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住宅政策のどこが問題か

 住宅問題に関する新書はそう多くない。とりあえず早川和男による「居住福祉」岩波新書)くらいしか思い浮かばないが、これはかなり偏った視点から書かれていたように記憶する。本書の著者の平山洋介も早川門下の一人ではあるが、15年ほども前に出版された「コミュニティ・ベースト・ハウジング」を読んで以来、その動向には注目をしていた。2006年に発行された「東京の果て」では、本書で書かれた「住宅システムの市場化」や「住宅のメインストリーム」の不安定化、ベビーブーマーとバスターの差異などの問題が既に書き表されているが、東京/地方問題など著者の旺盛な好奇心に紛れて、多様な問題点の一つという印象だった。この問題に焦点を当てて書かれた本書では、公営住宅制度を始めとする住宅政策に対して強烈な批判が繰り返されている。

 著者の主張の基本的な認識は次のフレーズに集約される。

●日本の福祉国家にとって、住宅所有を促進するシステムは社会統合を図るための仕組みである。・・・経済が成長し、中間層の持家が増え、そしてメインストリームが拡大する、という方向性を社会に埋め込むことが福祉国家の関心事であった。(P42)

 しかし、新自由主義と保守主義があいまった日本独自の持家中心の住宅政策では、「梯子」からこぼれ落ちる、または足をかけることすら許されない人びとが増えてきている。特に、従来の世帯単位での調査・分析では見えてこない世帯内単身者や扶養配偶者が、保守主義的な住宅システムゆえに世帯内に閉じこめられている。若しくは離婚や親の老齢化があれば途端に住宅困窮に落ち込んでしまう。住宅問題を個人レベルで捉えるべきだという主張は拝聴に値する。

 しかし、「『梯子』への最初の足がかりを作れ」という主張と、「梯子」システム自体への批判はどう両立させるのか、という疑問は残る。貸家支援を充実し、戦前のように持家と貸家が両存する仕組みへ変わることを理想としているようだが、本当にそうだろうか。貸家という存在は、貸し手と借り手という2者があって成り立つ。かつ両者は等分の権利と利益を有するべき、というのは理想論に過ぎないのではないか。逆に、居住権と所有権の一体保護(全世帯持家化支援?)という視点も成り立つはず。読後に過去の読書歴を振り返っていて、「土地・持家コンプレックス」(山田良治/日本経済評論社)を再発見した。もう一度読み直すことが必要かもしれない。

 「おわりに」で、特定の「主義」への依拠をたしなめる記述があるが、著者自身も別の意味で特定の「主義」から執筆・主張しているように感じられる。「複数の方法の組み合わせ」という主張は正しいと思うが、そのベストミックスにいかに到達するかはかなり難しい。

 新書版で住宅問題に警告を発する本が発行されるのは、一般人に住宅政策が抱える矛盾や問題を周知する点で意義は大きい。その意味では、本書のように少し過激なくらいの書きぶりの方が注意喚起に資するのかもしれない。しかし書きぶりはあまりに難解。「あとがき」に「センセーショナルな言葉づかいばかりが目立つ本が好まれ、どんどん消費される。本書は、新書としては読みやすいとは言えないし、地味なんだろうな、と思う。」(P296)とあるが、それにしても「難解」。もう少し何とかならないものだろうか。

●政府が住宅システムの市場化に踏み切った背景には、住まいと住宅ローンを市場経済に委ねても、社会統合の安定は崩れないという読みがある。住宅問題を計測するうえで政府は重視した指標は、住宅建築の量と質であった。・・・これらの指標からすれば、住宅問題はすでに緩和し、住宅システムの市場化は社会不安を起こさないと考えられている。(P88)
●世帯主を重視する世帯単位の分析では若年層の住宅条件の分析は困難である。・・・世帯主の多くは男性であることから、世帯主に注目した世帯レベルの分析では女性の状態は把握できない。・・・世帯レベルの分析は、子ども、若い人たち、女性、高齢者など、世帯主以外の世帯員の状況を覆い隠す効果さえもつ。(P166)
●政府が助けるのは、住まいの「梯子」に加わった世帯形成者である。ひとたび「梯子」を登り始めた人たちはシステムの援助を得る。「梯子」に加わるための最初の「足がかり」を準備し、世帯内単身者と単身者の住宅確保を促進するシステムは存在しない。(P187)
●日本の福祉国家が住宅システムの運営において重視するのは、個人としての人間の社会権の尊重ではなく、その集団としての社会の統合である。人びとが住まいの「梯子」を登り、社会の「流れ」に合流するというパターンが社会安定を支えると想定されてきた。住宅困窮が社会統合を脅かすまでに増大するのであれば、住宅保障の政策は拡大する。しかし、「梯子」を登っていない人たちが存在しても、それが「流れ」を破壊するほどのマグニチュードをもたない限り、彼らを保護する必要は小さいと判断される。(P243)
●何らかの特定の「主義」を純化し、それに過度に依拠する方針は危険である。新自由主義の政策再編は、純粋な市場経済を拡大しようとし、暮らしの基盤を深く傷つけた。純化した保守主義は社会標準の生き方しか支持せず。そこからはずれる人たちを冷遇する。特化した「主義」によってシステムを運営できるほど社会は単純ではないし、単調でもない。特定の「主義」を強調するのではなく、複数の方法の組み合わせによって住宅システムの適切なあり方を検討することが必要である。(P289)