黒川紀章が設計したニュータウン・菱野団地

 やきもののまち・瀬戸市名古屋市の東部にあるこの街に、黒川紀章が設計したニュータウンがある。晩年は東京都知事選に出馬するなどしたが、黒川紀章は名古屋の生まれで、若い頃、近郊のニュータウンの計画に携わっていたとしても不思議ではない。1966年から開発が始まっているから、黒川紀章もまだ30代になったばかり。当時の設計思想がそのまま現実のものとなっている。
 面積は173.5ha。計画人口30,000人。事業主体は愛知県住宅公社。原山台・萩山台・八幡台という3つの住区がそれぞれ周囲をぐるりと囲む周回道路で包まれ、3つの住区が集まった中心地区は菱野台と呼ばれるが、共同住宅はわずかで、商業・業務施設や3つの小学校と一つの中学校で埋まっている。周辺地区から中心地区へ直接アプローチする幹線道路と各住区の周回道路とは横道に入るような細く短いアクセス道路がつなぎ、知らない者には住区へ辿り着くのも難しい。もちろん各住区と中心地区は歩車道分離された歩道橋でつながっている。実にシステマティックな道路構成だが、各住区は外周が勾玉のようにうねり、平面的に有機的でもある。また各住区内に保存緑地的な緑も多い。ただし丘陵地なので水辺はほとんどない。
 住宅は各住区に県営住宅が1000戸ほど建設され、中心地区には公社による高層の賃貸住宅及び分譲住宅が170戸余り建っている。その周囲に公社が分譲した戸建て住宅や二戸一の連棟式住宅など。県営住宅は原山台地区から既に建替えが始まっており、現在、二つに分かれた住区の一つで最後の建替え住棟が建設中。続いて次の住区の建替えに移っていく方針だ。当初の建設時は階段室型の中層5階建てで、一部にはスターハウスも残っていたが、すべて高層住宅に建て替わった(一部建設中)。建替え前の中層住宅は空き家が目立つが、建替え後はほぼ満室のようだ。
 人口は1984(昭和59)年のピーク時で21,746人。現在は12,000人を切れている。集合住宅の空き室や県営住宅の建替えの影響もあるが、戸建て住宅も含めて、世帯人員の減少が大きい。戸建て住宅の空き家率は2015年時点で2.8%というから、それほど空き家が多いわけではないが、高齢化率は41.6%に上る。
 瀬戸市では2019年3月に「菱野団地再生計画」を策定。また、2017年に半年かけて実施した社会実験を経て、2018年8月から住民バスの本格運行を開始した。瀬戸市職員の方に団地内を案内していただき、その後、現況や計画の内容、住民バスの状況などの説明をいただき、意見交換をした。近いながら団地内をじっくりと歩くのは初めてで、非常に興味深い団地見学会だった。

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県営八幡台住宅
 いったん八幡台の公民館に集合して、団地内を歩き始める。八幡台と原山台は地区の中心にU字型に戸建て住宅が並び、それを包むように県営住宅が建つ。県営八幡台住宅の中心部にはV字型の高層住宅が建ち、端部に階段室型の5階建てが並ぶ。地区中心の戸建て住宅地は落ち着いた雰囲気で、宅地分譲だったのか、板塀の和風住宅など個性的な住宅が並ぶ。住宅の間にはフットパスが通り、ちびっこ広場がある。空き家が目立つことはないが、敷地を分割して建売住宅が販売されていた。2,590万円という価格設定は手頃感がある。戸建て住宅地を抜けて八幡台のもう一つの県営住宅へ。こちらは昭和50年竣工の銘板が埋め込まれ、規模増改善工事が行われていた。
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八幡台ちびっこ広場
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建売住宅
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八幡台住宅 規模増改善住棟
 菱野団地の中心部に向けて、歩道橋を渡る。幹線道路で隔てられた各地区は歩車道分離された歩道橋でつながれている。八幡台小学校や菱野中学校を眺めながら、センター地区の萩山商店街へ向かう。歩道橋から商店街を見下ろすが、通りは寂しい。面白いことに、最近人気だというパン屋さんは通りに背を向け、幹線道路側に看板を揚げて、店を開いている。商店街端の美容院と薬局も入口こそ通り側だが、道路側に看板を掲げている。商店街の端には駐車場があり、大半の商店街利用者はそこから歩く。店舗を閉めて、一般の住宅として利用している住戸もある。萩山商店街は2階建て長屋造の住宅付き店舗が分譲され、各戸所有になっているため、改修の自由度は高い。
