「ゆいま~る大曽根」を見学

 昨年8月に紹介した「ゆいま~る大曾根」は9月に入居が始まっている。その後、追加分30戸も公社からの賃貸が決まり、現在、第2期分の工事と募集が行われている。また、1階の大型店舗だった部分も、地域コミュニティ拠点としてNPO法人「わっぱの会」が借り受け、ショップやカフェなどからなる「ソーネおおぞね」として4月1日にオープンする。その内覧会が開かれた3月25日に、都市住宅学会公共住宅部会主催で見学会が行われたので参加した。
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 サービス付き高齢者住宅「ゆいま~る大曾根」の概要については、先に紹介したとおり。さっそく3タイプある各部屋を見学させてもらった。玄関ドアは一般の公社住宅とまったく変わりがない。だが、ドアを開けると、広い土間空間が広がっておりびっくりする。丸椅子が置かれたり、観葉植物が置かれたりとその利用方法はさまざま。靴を脱ぎ、室内に入ると、ベランダまでLDKが広がってベランダに沿って寝室があるAタイプと、玄関側の多目的室がベランダ側に広がるLDKと引き戸で仕切られたBタイプ、さらに多目的室とLDKの間に収納があって、狭いスロープでつながったCタイプの3種類がある。CタイプはLDKの床を上げないことで改修費を節約している。どの部屋も快適な感じ。いずれも住戸面積は50m2近くあり、一般の公社住宅と一緒だ。既に入居していた「サ高住」から転居してきたという人も数組いたそうだ。
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 「サ高住」ならではの生活サポートだが、24時間緊急通報はセコムのマイドクタープラスを利用して、ヒモを引けば必ず駆け付けるようになっている。また日頃の安否確認は、毎日、1階の「ゆいま~るフロント」の前に設置されたボックスへ、各自に渡された木札を投入することで確認をする仕組み。自立した高齢者を対象とした公営住宅のシルバーハウジングでは、電話や訪問による安否確認を嫌がる高齢者も多い。有料老人ホームと化した「サ高住」では、毎日訪問した方が安心かもしれないが、あくまで自立者を対象とした大曾根住宅では、こうした対応が喜ばれている。もちろん、相談事があればいつでもフロントにハウス長の石黒さんが常駐しているので、安心して頼ることもできる。木札方式というのは、なかなかいい仕組みだと感心した。
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 ちなみに、近隣で新築の「サ高住」は、生活支援費も含めると約15万円だそうで、既存住宅の改修で約10万円で入居できる「ゆいま~る大曽根」は、自由で自立した生活ができると好評のようだ。これこそ「サ高住」本来の姿のはず。ちなみに第2期30戸は7月1日入居予定で募集も既に始まっている。
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 そして、今回の見学のもう一つの目玉が地域コミュニティ施設「ソーネおおぞね」。障害者の雇用支援などの活動を行っているNPO法人「わっぱの会」が運営し、資源買取センター「ソーネ しげん」、カフェレストラン「ソーネ カフェ」、販売ショップ「ソーネ ショップ」、総合相談・地域サービスセンター「ソーネ そうだん」、多目的フリースペース「ソーネ ホール」の各施設で構成されている。
 資源買取センター「ソーネ しげん」は、家庭等から出る資源(新聞・雑誌・牛乳パックから食器、自転車まで)を現金やポイント(「ソーネ ショップ」などで利用可)で買い取る仕組みで、たぶんNPOとしてこれまでの実績もあるのでしょう。障害者だけでなく学生ボランティアとみられる若者も一緒に元気に働いていた。理事長さんからは、スペースが広くて、カフェレストランやショップがうまく回っていくかと心配をしていたが、全体で480戸もある公社住宅の1階に自然に収まっており、十分可能性はあると感じた。木質を基調した内装もおしゃれで、なかなか居心地がよさそうだ。
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 当初は自治会からは「これ以上高齢者を増やしてほしくない」という意見も出たが、施設内容等を説明する中で理解をいただいた。質疑応答の中で私から「生活支援サービスを一般住戸へも拡大する可能性」については聞いたが、意欲的な反応を示されていた。配布された資料を後日拝見すると、今後の展開として、一般公社住宅や周辺地域も含めた包括ケアシステムの構築を掲げている。個人的には、最初から高い理想を掲げるのではなく、まずは、「生活支援サービス(安否確認・緊急通報・生活相談など)を一般公社住宅の入居者も利用できますよ」といった軽い感じで始めていただくといいのではないかと思っている。
 なお、唯一の課題として、県公社との契約が20年の定借になっていることから、本来、入居者とは終身契約としたかったが、20年の定借契約にせざるを得なかったことを挙げておられた。定借期間が間近くなってきた時の対応などは確かに問題になりそうだ。ただしそれは県公社住宅の建替え計画との調整が必要ということ。公的住宅の賃貸という点では、たとえ定借契約であっても一定の安心感はあると言える。
 分散型サービス付き高齢者住宅は、コミュニティネット(株)がURの高島平団地で始めたのが第1号。しかし施設系も同時に整備したのはこの「ゆいま~る大曽根」が最初とのこと。既存一般住宅の一部を分散的に賃貸することで、広さも居住環境も一般住宅と同じ状況を作り出すことができた。さらに、分散型とすることで、生活支援サービスの一般住宅への展開にも可能性が見えてきた。今後、こうした分散型「サ高住」がさらに多くの地域で供給されることを期待したい。

