捨てられる土地と家☆

 先に「縮小まちづくり」を読んだが、ほぼ同じ内容を、空き家・空き地の増加という観点から書いたのが本書。第1章「空き家・所有者不明土地の実態」から始まって、第2章「現状の対策」、第3章と第4章で「より根本的な対策①・②」、そして第5章はまとめとしての「価値の残る不動産を持つために」。一般の土地所有者や住宅取得を考えている人には、本書の方が教科書的で、現状から筆者の提案する対策まできれいにまとめられており、わかりやすい。
 最新の施策状況として、「近隣の力の活用」や「死亡時の総合窓口の設置」などが紹介されている。また、地租改正に伴って、絶対的所有権が民法に制定された経緯が記述されている点も興味深い。さらにマンションの解体費用の積み立てにも言及しているし、第5章では「取得後の出口があるか」と題して、ケアレジデンスに住み替え可能なマンションの事例「世田谷中町プロジェクト(東急不動産)」や、JTIの仕組みを活用して、いったん購入した住宅を確実に手放すことができる「返せる所有(ミサワライフデザインシステム)」の紹介もある。
 いずれにせよ既に、住宅や土地の利用においては、所有の意味を十分理解し、万一所有する場合には、利用を終えた後、いかに解体し手放すかという方策を事前に準備しておく時代になった。また、行政においても、所有権放棄や所有者不明土地の大量発生に向けて、関係制度の整備が待ったなしの状況になっている。人々の慣習や常識を変えるのは至難の業だとは思うが、それこそ強行採決してでも対応すべき課題かもしれない。たぶん簡単にはそうはならない。個人でできることだけはやっておきたいと思う。

捨てられる土地と家

捨てられる土地と家

○一つは空き家の解体費用の事前徴収の仕組みであり……もう一つの提案は、土地の所有権放棄ルールである。……二つの仕組みが導入されれば、今後、家を持つ場合には解体費用があらかじめ確保されることになり、寿命が尽きたらそのお金で解体し、跡地については次の利用者が現れない場合は、放棄料を支払うことで公的管理に移す形になる。……所有することとその後に放棄する場合の責任が徹底されることになる。(P8)
○最近新たに出てきた空き家対策で注目されるのは、近隣の力を積極的に活用しようというものである。……北海道室蘭市では2017年度から、特定空家を近隣住民や自治会が解体する場合に、費用を補助する仕組みを設けた。……一方、東京都世田谷区では2017年7月、所有者不明の空き家を近隣住民に売却する前提で、不在者財産管理制度を利用して取り壊した。……今後とも住宅地として残る地域においては、隣地取得の支援策があれば、それによって多少なりとも敷地が統合され、居住環境の改善に役立つ可能性もある。(P78)
精華町では死亡届の提出があった場合、……総合窓口で戸籍・住民票関係の対応をし、死亡者が土地所有者である場合には、固定資産税課が……相続登記の際に必要となる書類等を渡す。さらに農地や森林の所有の有無については……農業委員会に案内し、届出の対応を行う。/このように精華町では、相続時に土地関係の届出の漏れがないよう総合窓口において、ワンストップで案内する仕組みを整えている。(P94)
○地租改正を土地改革として見た場合、最も重要な点は……土地の私的所有権が公認されたことであった。/これを追認するように、民法においても土地所有権が明文化された。……いわゆる絶対的所有権の考え方であった。/これには……ドイツ民法第一草案がモデルとされた……結局はドイツにおいて日の目を見なかったものである。……欧州においては18世紀から19世紀末にかけて絶対的所有権の考え方がとられていたが、19世紀から20世紀にかけて相対的所有権に考え方に改められた。(P170)
○一般のマンションでも計画的に積み立てたり事前徴収したりする仕組みがあれば、仮にその後、所有者不明・不在の物件が増えていったとしても、解体費用を心配する必要はなくなる。……今後、建て替えできるのは例外的に条件が揃ったケースのみであり……いずれは取り壊すときがくるという前提で解体費用を準備しておくほうが合理的だと考えられる。(P199)

