京都空き家セミナー(京都・六原における空き家対策の取組)

 京都市及び京都六原学区における空き家対策についてのセミナーがあり、聴講してきた。なかなか楽しく、かつ勉強になるセミナーだった。以下、その概要を記録に留めておく。
 まず京都市役所からは都市計画局まち再生・創造推進室密集市街地・細街路対策課長の文山さんから「京都市における総合的な空き家対策」について。
 京都市では特に接道がなかったり、幅員2m未満の現行規制では建て替えが不可能な空き家が多い。特に祇園清水寺などのある東山区では高齢化率と共に空き家率も高い状況にある。こうした中、2010年に策定した京都市住宅マスタープランにおけるシンボル・プロジェクトとして地域連携型空き家流通促進事業を開始した。ちょうどその時に初当選した新市長がマニフェストに空き家条例の制定を謳っていたため、条例制定に向けた検討も開始することになった。その後、2013年12月議会で「京都市空き家の活用、適正管理等に関する条例」を公布、翌年4月に施行された。なお、2015年に空き家特別措置法が施行されたことを受けて、同12月に関係する項目の条例改正を行っている。また今年度内を目指して、法に基づく「京都市空き家等対策計画」の策定を進めている。
 条例に先立って策定された「総合的な空き家対策の取組方針」では時系列での対策の実施について、具体的には、「空き家の予防」段階、「活用・流通の促進」、「管理不全対策」、「跡地利用の誘導」の各段階での対策の推進の必要性が記述されている。この方針を元に条例が制定されたが、その後、制定された空き家法との関係で、いくつかの不整合がある。空き家法では行政代執行ができる一方、緊急時等でも指導・命令等の手順を踏むことが求められ、命令についてもその前に勧告を行うことが求められる。この点、条例では緊急の立入調査や代執行の前に「緊急安全措置」や草刈等の「軽微な措置」を講じることができるようにしている。また空き家法では建物全体が空き家でないと法の対象とならないが、条例では長屋の一部が空き家となっていても対象とできるようにした。
 さらに空き家対策の各段階に応じてさまざまな施策を実施している。まず、予防のためには、リーフレット配布や地下鉄吊り広告、おしかけ講座の開催、空き家相談員の登録、専門家派遣などを、活用・流通の促進のためには「地域連携型空き家流通促進事業」や「空き家活用・流通支援等補助金」、「空き家活用モデル・プロジェクト」を実施している。もちろん、管理不全対策としての勧告や命令、緊急安全措置、軽微な措置等も着実に実施しているし、跡地活用としては「老朽木造建築物除却事業」や「まちなかコモンズ整備事業」、さらに建築基準法の3項道路や6項指定、43条但し書き許可の活用などによる柔軟な建築指導行政による建替え促進等にも取り組んでいる。
 さらに今年度実施しているのが重点取組地区における空き家調査と活用等に対する啓発の取組だ。他の市町村ではまず空き家調査から始めることが多いが、京都市ほどの規模になると、とても悉皆調査など無理だし、調査をしても変遷の方が早い。このため、「地域連携型空き家流通促進事業」など基本的に地域活動を基本として対策を講じているが、地域での活動がなかなか立ち上がらない地区もあることから、地下鉄駅周辺などの利便性の高い地域を重点取組地区として行政が率先して取組み、地域活動を促していく事業である。
 まだまだ始まったばかりだし、空き家対策は終わりのない事業だが、地域の取組みとして進めることで、地域の活性化や住民主体のまちづくりにつながる。そのモデル的な取組みが六原学区で実践されている。セミナーの二つ目の講演は、六原まちづくり委員会の活動を建築士の立場で支援している寺川徹さんから、実践事例について報告があった。
 「住民自走型の空き家対策」とタイトルをつけられている。寺川さんは平成23年、六原学区が「地域連携型空き家流通促進事業」に取り組んだ2年目、六原まちづくり委員会が発足したときから、建築士会からの派遣という形で関わり始めた。しかしその前から六原学区にはこうした活動を行えるだけの素地と経緯があった。
 京都市が小中学校の統廃合を進める中で、六原自治連合会が平成12年に発足。17年度には自治会館を開設している。そして小中一貫校をこの六原学区に建設することを勝ち取った。それだけの自治会活動における下地があったと言える。こうした中で平成18年度に全国都市再生モデル調査の対象地区となり、さらに平成19・20年度の2ヶ年かけて京都女子大の井上研究室が空き家実態調査を実施した。その上で平成22年から2ヶ年、京都市による地域連携型空き家流通促進事業が実施されている。この事業では、行政に加え、不動産業者などが参画して相続相談などを行ったが、事業終了後の展望が見えない中で、その後に続く仕組みを考えようと、六原まちづくり委員会が組織された。寺川さんはここから参画している。
 六原地区は、住みたい人は多くいる一方で空き家も多くある。しかし流通している空き家が極端に少ない。空き家が放置される要因として、相続の問題、建物改修費が出せない、賃貸に対する不安、そしてそもそも空き家が問題だと認識していないことなどが挙げられる。そこでまず、「空き家の手帖」なる冊子を作成した。冊子としたのはチラシでは簡単に捨てられてしまうため、捨てられない本にしようということだった。そして字は大きく、Q&A方式で読みやすく、といった点を配慮して、学区内の全戸に無料配布した。その後、好評のため第2版を1000部増刷して販売。さらに9月からは第3版が学芸出版社から出版されている。
 その他の活動としては空き家調査や相談窓口の開設、空き家見守りボランティア、予防啓発セミナー「住まいの応援談」、片付け支援、出前講座などがある。セミナーでは「空き家」という言葉を使わず、内容も認知症対策や防災セミナーなど、住民の興味を惹く内容としている。
 空き家の流通事例として一つ紹介いただいた。そこは二世帯居住に伴い、親の住宅が空き家となり、片付けも面倒なことから放置されていた。風呂もないため貸すこともできないとあきらめていたところへ、まず片付け支援から入り、借り手を見つけて、改修費は借主が家賃の前払いという形で負担することで合意し、契約に至っている。
 六原まちづくり委員会は、六原自治連合会を中心に、外部の専門家で構成された防災まちづくり部会や空き家対策部会が連携して成り立っている。地元の建築士や不動産業者はメンバーにいないのかと聞いたが、原則、委員会活動はボランティアなため、その中で個人的な経済活動はやりにくいと地区内の業者は遠慮されると言う。寺川さん自身も宇治に設計事務所を構えているが、こうした活動をしていることで空き家の設計や活用に係る相談が持ち込まれることもあり、六原での経験を他地区での自らのビジネスに生かしているという趣旨のことを話されていた。
 こうした活動が続いているのは、一つにはマスコミで取り上げてもらったこと、そして各種の表彰を受けたことが大きいとのこと。空き家は所有者だけの問題ではなく、まち全体の問題だという認識が広がって欲しいと言われた。だからこそ京都市も専門の部署を立ち上げた訳だし、また地域ベースで空き家対策を進めることとしている。全国的には空き家対策が行政主導で進められているところが多い。京都市の場合は、需要と供給の関係では需要が圧倒的に供給を上回っている状況にあり、それで成り立っているという面もあると思うが、地区ごとに地域の問題として空き家対策に取り組む必要性を強く感じた。空き家対策はまだ始まったばかり。これからさらに多様な取組みが展開されるだろう。先行事例に惑わされず、地域個別の問題として取り組むことが重要なのだろうと思った。

