ル・コルビュジエがめざしたもの

 ル・コルビュジエ論かと思って読み始めたら間違う。あとがきで書いているとおり、モダニズム建築に関連して書かれた多くの論考などを集めたものである。本書に続いて、ポストモダン以降の建築を論じた現代編もすぐに刊行される予定という。いや、もう発行されていた。「モダニズム崩壊後の建築」。引き続きこちらも読むことにしよう。
 だが、モダニズム建築について集中的に執筆されたものではなく、あくまで様々な媒体で書いてきた論考を集め、並べたものなので、各論考間の関係はなく、私が知らない建築家や批評家をめぐる考察があったり、また専門的・断片的であったりするので、読んでいてよく意味がわからない文章も少なくない。建築史を学ぶということはこうした論文を網羅的に読むということだろうか。研究者にならなくてよかった。
 それでも、筆者自身の立場や意見は全体を通して読むにつれて次第に見えてくる。いや、筆者は私よりも10歳ほども若いので、ポストモダンの台頭などを学生時代に見て、「今、何が起きているのか」と考えたことだろう。その頃には私は既に就職しており、そうした余裕がなかった。うらやましく思う。
 それはさておき、やはり近代編だけでは不十分に思う。現代における建築状況とそれに対する筆者の考察を読んで初めて、近代建築に対する視座も理解できるのではないか。ということで、さっそく現代編も読んでみることにしよう。とりあえず、図書館で予約。

○かつての建築家は、宗教や公共の施設、または宮殿や豪邸を設計していればよかった。それ以外はアカデミックな建築家の仕事とみなされなかったからである。しかし、近代建築家が新たに要求されたのは、都市問題の解決や個人住宅と集合住宅のプロトタイプをつくることだった。ゆえに、近代の建築家が旧来の建築と断絶したことを、単に様式を否定したというデザインの問題に還元するべきではない。彼らは、社会の問題に向き合い、これまでとは違うビルディングタイプに取り組んだ。そして時代の変化にあわせて、新しい職能を生んだのである。(P40)
○丹下自身、新都庁舎を東京だけでなく、日本のシンボルとして設計したと明言している。・・・彼は、1960年代の都市計画では構造の概念を導入し、やがて「構造体そのものが象徴性を帯びてくる」ことに気づき、建築でも「象徴と呼ばれる次元の表現」を意識しはじめる。一方では、伊勢神宮論を通じて、「現代建築にもシンボル性が必要」だと考えるようになった。そうした究極の作品として、新都庁舎は誕生したのである。(P191)
○近代の建築家において最もよく語られる人物は誰かといえば、間違いなくミース・ファン・デル・ローエル・コルビュジエである。例えば、二人の業績を原広司はこう図式化する。近代建築の総体は、ミースが描いた座標があって、ル・コルビュジエが様々な関数のグラフを描いたものだ、と。・・・藤森照信は、ミースこそがインターナショナル・スタイルの絶対零度とさえ言い切る。これを近代においてミースは様式の極限を追求したのに対し、ル・コルビュジエは多様な表現を展開したと言い直せるかもしれない。(P303)
○最新のコンピューター技術をとりいれた造形は面白いけれども、やはりどこかヘンで、アントニオ・ガウディのオーセンティシティという意味ではもう微妙な建築だ。・・・現在のサグラダ・ファミリアはガウディ個人の作品というよりも、様々な人の熱狂的な思惑と新技術が入り、別の意味で興味深いモニュメントに変貌した。(P323)
モダニズムがいかにつくるのかに主軸を置いた計画者サイドの議論だったのに対し、新しく登場したのは、受容者サイドがいかにそれを把握し、使うのかという視点だった。言うまでもなく、大学で専門的なデザイン教育を受けず、ジャーナリストとして活動を始めたジェイコブスは、都市を受容する一般人の立場を代弁している。(P405)