土地は誰のものか☆

 「現代総有」という考え方がある。「土地を地域(共同体)が所有し、若しくは個人所有は認めても、利用は地域(共同体)が決定し、主体となって利用する」という考え方である。第5章が「現代所有」というタイトルになっているが、この章で「現代総有」について詳しく説明するわけではない。いやたぶん、「現代総有」の方法は様々あるのだろう。問題は考え方である。土地に私的な所有権・利用権を認めてきた日本の土地法制を、人口減少が進み、不明土地や空き家・空き地の発生が続く今、改めて考察し、新たな仕組みを考えてみようと提言する本である。
 そのために本書ではまず、バブルへの対応として制定された旧土地基本法と、30年ぶりに改正された新土地基本法について考える。不明土地や空き地の発生が続く中で、新土地基本法では「管理」を付け加えた。だが、「管理」するだけでは根本の問題、人口減少や空き地等の発生は止まらない。東京一極集中の是正と地方の再生に対する政策や発想がない法律では不十分だと指摘する。
 そこで、第2章では古代から戦後まで、日本における土地所有権の歴史を振り返る。また第3章では欧米諸国の土地所有権と相続制度について、都市計画の視点から考察する。そこで浮かび上がるのは、欧米諸国と比べあまりに歪な土地・相続法制の姿である。これでは空き地や不明土地の発生は止まらない。各地で生まれつつあるランドバンクも十分には機能しない。
 そこで第4章では、最近の都市政策である「都市再生事業とコンパクトシティ」と「東日本大震災復興の教訓」を取り上げ、さらに2021年に公表された「国土の長期展望」を検討する。しかしそこで垣間見えるのは、市民と乖離した企業や国家主導の政策である。そこで続いて、第4章のタイトルでもある「田園都市」について考察する。イギリス・レッチワースで実現したハワードの「田園都市論」、田中角栄の「日本列島改造論」に対抗して大平正芳が打ち出した日本の「田園都市論」。それらと比較すると、岸田首相が言い出した「デジタル田園都市論」には人々に「幸福感」をもたらす「縁」や「コミュニティ」がない。デジタルだけが突出している。
 そこで「現代総有」である。その際に参考になるのが、欧米諸国の相続制度だ。「現代総有」には、逼塞しつつある資本主義に対して斎藤幸平らが主張する「脱成長コミュニズム」に通じる思想がある。今こそ大胆に、土地問題に切り込む必要がある。「土地」と「国民」がいてこその国家だということをもっと真剣に考えた方がいい。さもないと、司馬遼太郎が言うように、日本は第二の「敗戦」を迎えることになるかもしれない。

○旧土地基本法下では、開発の抑制がうたわれ、東京一極集中の是正が附帯決議された。にもかかわらず、政府、企業そしてマスコミや学者も…もっともらしい理屈を並べたうえで…様々な規制緩和を採用し、東京一極集中政策を加速させてきた。…新土地基本法では、登記の完全実施など管理に必要な最低限の措置をとることは当然であるが、本来なら管理だけでなく…東京一極集中の是正と同時並行的に地方の再生策が図られなければならないのに、管理にはその発想がない。(P26)
英米法では…相続財産は…いったん財団化され、遺言書の認定や遺産分割協議が成立したあと、それらによって特定された相続人に所有権が移転する…。/大陸法では…相続人全員に所有権は帰属するが、…「合有」…での合意のもとに相続人に配分される…。/双方とも、相続財産は、死亡と同時に自動的に個人所有になるのではなく、いったん財団あるいは合有といった組織に移り、その内部での論議と決定を経由して、最後にその決定に基づいて所有権者が確定するというシステムになっている(P147)
アメリカでは空き地などの発生は土地の公的な部分と密接に関係する「都市」の問題である。したがって、当然にそれは行政の「公的な仕事」の対象であり、その解消は自治体の権限でありまた責務となる。しかし、日本ではこれらの問題は民間人の私的な所有権の問題であり…行政は介入できない。…アメリカのランドバンクは自治体とほぼ一体の組織となっているのに対し、日本のそれは予算も権限も持たない、自治体の外側のいわばNPO的な活動にとどまるのである。(P154)
○21世紀岸田「デジタル田園都市論」はいかにも現代的なデジタルを採用しているが、人々にとって最も必要な「縁」あるいは「コミュニティ」にほとんど言及することがない。おそらくこれが都市再生やコンパクトシティを含む政府都市論の致命傷なのである。(P210)
○利用しない空間…を不明土地、空き地・空き家といった負の概念としてでなく、「自然」の候補地としてプラスに考えると…「真の豊かさ」を享受できる可能性を持つことができるようになったということでもある。山、森、川そして海がよみがえり、デジタル化の進展は、次々と人間と自然の共存の知恵を生み出してくれるだろう。ハワード、大平の理想を受け継ぐ「田園都市」の構想とはそういうものであり、またそうでなければならないのである。(P216)
○現代総有とは、個人の所有権は尊重するが(本来はレッチワースのように現代総有主体が単独で所有することが望ましい)、その利用は結束した共同体が主体となり共同で行うというものである(法的には個人の所有者と主体の間で借地契約を締結する…)。これはまさしく…司馬遼太郎の「土地公有、しかし「公」は国家ではなく、我々の仲間という意味での「公」」と言うべきものであろう。(P216)