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人気のパン屋さん
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萩山商店街
 しかし、駐車場から離れ、中心部に近い側の商店街はほとんど壊滅状態。閉じられたシャッターが並ぶ。センター地区に据えられた「菱野団地 愛知県知事 桑原幹根」と彫られた石板は立派だ。右側の住宅供給公社の高層住宅棟の下には郵便局や公社の住宅管理事務所、瀬戸市の市民サービスセンターなどが入っているが、中央広場を挟んで向かい側にあるPC版シルバークールが並ぶ低層の建物はスーパーマーケットが撤退して久しい。
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中央広場
 広場を通り過ぎて北側も商店街が続くが、こちらの方が少し賑わっているようだ。かつての民間会社の事務所を改修したデイサービスセンターがあり、向かい側の店舗は改修中だ。そして商店街の端には小規模なスーパーが開業している。その北側には菱野団地商店街の駐車場。やはり自動車利用が課題のようだ。
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菱野団地商店街のスーパー
 商店街を抜けて歩道橋を上がると、目の前に高層の県営原山台住宅が並んでいる。上述したとおり、現在最後の建替え工事の施工中だが、建設地横の空地に「地域生活支援施設」の記述がある。幼稚園の誘致を予定しているとのこと。新築の高層住宅の南側には建替え前の中層住宅が並ぶが、既に一部の住棟では解体工事に着手している。こちらにはスターハウス棟もまだ残っていた。
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県営原山台住宅(建替え後)
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県営原山台住宅のスターハウス棟
 県営住宅街区を南に抜けると、連棟式住宅の街区に入る。2戸がつながったタイプだが、それぞれが全く違った外観で増改築されており、一見、連棟建てに見えない。片方が和風に改修されたもの。全く異なる色彩で塗装されたもの。法規的にはどうしたのかと疑問にも思うが、ある程度敷地に余裕があればこうした対応も可能ということか。正直、「ナニコレ珍百景」に投稿したいほどの景観ではある。
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連棟式住宅の改修
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連棟式住宅の改修(塗装の塗分け)
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連棟式住宅の改修
 連棟建て住宅街を抜けて幹線道路沿いに歩道橋を上がっていくと、センター地区を幹線道路のレベルで眺めることとなる。と言っても、かつてはスーパーマーケットの駐車場だったが、現在は閑散とし、隅にカラフルな住民バスが2台駐車していた。歩道橋の下、道路を隔てて西側に小規模ながら端正な佇まいの建物がある。以前は瀬戸信用金庫だったが、リフォームされ、小規模なセレモニーホールに生まれ変わった。では、その瀬戸信用金庫はと言えば、センター地区にあった三菱UFJ銀行の後に移動し、三菱UFJ銀行はATMだけとなった。それでも小規模なセレモニーホールというのは地域に合っているのかもしれない。
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セレモニーハウスひしの
 その西にある高層ビルはかつて公社が分譲したウィングビル。1・2階部分は商店街となり、福祉事業所やカフェなどが入店しているが、やはり寂しい。再び歩道橋を渡ると、元の八幡台に戻ってきた。その後は八幡公民館で瀬戸市職員の方から今年3月に策定した「菱野団地再生計画」などの話を伺った。