幸せな名建築たち☆

 (一社)日本建築学会が編著となっている。会報「建築雑誌」に連載されていた41の住宅・建築物に「聴竹居」を加え、42の住宅・建築物の居住者・所有者・管理者に対するインタビューをまとめたもの。会誌編集委員会の下に、『幸せな名建築たち』小委員会が設置されていたのも知らなかったが、さぞかし楽しい作業だったことだろう。また、権威ある建築学会がこんな楽しい本を出版したこともうれしい。時代は変わりつつある。
 当たり前だけど、本書に登場する居住者・所有者・管理者は、みんな誇らしそうで、うれしそうだ。そして言葉に嘘がない。もちろんこれからも維持できていくのかという危惧や不安はそれぞれ持っているだろうが、今はそれらの住宅・建築物を所有し、管理していることに誇りと喜びをもっている。いいなあ。
 そして単に「いいでしょ」とか「大変なのよ」というだけではなく、それぞれの専門や経験を通じて、「名建築とは?」という問いに対して、真摯な回答を寄せている。例えば、林雅子の「象の家」に住む建築史家の村松伸氏は、「記憶をもっと早く抽象化しないといけない」(P8)と言う。住み利用しつつ、その価値を広く一般的な意味として語れ、ということか。「住むということは、設計者で……ある石井修の哲学を身体に浴びながら生きていくこと」(P11)という石井修の娘・石井智子氏の言葉も重い。
 やはり日常をさらけ出してその建物とつきあうからなのか、住宅の方が居住者の言葉が重く、深い。一方で、建築物については、いかに保存し維持していくかという技術的(金銭的な意味も含めて)な言葉が多いように感じる。加えて、建物とは地域社会や住民にとってどういう役割を果たし、意味を持つものなのかという意見や意思。いずれも興味深い。
 私が知らなかった建物も多くあった。いつかそれらの外観だけでも観る機会があればと思う。実物に会える日を楽しみにしたい。

幸せな名建築たち 住む人・支える人に学ぶ42のつきあい方

幸せな名建築たち 住む人・支える人に学ぶ42のつきあい方

○最近の保存は「全部残せ」という感じがあるけれども、残す価値は自分で見つけ出していくものです。全部を残すと未来の人たちの新しい想像力を拒絶することがあるかもしれません。/記憶をもっと早く抽象化しないといけないと思います。3年とか10年を超えてしまったら、その価値や意味を見直して、言語化して役立てるとか、物として役立てるとか、ただあればよいようなものではないと思っています。(P8)
○人は住んでいる家から常に影響を受けますから、ここに住むということは、設計者であり父である石井修の哲学を身体に浴びながら生きていくことなのかと思います。設計者の哲学によってつくられた空間が何十年経っても価値が変わらず、そこにいるとゆったりくつろいで元気になるといったプラスの影響を住む人に与えるのが名建築だと思います。建物をつくった人のメッセージ、生き方に染まりながら生きていくことが、名建築に住むことではないでしょうか。(P11)
○結局、時代と相性が合うことが重要で……時代に対して一生懸命問いかけたり、それに答えた結果の住宅が、住む人に愛され続けて、歳を重ねていくと名建築と呼ばれるようになるのだと思います。/忘れがちなのが、住んでいる人に愛されているかどうかです。築50年ぐらいは評論家の意見で建築は残りますが、築100年を超える建築は、その建築を愛している人がいるかいないかで決まるのではないでしょうか。(P33)
○初期の建築群を維持していく苦労というと、財政的な問題よりも老朽化に伴って古い建物を壊して新しくつくり直したいという圧力に耐えられるかどうかかもしれません。……誰もが当たり前にそこに建っていると思える建物は、長い年月をかけて建物がその景色に同化し、誰もが同化した風景を認識しています。そう思える建物が名建築として未来に残されていくものではないでしょうか。(P100)
○人をどう育てるか、人に対してどう優しいか、人がそこにいて楽しくなったり嬉しくなったり、明るくて朗らかな生活ができる、そういった人を包む建築が名建築だと思います。建っているだけでは、名建築ではないのです。……ここは気持ちよいし楽しいし明るくなれる。そういうものが望まれ、時代がこの建築を選ぶ、未来に受け入れられる時代が来ると思います。(P113)

