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ぼくらが夢見た未来都市

 全部で9章構成。五十嵐が建築家の描いた未来都市とその思想を紹介し、磯がSF小説やアニメ、映画などで表現された未来都市を紹介する。

 大阪万博とそれに向かう1960年代。丹下健三黒川紀章などの""建築家が発表した東京計画。ルネサンスからル・コルビュジエアーキグラムに至る欧米近代ユートピアの紹介。そして磯崎新の海市やMVRDVによるコンピュータやネット環境を駆使した現代の未来都市。

 4つのテーマに分けて、五十嵐が様々なメディアに発表した評論を集めた奇数章に、磯が書き下ろしで偶数章を付け加えていく。最後の第9章は、愛知万博に寄せて書いた五十嵐の評論集だ。

 第1章「大阪万博1960年代」と第2章「未来のふたつの顔」では、輝かしい未来とともに既にディストピアが批判的に表現されていたことが紹介される。

 個人的に最も興味があったのが、第3章「東京をめぐる想像力」と第4章「未来都市としての東京」。拡大発展の時代の丹下計画、黒川計画。そして時代の変化とともに、縮小する東京計画が描かれる。東京はいつまでもメタボリズム都市だ。

 これらのある意味、顔なじみの未来都市に対して、今や未来都市はコンピュータを駆使した世界の中にある。「ノンスタンダードの都市」という言葉すら知らなかったが、都市はまるで植物のように動物のように成長し衰退し移動する。それがドバイや上海で既に現実になっている。都市づくり、建築づくりの手法がすでに変化し始めている。

 未来とは何だろうか? 未来は現在の延長にあるのではない。未来は計画の先にあるのではなく、未来は現在に接続し、現在の中に含まれている。未来都市という言葉や概念に未来はあるのだろうか。それはタイトルにあるように「夢見た」言葉であり、真実は夢の中にはなかった、ということかもしれない。

 これから建築を学ぶ青年はこの事実を知っているだろうか。たぶん現在の変容点を細心の注意で見詰めているだろう。現在の、これからの生き方までも考え、見つめ直す気にさせる1冊だった。

●思想家のミシェル・フーコー1966年に提示した・・・エテトロピーは混成系の場であり、すでに現実の周辺に存在する。・・・それは未来学の単純な時間概念を信じない。・・・時間は絡みあい、未来は現在に含まれ、過去も同じ場に重なっていく。折りたたまれた時間を内包する、都市。(P31)

●工業化時代におけるスタンダードの建築から情報化時代におけるノンスタンダードの建築へ。イメージのレベルではなく、コンピュータの導入によって建築の構成システムが根本的に変容する方向性がここに示されている。メガストラクチャーの未来ではなく、ナノテキのレベルでも変化するような建築が新しい未来として想像されるのだ。(P164)

1950年代、1960年代の未来都市的デザインは、今では「レトロフューチャー」、すなわち、懐かしい未来と呼ばれたりする。これは、来るはずで来なかった未来を慈しむ、という態度だ。/しかし、上海やドバイで我々が直面しているのは、来るはずで来なかった未来が、じつは来てしまった、という事態である。/夢の未来都市が実現。素晴らしい! いや、果たしてそうだろうか。それは目覚めてもまだ夢のなかにいるような体験なのではあるまいか。覚めることのない夢は、普通、悪夢と呼ばれる。悪夢のような未来都市の時代に、ぼくらは今、突入しようとしているのである。(P211)