 現在の菱野団地の状況は上述のとおり。瀬戸市では2017年に策定した第6次総合計画と都市計画マスタープランに続いて、団地再生計画の策定に取り掛かった。計画策定にあたっては学識者や住民代表、関連企業等をメンバーとする再生計画検討委員会を設置するとともに、かわら版の発行や住民アンケートの実施、住民ワークショップの開催などを経て、2019年3月に策定・公表された。
 中でも、菱野団地の再生計画の目玉となるのが「住民バス」の運行だ。計画検討の着手に先立つ2017年7月から約半年間、社会実験として低速電動バスeCOM-8を運行した結果、大変好評だったことから、翌年8月から新しい「住民バス」として再スタートした。運行日は毎週月~金曜日で土日祝日等は運休。運賃は無料で、菱野団地内の3つの地区を9時台から14時台まで、2台のマイクロバスが30分毎に一周約45分かけて運行する。運転は時間500円の謝金で有償ボランティアの運転手を募り、現在は9名の方が登録されている。ちなみに運行に係る経費は年間約400万円。市が他地区で運行するコミュニティバスの経費率を適用し、85%は市負担、残りの15%は自治会負担としている。利用者は次第に増加してきており、最近は月1600人を超えている。また、名鉄バス停やタクシー乗り場に接続して、地区外へは既存の交通手段の利用を促す。なお、団地再生計画では2020年度以降「自家用有償旅客運送への移行」を目指すこととしている。
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住民バス
 その他、計画では、(1)センター地区整備や(2)エリアマネジメント団体、(4)空き家利活用、(5)県営住宅更新の各プロジェクトを位置付けるとともに、菱野団地再生計画推進協議会を設置して取組状況の把握や計画の見直し等を行うこととしている。実際、住民バス以外にも、自治会や住民等によるエリアマネジメント団体「未来の菱野団地をみんなでつくる会」が2019年4月に設立され、10月には「みんなの会わいわいフェスティバル」が中央広場や各商店街で開催され、多くの住民で賑わった。また、社会福祉協議会による空き家を活用した地域の居場所「よりどころ」を開設する活動や、NPO法人と民間企業等が連携した健康増進プログラムの実証実験なども行われている。
 住民バスの社会実験をきっかけに団地再生計画が動き出し、様々な取組が始まった。まだ始まったばかりで、今後は紆余曲折もあるだろうが、「住民バス」というわかりやすい取組のあることが、住民の力を集めるアイコンになっている。戸建て住宅地や連棟式住宅地も予想以上に住みやすい居住環境となっている。県営住宅も着実に建替事業が進められている。惜しむらくは黒川紀章の団地計画が外に対してあまりにも閉じられた計画となっていること。特にセンター地区が自動車利用に対して背を向けているのは致命的だ。将来的には小学校の統合も検討されるだろうから、その時に廃校を利用して、団地外の住民も利用するような魅力的な施設が整備されるといい。建替え前の県営住宅のイメージがあったので、もっと老朽化し疲弊した団地かと思っていたが、意外に住みやすく、将来への可能性を感じた。瀬戸市の真摯な取組姿勢にも大いに共感した。

南海トラフ巨大地震の高い発生確率が住宅の耐震化を阻害する?

 10月下旬から中日新聞で驚きの連載が始まっている。「ニュースを問う」というコーナーの「南海トラフ80%の内幕」。既に先週の日曜日で6回目が掲載された。まだ続くのだろうか。内容は「地震調査委員会が公表する南海トラフ地震の30年以内の発生確率70~80%というのは、『時間予測モデル』という、今や多くの地震学者が科学的でないと否定する方法で算定されたものであり、一般的な方法で算出すれば8~20%になる」というもの。記事では、2012~13年当時の地震調査委員会海溝型分科会での議事録を取り寄せて、多くの地震学者が算出方法に疑義を唱えてきたにもかかわらず、防災対策を進めたい防災学者の強い反発があり、両論併記すら却下されるに至っているという状況を明らかにしている。