ニュータウンの社会史☆

ニュータウンのなかに入り込んでたくさんの経験を積んでいくなかで、「オールドタウン」だとか、高齢化で限界集落間近だとか、犯罪の巣窟だとかいって、一方的に切って捨てる、その視線のありように激しく反発を覚えるようになった。人の生活や営みを、その具体的な中身に踏み込まないまま十把ひとからげにして批判することはできない。いや、するべきではない。むしろ人の生活や営みに寄り添いながら、自分のできる範囲で一緒に考えたり行動したいと考えるようになっていった。(P250)

 「あとがき」の一節である。筆者は、20代半ばに多摩ニュータウンにあるパルテノン多摩学芸員として働き始め、結婚を機に多摩ニュータウンに転居した。現在は桜美林大学の准教授を務めているようだが、多摩ニュータウンを外から、そして内から観察し、研究してきた成果としての本書の出版となっている。
 各章は専門書や学会誌などで執筆してきたものがベースとなっており、第1章「病理と郊外」は「ニュータウンとは何か」といった視点から書かれているが、それ以降は、第2章「開発と葛藤」では開発過程における周辺農村地域との関係を、第3章「実験と抵抗」では実験都市としての多摩ニュータウンと入居者との関係、第4章「移動と定住」では居住環境という視点から住居学的に、そして第5章「断絶と継承」では地域の伝統やニュータウンの歴史がどう作られていったかという民俗学的な視点から書かれている。
 改めてタイトルを見ると、「ニュータウン社会学」だと思っていたが、「社会史」。しかし、単にその経過を追うのではなく、ニュータウンも含めた地域社会の視点から多摩ニュータウンの開発と現在に至るまでの過程を読み込もうとしている。
 第5章の終わりに以下のような文章がある。

ニュータウンは時の経過とともに「オールドタウン」になるのではない。ニュータウンは「タウン」になる。ただそれだけのことだ。そしてそれは、「ニュータウン」というカテゴリーの消失をも意味することになるのである。(P238)

 まさにそのとおり。私も高蔵寺ニュータウンに住んで、同じ感想を持ってきた。周辺の旧市街地とは多少の成り立ちは違うかもしれないが、時が経てば、ただのタウンになる。旧市街地にもそれぞれ成立の経緯があって、江戸時代以前からの宿場町や城下町もあるだろうが、多くは日本の近代化が進む中で、鉄道駅の開設や主要施設の建設などに伴って、まちが形成されてきた。その意味では、ニュータウンだけでなく、その他の市街地においても、また農村などの集落においても、本書と同様の「社会史」を掘り起こす意味があるのかもしれない。
 例えば、多摩ニュータウンの当初構想では、住宅市街地と農地経営の両立が目指されていたという。それは新住宅市街地事業が適用されるにあたり、農業経営の視点がばっさりと切り取られていく。市街化区域と調整区域を画然と切り分ける日本の都市計画では両者の両立はそもそも無理だったのではとも思うが、一部地域に区画整理事業を導入することによって、漸進的な土地利用も可能となった。
 また、単一の公共団体の創設の必要性も当初から視野に入っていながら実現できずにいる。その点、高蔵寺ニュータウンは全域が区画整理方式で開発されたし、全域が春日井市内に存する。その点でも多摩ニュータウンとは、同じニュータウンといっても違いがある。一方で旧住民と新住民のあり方も興味深い。これは多摩でも高蔵寺でも同じかもしれない。だが、ニュータウンがただの「タウン」になれるかどうかは、旧住民側の意識にかかっている。いや、旧住民ではなく、一般市民として特定の地域にどういう目を向けるかという問題。そう思えば、差別部落もニュータウンも観光地も同じ。地域の特色に対して他地区の住民はどう向き合えばいいのか。居住者はどう向き合うべきなのか。
 そんな視点からも、居住者として高蔵寺ニュータウンの歴史や現状を知るのは面白いし、同時に、生まれ故郷である蒲郡市の行く末についても強く興味を抱いている。もっとも、蒲郡についてはなかなか研究する機会も時間もなく、たまに帰ってその変貌に驚くだけだけれども。