「住宅団地再生」連絡会議in高蔵寺

 今年は高蔵寺ニュータウン入居開始50周年ということで、様々な催しが開かれている。6月には、ニュータウンで最初に入居が始まった藤山台地区の住民有志による「藤山台50周年記念式典が高蔵寺まなびと交流センター「グルッポふじとう」体育館で開催された。
 この種の住民主体によるイベントは、春日井市が50周年記念ロゴを作成し、認定事業に対してロゴの使用を促しているため、色々な取組が行われている。春には社会福祉協議会が主催する「さくらウォーク」というウォーキングイベントが開かれ、7月にサンマルシェ(ニュータウンの中心商業施設)で開催された恒例の「きてみん祭」も50周年記念事業の冠を付けていた。
 そして、10月にはUR都市機構が中心となり、「高蔵寺ニュータウンまちびらき50周年 魅力ある街 トークセッション」も開かれた。これもグルッポふじとうの体育館で開催され、女優・タレントのいとうまい子や春日井広報大使北京五輪シンクロナイズドスイミング代表の松村亜矢子らが壇上に上がり、多くの市民を集めていた。私も出席してみたが、もっぱら健康づくりに関する話題が中心で、高齢者にとっては興味のある話だったかもしれない。
 そして11月5日・6日と「『住宅団地再生』連絡会議in高蔵寺ニュータウン」が開催された。この会議は、地方公共団体や民間事業者が中心となり、郊外住宅団地の課題と方策を検討するため、平成29年に設立されたもので、今回が3回目の開催となる。6日は見学会が中心。5日はシンポジウムの後、分科会に分かれての意見交換会が開かれたが、このうちのシンポジウムに参加してきた。
 シンポジウムでは春日井市長の挨拶、国土交通省からの情報提供の後、春日井市から「高蔵寺ニュータウンの紹介」と、中部大学の服部敦教授から「高蔵寺ニュータウン計画からリ・ニュータウン計画へ」と題する基調講演が行われた。春日井市からの報告は既にこのブログでも書いてきた内容とほぼ同じなので省略。服部先生からは1967年鹿島出版会から発行された「高蔵寺ニュータウン計画」(高山英華編)を基に、ニュータウン計画の推移などを説明し、現在のニュータウンの状況を紹介された。高山英華氏の係わりや津端修一氏の考えなどの部分では多少異論もあるが、概ね好意的な内容であり、気持ちよく聞いていられた。
 ちなみに「強力なワンセンター」という評価についてはそのとおりだが、一方で先生が主導して作成した「高蔵寺リ・ニュータウン計画」では「サブ核」の設置が提案されており、サブ核と強力なワンセンターとの関係やあり方について、先生がどう考えておられるのか、一度聞いてみたい。講演の終盤は、「計画資産(Designed Assets)」を生かしたまちづくりと、「計画されない資産(Not Designed Assets)」、すなわち住民活動やまちづくり会社の事業などを期待するという具合にきれいにまとめられていた。
 このシンポジウムで興味深かったのは、その後で報告された5件の事例発表だった。
 一つ目は、瀬戸市からの「菱野団地住民バス」の取組について。菱野団地は春日井市に隣接する瀬戸市で、昭和41年から開発され、45年から入居が始まった住宅団地だ。あの黒川紀章が全体設計をしているが、県営住宅、県公社住宅の周辺に戸建て住宅が建ち並び、県営住宅については順次建て替えが進められているが、団地全体の管理者は存在せず、中心部の商業施設はかなり老朽化してきている。
 住民バスについては、昨年社会実験として4ヶ月ほど運行され好評だったことから、今年8月から再スタートをしたもの。定員10名のワゴン車を1日10便運行しており、運賃は無料。費用のうち14.1%(市のコミュニティバスの収支率を採用)は自治会負担としている。瀬戸市ではようやく昨年11月に住民や学識者等による検討委員会を立ち上げ、菱野団地再生計画の策定を始めた。遅きに失したという感もあるが、今後の巻き返し、再生を期待したい。
 2番目は、堺市から「泉北ニュータウンまちびらき50周年事業」について。堺市では大阪府やURなども参加して、実行委員会を組織し、50周年事業を実施したとのこと。ただ、事業内容としては、シンポジウムや記念イベントの開催などが主で、これで1500万円近く使ってしまったというのは、本当に意味があったのかと思わざるを得ない。その点、春日井市高蔵寺ニュータウン50周年に際し、職員の手作りでロゴだけ作って、あとは住民やグルッポふじとうの自主事業等に委ねているのは、かなり賢い。もっとも当日は、連絡会議メンバー向けの説明だったので、取組の内の部分的な説明に留まっていたかもしれない。
 3番目は、春日井市から「高蔵寺ニュータウンにおける先導的モビリティを活用したまちづくり」。4番目は、中部大の豊田教授から「押沢台北ブラブラまつり」について。これらは既に、「高蔵寺ニュータウンについて(その2)(その3)」で紹介しているので割愛。でもブラブラまつりについては豊富なスライドで住民たちのイキイキとした姿が紹介され、楽しかった。
 最後に、「地域主体の構想づくりとその実践」と題して、「NPO法人まちの縁側育み隊」の名畑恵さんから、名古屋錦二丁目長者町地区の再生のまちづくりについて報告があった。NPOが参加して、住民と一体となって、計画づくりからしくみづくりへと進んでいった報告は迫力がある。この過程で、町内会などの地縁組織が「一般社団法人錦2丁目まち発展機構」を設立(2018年2月)され、さらにその100%出資により「錦2丁目エリアマネジメント株式会社」(2018年3月)が設立されている。こうした実践力はすばらしい。
 当日は「NPO法人まちの縁側育み隊」のメンバーにも数人お会いしたが、シンポジウム後の分科会ではさらに深い意見交換があっただろう。ただ残念ながら意見交換会テーマの中ではぜひ参加したいと思うようなテーマはなかった。これは現在の私の職域に関連してはということでもあるが。いずれにせよ、東部市民センターの500席のホールがほぼ満員となるような盛会な会議だった。これを機に高蔵寺ニュータウンはもちろん、全国のニュータウンにおいて、その計画遺産を生かした活性化が進むきっかけになればいいと思う。