 防災学者の思惑としては、「これまで80%近い発生確率を公表してきた中で、防災関係の予算も確保されたし、防災対策も進んできた。今ここで『実は20%でした』なんて数字を出したら、防災対策が止まってしまう」と思うことは理解できる。この夏に頻発した河川災害についても発生確率が公表されているが、こちらは100年に1回、30年に1回といった表現で、地震の発生確率とどう比較したらいいのかわからない。「30年以内の発生確率80%」と聞けば、「1/100年の発生確率」の堤防よりも先に改修などを行う必要があるように感じるが、「30年以内の発生確率20%」と聞けば、「1/100年の発生確率」の堤防改修を急いだ方がいいように思う。そういう意味では、防災学者の言い分もわからないではないが、やはりウソはいけない。
 個人的な感想を言えば、この20年間で建築物の耐震対策は格段に進んだように思う。住宅から始まった耐震診断や耐震改修は、平成25年の耐震改修促進法の改正を経て、建築物一般に広がっていった。法施行を機に建替え等に踏み切った建築物も多い。一方で、未だに耐震改修等を実施していない住宅や建築物は、今後、発生確率が年を追うごとに高まっていったとしても、それで耐震化の決断に至るとは考えにくい。
 既に新耐震基準の施行から40年近くが経とうとしている。新耐震基準により設計された住宅や建築物は「震度6強から7程度の大規模地震動で倒壊・崩壊しない」とされており、とりあえず命は助かりそうだ。一方で、最新の耐震基準(木造住宅で言えば平成12年度以降)で設計されていたとしても、熊本地震のように震度7地震に連続してさらされれば、一部の部材は破壊され、修理が必要となる可能性は高い。
 新耐震基準に適合した住宅と言えども、既に築25~40年近くなる。今までの日本の住宅であれば、そろそろ建替えても不思議ではない。しかし、南海トラフ地震の発生確率が80%と言われると、「命は大丈夫なようだ。ならば建替えは地震が発生してからにしようか」と考える人もいるのではないか。建替えでなくリフォームとて同じこと。ある程度のまとまった経費をかけてリフォームをしても、すぐに地震で壊れるのであれば、もう少し先に延ばそうかと思う。今回の水害でも、新築したばかりで浸水被害に遭った住宅の事例が報道された。地震の発生確率が高いとなればなおのこと、建替えやリフォームには二の足を踏む。
 そして願う。「早く来い、来い。南海トラフ地震
 地震発生確率の水増しはこうして、却って住宅の耐震化を阻害している可能性はないだろうか。少なくとも住宅や建築物の耐震化という面では、正直に両論併記してもらっても何の支障もないように思う。また、道路や河川改修などについては、それぞれの改修予算の中で、耐震対策を優先するか、その他の防災対策を優先するかを決めてもらえればよい。「高い発生確率=防災対策の促進」という方程式はそろそろ賞味期限切れになりつつあるのではないか。防災学者の方々にもよくよく研究してもらえればと思う。

マイパブリックとグランドレベル

 裏トビラに印刷された著者の顔写真がモデルのようにきれいなのに驚いた。ネットで検索して見る画像も、スタイルがよく自信にあふれている。人に見られることに慣れており、また人からカッコよく見られたいと欲しているタイプの女性なのかな。だから、趣味のパーソナル屋台なんてことができるのだ。そして「やりたい」と思えば、すぐに叶えることができるだけの経済力を持っている。イケアで安く調達したとアピールしているが、そもそも1万円近い買い物が逡巡なくできるというところから庶民レベルとはかけ離れている。
 マイパブリックとグランドレベル。書かれていることはよくわかる。パブリックを公共任せにせず、自分でパブリックを作ってしまおう、という発想もよく理解できる。別にそれが趣味で、自己満足できる人は自由にやればいい。家先を掃除する人だって、マイパブリックを実践している。「『押沢台ブラブまつり』と『押しナビ』」で紹介した「押沢台ブラブラまつり」や「ブラっとカフェ」もマイパブリックだ。マイパブリックには様々なスタイルがある。一人でもできるし、みんなと一緒にやってもいい。
 本書で紹介されている事例の中では、「根岸さん家の灰皿」が最も興味深かった。単に「家先に灰皿を置いた」というだけのこと。もっともこれさえも、他人が家先にタバコを吸ってたむろしたり、日に何度も灰皿の掃除をすることが苦にならないということが普通の人にはできない。もちろんできなくてもそれでかまわないのだが。
