地元経済を創りなおす

 知人から勧められて読了。地域のお金は地域で回すようにしましょう、というのは、藻谷浩介が「里山資本主義」で述べていたことと同じ。これに、「漏れバケツ理論」や市町村単位の産業連関表、地域経済分析システム、地域内乗数効果とLM3などの理論やツールを紹介し、さらに島根県海士町富山県入善町農業公社、岐阜県郡上市石徹白などの実例を紹介している。
 私としては、元新潟県知事・平山征夫氏が語ったという「地消地産」と言葉が面白かった。「地域で消費しているもの」を先に調べ、それを「地域内で生産・供給する」道を探すという、一般の「地産地消」とは逆の考え方。一方で、地域外から移入せざるを得ないものも多くあるわけで、そのあたりの見極めは難しい。
 本書で紹介されていた「地域経済循環図」で地元の県と市を入力して表示してみたが、さてこれをどう読んだらいいのかわからない。特徴のある地域、地域づくりの方向性がはっきり定まっている地域であれば、それを補強するツールとして使用可能だろうが、ツールからスタートするのはやはり難しい。漏れ箇所が見つかったとしても、それを塞ぐソースが地域にあるかどうかはわからない。何より人材の有無は大きな課題のような気がする。

○これまでの地域経済再生の取り組みは、「いかに外部からの資金を呼び込むか」だけに焦点を当てるものが大半でした。本書では、「地域経済の循環」「地域内乗数効果」を重視しており、「単に外からのお金が入ればよい」とは考えておりません。「いったん入った外からのお金のうち、どのくらいが地域に残るのか?」「地域に残ったお金のうち、どのくらいが地域で循環するのか?」を把握したうえで、望ましい形で外からのお金を呼び込むことを考えます。(P68)
○「地産地消」の考え方を、地域経済の観点から大きく発展させた考え方が「地消地産」です。・・・「地域でできたものを地域で食べよう」ではなく、「地域で消費しているものを地域でつくろう」が大事なんだ、と。・・・この「地消地産」の考え方に立てば、「地域で消費されているのに、地域で供給されていないもの」=「地域で生産・供給すれば、地域で消費してもらえるであろうもの」を見つけようという意識が出てきます。(P70)
○石徹白の地域の小水力発電・・・地元の負担は6000万円です。・・・自治会長などをはじめ・・・半年間話し合いを重ね、地域の住民から出資を募ることにしました。・・・100世帯に説明をした結果、ほぼ全世帯が出資をし、負担金を集めることができました。その受け皿として、2014年4月には農業用水農業協同組合を設立しました。・・・地域の人々がお金を出し合い、地域でずっと維持管理してきた水路の水を使って小水力発電をし、その利益を地域の農業振興に使っていくという、素晴らしい好循環の事例です。(P110)
○ローカル・インベストメントは、地域住民による地元企業への投資によって、地域の暮らしを豊かにしよう、という取り組みです。地域の住民が地元の小規模ビジネスに投資することで、利益を上げると同時に、自分たちの生活に必要な店舗や企業を支援するという、市民の手による新しい資本主義の形でもあります。・・・投資したお金は地元経済にとどまります。投資の資金を地域から流出させない、地域経済の「漏れ穴」をふさぐ取り組みでもあります。(P120)

近居とは ― 不十分な社会支援と不安定な家族支援の狭間

 先日、「郊外住宅団地における多世代居住の可能性と近居実態」と題する講演会に行ってきた。旧日本住宅公団が昭和43年から横浜市で開発をした左近山団地における近居実態の調査結果を報告したもので、団地入居者の近居率や外出頻度などを調査した上で、近居世帯に対してヒアリング調査を行い、親世帯の団地入居から現在に至るまでの転居等の状況や意識調査などを行っている。近居率が22%というのは高いような気もするが、居住地域の住宅状況などにも大きく影響されてくる。そもそも何をもって近居と定義するのかも決まった定義はない。この調査では左近山団地及び隣接する市沢団地に親子世帯が居住している場合を近居と定義していたようだ。
 近居をすれば親子間で、家事支援、育児支援、介護支援などの相互支援が可能となる。高齢世帯の外出頻度も高くなり、健康につながる。といったメリットがある一方で、支援が必要な時期は短く、近居ゆえに過重な負担となる。支援が不要な時には煩わしさの方が勝るといったデメリットが挙げられていた。さもありなん。
 親子の住み方には、同居、隣居、近居、遠居など様々な形があり、どんな住まい方を選択するかは、職業の事情や配偶者・親族の状況、地域の住宅事情や従前の住まいの状況など様々な要因があるだろうが、複数の選択肢がある中で、敢えて「近居」を選択するというのは、どういう理由からだろうか。講演者からは「将来(非常時)のための漠然とした安心感を期待している」という言葉があった。たぶんそんなところだろう。何に対する安心感か。それは子育てや介護などの生活支援について、十分な社会的支援が得られない可能性に対する「保険」としての「安心感」。
 結局、「近居」とは、不十分な「社会支援」に対する選択なのだ。逆に言えば、「近居」を推奨し、支援する制度というのは、不十分な社会支援に対する代替として制度化されていると考えるべき。しかし、親子間の支援は、時に感情に支配され、また家族成員の状況によっても左右される不安定なものだ。不十分な社会支援と不安定な家族支援。日本ではまだしばらく、双方の微妙なバランスの狭間で、近居という選択が続けられるということだろうか。

