スラムの惑星

 建築雑誌2011年1月号は「スラムの未来」を特集。この中でこの「スラムの惑星」を紹介していた。訳者の一人、篠原雅武氏も加わった座談会も掲載されている。これで興味を持って本書を読み出した。

 翻訳書だからか、かなり読みにくい。多くの文献からスラム関係の言説を紹介。スラムの量、実態、拡大の状況、背景などが世界各国の実例とともに描き出されている。

 第2章「スラムの拡大」では、スラム拡大の形として、従来言われた不法占拠であるスクワッターに加え、さらに性悪な海賊版都市化が拡大している実態が示される。スラム居住者を相手にさらに金を搾る取る手法だ。

 そしてそれを国家が後押ししている。国際的な援助は多くの場合、スラム居住者には渡らず、官僚等が横領してしまう。スラム居住者の生活の実態を見ない公営住宅は、インフォーマル労働者は居住できず、軍人と公務員ばかりが入居している。

 最近言われるスラム居住者の自立的な活動に期待し支援するという世界銀行やIMFの行動は、グローバル資本主義の中にスラム居住者を追い込みさらに搾り取っただけで、全くスラム改善にはつながっていない。いや、さらに外延化したり内部化していると言う。

 特に批判されているのが、IMFの指令した構造調整プログラムである。多額のローン貸付とともに民営化と小さい政府づくりを進める構造調整プログラムにより、第三世界の国々はさらに搾り取られ、格差が広がっている。「再奴隷化」という厳しい言葉が使われている。そして最大のしわ寄せはスラム居住者の中でも女性や子供にのしかかってくる。それはまるで産業革命期のイギリスのようだ。たぶん、それをはるかに上回る悲惨な状況があるに違いない。

 全編こんな調子でスラムと貧困の拡大を描いていく。読みながら東日本大震災の避難所の状況を思い浮かべた。本書では日本の状況は一切出てこない。さすがに筆者が考えるようなスラムは日本には存在しないということだろうが、今回の震災で日本もどうなるかわからない。TPP参加問題など、日本も非情なグローバル資本主義の餌食になろうとしているように見える。

 もっとも、本書はかなり偏った世界観で描かれているのではないかという危惧が捨てきれない。貧困状況は相対的な問題でもあり、その実態はなかなか見えてこないのが実情だ。だが、現にスラムに居住する者がいるかぎり、それを根絶する努力は続けられねばならない。本書はその意味での警鐘を鳴らす問題作である。

第三世界都市部の外縁の発展はおもに二つの形態を取っている。スクワッター集落と・・・海賊版都市化である。(P57)
●公共住宅は多くのインフォーマル労働者には不人気だが、それは、自宅で仕事をするための空間を与えてくれないからである。その結果、ほとんどの賃借人は軍人か公務員である。・・・貧民は新しい高層ビルよりも昔のスラムに住もうとするのである。(P100)
●ナイジェリア人の著述家であるフィデーリス・バログンは、・・・IMFの指令した構造調整プログラムが1980年代の半ばに到来したことを、巨大な自然災害の、等価物としてラゴスの古い魂を永遠に破壊し都市のナイジェリア人を「再奴隷化する」ものとして説明している。(P230)
第三世界のいたるところで、個々人は、1980年代の経済的衝撃のせいで、世帯という共同資源のまわりに終結することを余儀なくされた。とりわけ女性の生き残るための技術と必死の創意のまわりに、である。男性のフォーマル雇用の機会が減少するにつれて、母、姉、そして妻たちが主として、都市の構造調整の重荷の半分以上を負担することを強いられた。(P238)