、裁判の末に2011年になって撤去が決定。現在は通常の駐車場として再整備され、利用されている。

 卒業論文ではこれらの経緯や顛末、その後の状況などを丁寧に取材。上に書いたようなことを明らかにしたうえで、外国人にとっての居場所をどう考えるか、またその空間的課題について考察をしている。

 その際に筧さんが特に注目しているのが、セグリゲーション(棲み分け)だ。居場所が外国人だけの場所として周縁部に設置され、立地的にも、施設形状としても日本人の関与が難しい状況にしてしまったことがセグリゲーションを引き起こした要因と考察している。一方で、外国人と日本人が自治会事務所でうまく融和し交流している団地もあり、こうした差が出る要因として、居場所のあり方が影響したという分析である。

 もちろんそれだけではない。意見交換では、外国人数が十分多くて日本人とは交流がなくてもコミュニティが成り立つ状況にあったことが要因の一つだという意見があり、そもそも特別な居場所は必要かという意見もあった。今年度になってから筧さんが参加したNPOとの意見交換会やシンポジウム等でも同様の意見があり、「日本人にも居場所が必要だ」「共生は無理。共存なら可能」「外国人の自治会加入率が低すぎる」といった声があったそうだ。

 ちなみにこの団地内でも、県営住宅に入居する外国人の自治会加入率はほぼ100%だそうで、これは自治会活動が二つの要素から成り立っていることを示している。一つは「共用施設の管理」で、外灯やエレベーター等の維持管理は日本人・外国人の別なく共同で実施しなくてはならない。もう一つは「交流・助け合い」で、こちらは必ずしも自治会でなくても別の組織や仕組みで代替することができる。公営住宅の自治会は必ず一つ目の活動が伴うため、外国人も加入せざるを得ないが、URが共益費まで徴収し管理するUR賃貸住宅では自治会に加入する直接的なメリットが感じられない。しかし考えてみると自治会加入率が低いのは都心の若年単身者も同様である。そして彼らは後者の「交流・助け合い」要素を会社やネット等で代替・補完し生活している。

 また居場所の必要性についても、「交流・助け合い」の形によって様々な場所が利用されている。高齢者のコミュニティ活動、若者のコミュニティ活動とも、それぞれの居場所で活動が行われている。それは集会所のこともあるし、学校や公園、広場、喫茶店など様々だ。

 小松先生から「居場所が必要。ということではなく、居場所となっている場所は大事にしたい。」という発言があった。このケースでは元の移動販売車のあった場所が、外国人コミュニティにとってはもちろん、日本人との交流の点でも最適な居場所となっていた。そうした場所性を大事にしていくことは重要である。また、日本人同士であっても、高齢者と若者など異なるコミュニティ相互の交流も重要であり、それが自然と促されるような場所:スポットを居場所として大事にしていくことも居場所の場所性として重要である。

 ところで、この報告会の後で、豊橋技術科学大名誉教授の三宅先生から先生が一住民として参加し作成した豊橋市栄校区自治会・まちづくりを考える会の「栄のしおり」をいただいた。住民向けに作成された自治会活動等に関する冊子だが、それを読むと自治会がいかに多様な活動をしているかがよくわかる。

 自治会連合会―校区自治会-町内会とヒエラルキー化した自治会組織の中に、社会教育委員、民生・児童委員、更生保護女性会、社会体育委員、子ども会、老人クラブ、消防団、防犯協会、女性防火クラブ、清掃指導員、青少年育成校区指導員、保護司、スポーツ推進委員、交通安全推進委員、小・中PTA、健全育成会、防災会、市民館運営委員会があり、さらに町内会独自組織として祭礼委員会、盆踊り委員会、敬老委員会、自主防災会、公民館運営委員会、神社氏子総代がある。民生委員や子ども会、PTA位はわかるが、それにしても数多くのコミュニティ組織があることよ。

 これを見ると、自治会役員が自治会加入しないことを非難する気持ちも理解できる。中には行政が行うべき業務もかなりありそうだし、逆に言えば、だからこそ日本は少ない公務員で成り立っているとも言える。こうした日本独自の社会構造や文化と外国人居住の現状をいかにすり合わせていくかは、今後、外国人の高齢化等が進んでいくとさらに問題になっていくのではないか。いや、外国人だけではなく、若中年の日本人にとっても知らない世界かもしれない。建築学的な「居場所のあり方」なんてレベルを超えて、社会的な大問題になっていく可能性があるのではないか。日本は大丈夫だろうか。