ニュータウンの社会史 (青弓社ライブラリー)

ニュータウンの社会史 (青弓社ライブラリー)

○東京都が進めていた多摩ニュータウンの前段階での計画案では、緑地が多い市街地を育成するだけでなく、農地も保全していくことが想定され、市街化と農業経営を同時に実現させることが目指されていた。ところが、のちにこの計画が新住宅市街地開発法という法律に飲み込まれることによって、農住一体の考え方は破綻をきたし、大きな転換を余儀なくされることになる。(P47)
○この陳情書が要求するのは、結論としては「日本住宅公団による国家的な開発を進めて」ほしいというものだったが、その理由が「従来の農業経営を多角的に改善」するためとされていたことに注目する必要がある。・・・農作物の消費者の受け皿となりうる団地を誘致することによって、その開発用地周辺の農地を活用して都市近郊農業への転換を図ろうとする思惑もあった。つまり・・・開発を引き込みながら、同時に地域の内発的発展が目指されていたのである。(P65)
○1968年10月の段階ですでに、美濃部都知事の私的諮問機関・東京問題調査会が・・・「多摩ニュータウン地域を包摂する新しい単一の公共団体」の創設を提言している。・・・ところが、地元市では「ニュータウンに人口が完全に定着してから考えてもおそくない」として二の足を踏んでいた。/こうして、行政一元化の必要性はそのつど指摘されても、問題は棚上げ状態でなし崩し的に入居が開始され・・・具体的な動きがないまま、市民生活のひずみが増大していくのである。(P118)
○結果として、多摩市が要望していた高所得者層の誘致を軸とするニュータウン像の転回はほぼ実現されることになったが、そのためには、街の雰囲気やイメージがより重要な鍵を握るようになる。「街の価値」を高めるための取り組みが積極的におこなわれ、「街を売る」という販売戦略が出てくるようになるのである。(P128)
○旧住民と新住民は、開発に伴って混在化していくことになるが、混在化の進展の過程では、双方の間でコンフリクト(対立・衝突)が生じることも多い。・・・しかし一方で、こうした新旧住民のコンフリクトが、期せずして開発前と開発後の連続性を意識させていることにも注意を払う必要がある。なぜならば、新住民は旧住民の姿を通して旧来の村落や貝の姿を見いだし、逆に旧住民は新住民を通して来るべき都市社会を予見しているからだ。(P198)

