建築から世界史を読む方法☆

 筆者は歴史研究者である。本書は「建築から世界史を読む方法」というタイトルだが、世界史の視点から西洋の建築史を読み解くものである。大学の建築学科で教わる西洋建築史は、オーダーを習い、ゴシックやバロックの様式を学び、新古典主義やゴシック・リバイバル、クィーン・アン様式などを知る。だが、それらの様式がどういう背景、どういう歴史的な流れの中で、どういう精神の中で、必然として生まれてきたのかを関連付けて学ぶことは少ない。
 本書で語られる歴史は、かなり大胆にまとめられているように思う。だがだからこそ見えてくるものがある。なぜルネサンスが復興したのか。なぜ民主主義が生まれた革命の時代にグレコ・ローマン様式がリバイバルするのか。建築に注目し、なぜその様式が生まれたのかを世界史の視点で読み解くと、逆に大胆な歴史観が芽生えてくるのかもしれない。それが「建築から世界史を読む方法」というタイトルの意味なのだろう。建築の歴史を読み解こうとすることで、世界史の見方も変わる。そんな感想は歴史家に対しては失礼か。建築技術者としてはあくまで、建築の視点から楽しく世界史を知ることができた。痛快に面白かった。

ローマ帝国が「3世紀の危機」に直面…根本的な問題は、東方に属州が広がらないこと。…先行きに不安を強める市民たちは、キリスト教に新鮮さを感じ取った。…転機は313年…時のコンスタンティヌス帝は、宗教弾圧よりも信仰の自由を認めたほうが得策と見て、キリスト教を公認したのだ(ミラノ勅令)。…そうは言っても、今まで迫害されてきた側としては、皇帝に対して抑えがたい感情もあった。/このとき…神学者エウセビウスは、一つの論を説いた。それが「神寵帝理念」である。…これによって教団は、皇帝と協力関係を築くことになった。(P61)
○9~11世紀にかけて、ヨーロッパ世界は…まさにカオスであった。/この…状況を収拾したのが、ドイツに立ったザクセン朝のオットー1世であった。彼は…マジャール人バルト海のノルマン人をやっつけて、イタリアの内紛も制するほどに勇猛果敢だった。…962年、オットー1世は、「強い君主」をアピールして、初代神聖ローマ皇帝に就いた(オットーの戴冠)。ドイツの国王がローマ皇帝を兼ねることになったのである。(P97)
○14世紀後半…教会は…黒死病の流行から人々を守ることができなかった。…イギリスの神学者ジョン・ウィクリフ…は「キリスト教の真理は…聖書の中にある」と言う。…新約聖書の原典は…コイネー(ギリシア語)で書かれている。…大胆に言えば、新約聖書を原典で読みたいがためにギリシア語学習が糸口となり、ヨーロッパの神学者文人たちは、古代のギリシア・ローマ文化に踏み入ったということである。(P136)
○古典主義がグレコ・ローマン様式に注目したのは、人間を中心に据えた価値観を古代ギリシア文明に求めたからだ。これが「人間の復興」、つまりルネサンスの原点となる。…新古典主義の精神は18世紀、啓蒙思想の華やかなりし時代に登場した。それは絶対王政に対抗する思想であり、革命の精神を表すもの。…米仏の政治制度は、古代ギリシアの民主政治、ローマの共和政に源を求めているということになろう。(P195)
○1842年に…バイエルン王国が、ヴァルハラ神殿を建てる。…ファサードは厚かましいほどに、パルテノン神殿に似ている。いや、同じだ。…パルテノン神殿は、竣工以来2400年の間…無造作に扱われ…てきた。/パルテノン神殿がヨーロッパ文明の源流のように演出されたのは…ヴァルハラ神殿によるところが大きい。そのおかげで、建築として文化的遺産として、パルテノン神殿の価値が引き出され、世界的に見直されるようになったといったほうが歴史的な理解だろう。(P200)