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ジェイコブズ対モーゼス

 「アメリカ大都市の死と生」でこれまでの都市計画を批判し、住民主体による既存の環境を生かした都市再生を説いたジェイン・ジェイコブズ。本書の誕生のきっかけとなったのは、ニューヨークの都市行政官として君臨したロバート・モーゼスとの下町の都市改造をめぐる闘いだった。

 ジェイコブズが都市問題をめぐる市民活動家としてアメリカでこれほどまでに有名だということも知らなかった。私としてはジェイコブズのもう一つの名著「市場の倫理 統治の倫理」が生まれるきっかけも描かれるものと期待していたが、それはジェイコブズ晩年の著作の一つとしてさらっと流されている。本書はあくまでもモーゼスとの都市計画をめぐる闘いの記録である。

 ジェイコブズとモーゼスは本書によれば都合3回、大きな都市改造計画において対立している。最初はジェイコブズが普段利用しているウエストンスクエアパークに貫通道路を通す計画。続いて、彼女自身が住む街、グリニッジ・ビレッジの都市再生計画。いずれもジェイコブズの勝利に終わり、これらの経験を通して「アメリカ大都市の死と生」を著述する。

 そしてジェイコブズ自身、その後は著述家としての人生を送りたいと考えていた頃、最後の対立、ローワーマンハッタン・エクスプレスウェイの問題が発生する。彼女の住む地域から離れた地区での問題で最初は気乗りしなかったが、モーゼスの強引なやり方、撤去される地区の広さなどから活動に参加。既にカリスマとなっていた彼女の参加と逮捕劇はモーゼスの市民を無視した強引なやり方への批判となって、ベトナム戦争時の反権力の風潮と一体となり、ついに市民側の勝利に終わる。いまやその地区はソーホー地区としてニューヨークでも人気の地区となっている。

 序章から第5章に至るまで、基本的にジェイコブズ側に立ってモーゼスの強引な手法を批判的に描きだしているが、終章では微妙にトーンが変わっている。今、アメリカでは、モーゼスを批判した摘発本「パワーブローカー」で貶められた悪役モーゼスのイメージを見直そうという動きが出ており、展覧会も開催されたという。

 訳者の渡邉泰彦氏もモーゼスの再評価に賛同の意を書いているが、私は必ずしも賛同しない。結局、モーゼスの推進した都市整備は時代の要請であったが、だからと言って住民を無視した方法が許されるわけではない。ジェイコブズの市民活動が結果としてNIMBYを生んだという批判もあるようだが、NIMBYをいかに乗り越えるかをテーマに市民主体の都市計画手法が様々に研究され試みられている現状を余りに知らない感想に思われる。

 もちろんジェイコブズとて万能ではない。低所得者向け住宅の供給については今も様々に模索や研究が進められている課題だが、与えればいいという思想は手っ取り早いが結果的に成功しないことは明らかだ。我々はさらに研究し模索しなければならない。

 ジェイコブズとモーゼスのどちらが正しいかではなく、二人を乗り越えた先に我々は進まなくてはいけない。だが取り敢えず、二人の闘争の歴史を知っておくことは都市計画の将来を考える上でけっしてじゃまにはならない。何よりノンフィクションとして面白いのだ。

●都市計画家は自分たちが最善と考えることを単純に実行に移してしまい、そこの住民がなにを求め、彼らにとってなにが最善かとは考えてくれないのだ。・・・都市計画家とは地域社会に大きな変化を押しつけておいて、その結果をきちんと評価しようともしない傲慢なうぬぼれ屋にすぎないということだった。(P50)
●「ワシントンスクエアパークは多様性のなかにおける団結の象徴である。アーチ門から一ブロックもしないところには高級マンションもあれば、お湯なしの安アパートもあり、19世紀の大邸宅もあれば、大学さらには零細企業の集積もある。公園は変化に富んだ趣向や素性を持つビレッジの住民を一つに結びつける絆なのだ。最もよい点は複雑なニューヨークの素晴らしさを享受できることにあるし、最も悪い点は、自分が他人とどれだけ違うのかを、あらためて思い起こさせることにある」。(P137)
●ある晩のこと、偶然酒場から出てきた人が、板ガラスの窓を突き破って落ちた少年の腕に止血帯を巻き、それを見て玄関口のポーチに座っていた女性が十セント玉を借りてきて病院に緊急電話連絡をした。ここには通りを見守る人の目があるのだ。・・・機能的で、かつ多様性に富んだ都市近隣地域の最善例を、彼女は自宅二階の窓の外に目の当たりにしていた。(P154)
●モーゼスの見解は、たとえ欠陥だらけだったにせよ、「健全な政府が道路、公園、橋梁といった社会インフラを整えてくれ、それが我々をひとつの国にまとめ上げるのだと確信していた当時のアメリカを象徴していたのだ。一方のジェイコブズ夫人は、我々をコミュニティに結びつける、より繊細な絆を守るために闘ったのである。都市が生きつづけ、繁栄するために、この双方の見方が必要だ」。(P289)
●荒廃地域に対する処方箋として彼女が施した「脱スラム化」や、ウエストビレッジでの改善運動は、・・・多くの場合、彼女の表現では「できすぎ」状態で、高級住宅化現象が起こってしまったのだ。・・・都心近隣地域は途方もなく人気が出て、富裕層、それも主として白人層しか住むことができない状態になってしまった。・・・カフェやアートギャラリーが金物屋やコインランドリーを駆逐したのだ。(P290)