 グランドレベルも景観行政などの場ではよく言われてきたことだ。「『押沢台ブラブまつり』と『押しナビ』」で紹介した中部大の豊田先生による「多治見のまちの家先デザイン手法 HOUSE FRONT」では住宅地におけるさらに詳細なアイデアも紹介されている。
 本書では、グランドレベルに関して、世界の活動事例を紹介したり、「からまりしろ」「かかわりしろ」「つながりしろ」といった建築家・平田晃久が提唱した言葉から派生したと思われるキーワードを紹介したりしているが、正直、これらの情報についてはちょっとウザいという気がしてしまう。都市計画や行政のヴィジョン批判などもサラッと読み飛ばしてしまった。要するに「グランドレベル」で言いたいことは「計画や設計などにおいて、理念的になり過ぎず、目の前のことを忘れないようにしよう」ということ。まちづくりにおいても、もちろんそれは大事なことだ。
 本書で著者が言っていることは何も間違っていないし、彼女の行動もすばらしいとは思う。でもできない人は多いし、できない時もある。というか、できないことの方が多い。ではどうするか。たぶん本書が書かれた背景には「日本人ってこんなことも知らない」という著者の思いがあるのだろう。実際、それも事実だ。だとすれば、本書のように行動や事例を紹介することも一例。一方で、できないまでも「それは大事だよね」と思うマインドを植え付けるための教育や啓発も必要なのだと思う。著者はカッコいい。でも普通の人だって十分カッコよくなれる。そんなことが伝わる啓発ツールがあるといい。結局、何が言いたいって、要するに、田中元子さんはカッコよすぎる、ということ。私の単なる嫉妬かもしれないけどね。

○「マイパブリック」とは造語で、“自分で作る公共”のことである。…そもそも行政と市民の関係が成熟していない日本だからこそ、あればいいなと思う公共は、自分で勝手に作ればいいのだ。…好況が「みんなのもの」ひとつしかないことが、そもそも問題だったのではないだろうか。…個人がつくる私設公共=マイパブリックは、「みんなのもの」という責を負わない。作り手本人がよかれと思うものを、やれる範囲でやる。それをフィーリングの合うひとが使う。…それしかないし、それでいいのではないだろうか。(P20)
○世界中でモノが生産され続け、人々にものを欲しがってもらうための、あらゆる情報が押し寄せてくる。でももう、限界だと思う。わたしたちは…受動機会に飽きているからだ。…要は、そこに関わる人々が能動的であるかどうか。モノよりもコトよりも、まずヒトの問題なのだ。…ひとは趣味の中で、能動性を発揮させている。わたしはその能動性を、もっと社会で、つまりまちの中で直接的に存在させたら、どんなに素敵だろう、と思っているのだ。(P67)
○「まち」をよくしたい、「社会」をよくしたい、とは誰しもが思うことだ。…そのために…すぐにできることは何だろう…。/そして、気づいたのだ。…目の前のグランドレベルを良くしていけばいいのだ。…ひとは立体的にまちを使いこなせるものだと、思い込みすぎていたと思う。誰も鳥になんかならないのに。わたしたちはみな、目の高さから水平の世界しか、視認できないのだ。…グランドレベルさえよくなれば、人々の目の前に広がる風景、つまり…まちや社会…も変わっていくのではないか。(P118)
○たとえある建物があなたのものだったとしても、あなただけのプライベートな建物という役割のみでは終われないだろう。誰にでも見られているということは、誰にでも与えているということ。あなたの1階は、同時に「まち」でもある。…1階は、プライベートとパブリックの交差点という、特殊領域なのだ。(P123)
○日本におけるまちや都市にまつわるヴィジョンにはいつも、虫の目ならぬ人間の目、ヒューマンスケールの目、つまりグランドレベルのつくられ方に対する具体的なヴィジョンに欠けている。…東京も地方も、都市再生、まち再生のキーワードはグランドレベルにある。だからこそ、向かうべき方向にそったグランドレベルのヴィジョンを、どのマスタープランもきちんと組み込むべきである。(P159)
○もし、本当に…パブリックな「場」をつくる気があるのなら、それはすべて誰からも見ることができるグランドレベルでやるべきなのだ。…パブリックというものは、その存在が知られなくては、意味がない。…場があり…活動が生まれているということを、関係のないひとさえ、視認しながら通り過ぎていくということが、大事なのだ。…仲間内の、密室のパブリックなんてものは、パブリックではない。(P168)