「押沢台ブラブラまつり」と「押なび」

 高蔵寺ニュータウンの東端の町内、押沢台でちょっと気になる住民活動が続けられている。題して「ブラブラまつり」。今年度の「第13回住まいのまちなみコンクール」国土交通大臣賞を受賞した。また最近、地元中日新聞の地域版に、地域の特色をまとめた冊子「押なび」が作成・配布されたという記事が掲載された。これらの活動の仕掛け人である豊田洋一さん(中部大建築学科教授)にお会いすることができた。
 「ブラブラまつり」とは、年に1回、押沢台北町内全域でそれぞれの自宅の玄関先や庭先などを利用して、さまざまな立ち寄り処をオープンし、住民たちがブラブラと歩く催し。押沢台北町内会(約600世帯)では毎年10月に開催しており、昨年は30軒余りのお宅が参加した。出店の内容はバラエティに富んでいて、雑貨屋さん、カフェ、ギャラリー、キッチンカー、写真館、焼き芋屋、甘味処、手打ちそば、野菜、ビヤガーデン、木工作品展示、キャンドル作りやフラワーボール作りといった体験教室もいくつかある。また、スタンプラリーをして景品の配布もしており、特に、子どもたちが多く参加して、町内を歩き回ると言う。
 きっかけは6年前に豊田さんが町内会長になったこと。当時、町内会には年10万円の親睦会予算があり、例年、旅行などを行っていた。しかし、一部の人の参加で終わる催しではなく、もっと多くの人が参加できる催しにしたいと考え、このイベントの実施を提案。当初は10軒ほどだったが、その後、毎年の行事として定着し、昨年で6回目を迎えた。また昨年度からは、南隣の押沢台南町内会でもブラブラまつりが始まった。ただし、南町内会の開催月は5月とあえて時期をずらし、町内会内での住民同士の交流と親睦の促進という趣旨を大事にしている。また、押沢台北町内会では昨年4月から、毎月第二土曜日に、どこかの家で軒先カフェを開く「ブラっとカフェ」も始めている。こちらもピザカフェやビヤガーデン、SOBAカフェなど多くのお店が開店。住民同士で楽しんでいる。
 一方、今年2月に作成・配布された「押なび」も豊田さんが編集長を務めているが、こちらは「押なび編纂の会」の代表である藪木さんから豊田さんに話が持ちかけられ、メンバーを募って執筆・編集し、発行したもの。この前段には、平成23年3月に春日井市企画課が中部大学豊田研究室に委託して、市民募集したニュータウンブック編集委員会により作成・発行された「高蔵寺ニュータウンガイドブック まちなび」がある。これは、ニュータウンのさまざまな施設やグループ、イベントなどを紹介した冊子だが、写真やイラストが満載で、野鳥図鑑や野草図鑑、オススメ散策コースやニュータウンよもやま話など、内容が非常に豊富でバラエティに富み、かつ楽しい冊子になっている。この冊子は平成28年に一度、改訂版が発行されているが、「まちなびの地域版がほしい」という提案だったという。
 「押しなび」には「押沢台での暮らしを楽しくするためのナビゲーション」という副題が付けられ、最初に「押沢検定」が載っている。中を開くと、押沢台の道と公園に勝手に「名前付けちゃいました」といった提案もあり、オープンガーデンやみんなの木の紹介、37にも及ぶサークルの紹介など、とにかく内容が豊富で楽しい。押沢台全域で約1700世帯あるが、それでよくこれだけ多くの内容があるものだと感心する。
 ところでこうした活動に至るにはさらに前段がある、ということで豊田さんに紹介いただいたのが、中部大学豊田研究室でまとめた2冊の冊子。一つは、平成20年度に多治見市建築住宅課が作成・発行した「多治見のまちの家先デザイン手法 HOUSE FRONT」。そして、春日井市が平成19年度に実施した高蔵寺ニュータウン住民アンケートを元に、21年度にまとめた「高蔵寺ニュータウンのこれからを考える調査研究報告 新たなまちづくりの手法提案」という冊子。
 前者は、塀や門、駐車場や庭、窓際の利用や道、緑など、それぞれの住宅でできる道先デザイン手法を、多治見市内の豊富な事例写真を使って紹介したもので、少しだけ見せる「透塀(すけべい)」とか、塀を敢えて見せる「塀!LOOK!」など、洒落も効いて楽しいガイドブックになっている。この中には「まちの○○館」という手法が提案されており、「ブラブラまつり」や「ブラっとカフェ」につながっている。
 また、後者は、「高蔵寺ニュータウンの方向性と課題」といった堅い文章の後に、シート形式で「新たなまちづくり手法50」の提案が掲載されている。「魅力的なセンター」「元気な地域」「集合住宅」「戸建住宅」「活き活きまちづくり」と分類された中に、さまざまな提案が掲載されているが、その中には、「ニュータウン隣人まつり」や「街に愛称をつけませんか」といった提案も掲載されている。この中の提案の一つ「タウンブック高蔵寺NT」はその後、春日井市が発行した「まちなび」として実現しているし、「高蔵寺ニュータウン公式サイト」も作成された。また、「コミュニティビジネス街」や「まちづくりセンター」は、東部ほっとステーションという形でオープンしている。この4月には、廃校となった旧藤山台東小学校を改修し、子書簡や児童館、コミュニティカフェ地域包括支援センター、体育館などが入る複合施設「高蔵寺まなびと交流センター『グルッポふじとう』」がオープンする。ここにも豊田研究室で提案した内容のいくつかが盛り込まれているようだ。
 しかし、春日井市では平成22年度の提案は過去のものとして、平成27年度には「高蔵寺 リ・ニュータウン計画」を策定している。「グルッポふじとう」はこの計画の重点事業の一つであるが、この計画策定には豊田さんは関わっていない。春日井市による計画策定や計画の推進といったことは市に任せ、今は一市民として、できること、やりたいことをしている。しかも、その成果には大いに目を見張るものがある。私も今一度、これらの冊子を熟読し、今の私にできることを考えてみたい。