西洋都市社会史

 「西洋都市社会史」という堅いタイトルだが、内容はヨーロッパ、特に北ドイツを中心とした各都市の訪問記である。筆者は中世ハンザ都市の都市史を研究する経済学者。筆者が勤務する中央大学の雑誌「中央評論」に掲載してきたエッセイを中心に、全20章にまとめている。概ね1章1都市。第1部はドイツ都市編、第2部はヨーロッパ都市編。だが興味深いことに、歴史事象順目次がついていて、今回はその順番で読んでみた。「中世都市の成立過程」と小見出しの付いたトリアを最初に、「世界統治主義と国民主義的世俗の統一」「中世の不動産担保」など、この小見出しを見ているだけでも興味深い。
 各章は都市の紹介だけでなく、その都市の成立過程に見られる歴史的事象について、説明されている。それが面白い。ハンザ都市は何を運んだのか。領邦君主が治めたドイツの中世都市はどうやって市民自治に移行していったのか。イギリスの産業革命の意味とフランスとの違い。パリの一極集中はなぜ起きたのか。オランダやポルトガルの栄枯盛衰。リカードの比較優位論の歴史的背景、など、さまざまな事柄が語られている。
 欧米の都市のいいところだけを見て、それを取り入れようとするのではなく、その背景も知ることはとても重要だ。もっともこれは海外だけではない。日本国内であっても、都市によって背景が異なり、歴史がある。読みながらそんなことを思った。前著「西洋の都市と日本の都市 どこが違うのか ―比較都市史入門」も読んでおこうか。

西洋都市社会史:ドイツ・ヨーロッパ温故知新の旅

西洋都市社会史:ドイツ・ヨーロッパ温故知新の旅

○都市や市民の土地取得の理由としては・・・財貨不足に苦しむ領邦君主の土地を担保とした金銭の要求・・・を受け入れ・・・不動産だけでなく(裁判権のような)都市にとって大事な権利が・・・販売されたりして、市民による自治が少しずつ実現されていったのである。・・・そうした状況下で・・・市民自治がしっかり定着し、市民たちは危機に追い込まれれば、時には武器をとって命がけで都市を守った。それゆえ、市民たちは自らの都市に誇りを持ち、都市もまた個性的であった。(P34)
産業革命・・・の背景には農村における農法の改良による農業の近代的な生産・・・の実現があったことを忘れてはならないであろう。・・・これにより穀物価格が低下して・・・経済政策は保護主義から自由主義に大きく転換することを可能にした。他方で都市の労働者に食糧以外の商品の購買を可能にさせ、農民たちにも購買力の向上をもたらした。・・・工場で生産されるようになった大量の生産物は・・・植民地に供給されて多大な富をイギリスにもたらした。(P107)
○オランダは世界の覇権を握りながら、それは長くは続かなかった。その要因は・・・羊毛の供給国であったイギリスが完成した毛織物を生産し輸出する・・・競争国に成長したことにあったが、イギリスに敗北した原因の一つは、ぜいたくな生活の中で危機感を失い、ただ議論を重ねるだけで対抗策を打ち出すことのできなかったことであったという。・・・バブル景気の中で危機感を忘れ・・・その後現状に至るわが国の状況はオランダの16・17世紀の状況に似ていないであろうか。(P123)
○グダンスクは・・・遠隔地商業都市としてハンザ商業の東西貿易の拠点であり、・・・流域からもたらされる農産物の集散地であり・・・南欧地域の穀物不足などにともなって、オランダが輸送した穀物の供給地となり、逆に・・・大量の塩を西方フランスなどから輸入し、塩の生産ができない北欧やバルト海地域に再輸出していたのが知られている。東方ロシア、北方スウェーデンとのバルト海の中継貿易港として発展した都市であった。(P127)
フランス革命によって実現された小作農民への土地配分により小土地所有農となった農民たちは容易に土地を離れず、国内で産業革命が進展しても工場労働者は不足し、政府の努力にもかかわらずフランスの工業化は遅れ、現在もなお農業国である。(P143)
○ヨーロッパの市民は、祖先が命がけで守ってきた自由で安全な空間の中で、便利さを享受できるかわりに、集合住宅での生活で我慢するという義務を果たすことで都市を維持してきたとも考えられるのである。そこには、それぞれ個性を維持してきた都市に対する愛着や故郷のまちを愛する心が必然的に育っていったと思われる。他方で、近年では欧米各大都市の中心市街地から購買力のある大きな裕福な市民が郊外の一戸建て住宅へ大量に流出する空洞化が深刻になっているのも事実である。(P187)