タワー

 「シリーズ・ニッポン再発見」の中の1冊である。既刊は「マンホール」に「銭湯」、「トイレ」、「橋」。続刊として「包丁」が予定されている。タワーが日本独自の文化ではないし、五重塔など寺社仏閣は含まれていないので、シリーズに入るのはやや違和感があるが、それでも日本にはこんなに様々なタワーがあったのかと改めて驚いた。
 取り上げられたタワーは44本。その他にコラム欄で日本テレビ塔など、現存しない塔や高崎白衣大観音などが紹介されている。執筆者の津川氏は地理学の先生。そのためか、タワーの構造的な特性やデザイン上の特徴といった建築的な視点ではなく、ランドマークとして地域にどう捉えられているか、また、誕生までの経緯やタワーからの展望などがもっぱら記述されている。また、それぞれのタワー紹介の末尾に添えられた「トリビア」も面白い。
 ちなみにタワーだけではなく、超高層ビルもいくつか取り上げられている。今、名古屋では名駅地区に次々と超高層ビルが建設されている。そのことも記載されているが、しばらく経つとこの本もあっという間に時代遅れになるのかもしれない。新たに建設されるタワーもあれば、利用されなくなるタワーもある。TV放送やバブル期等がタワー建設にもたらした影響もいろいろとあるだろう。そういえば、瀬戸のデジタルタワーは掲載されていない。タワーはいかに建てられ、いかに変遷していくのかを、総括的に研究するとまたタワーの別の意味合いが見えてくるのではないかと思った。

チャーチル元英国首相が「私たちが建物をつくるが、その後は、建物が私たちをかたちづくる」という言葉で残しているように、建物や街のたたずまいはパブリックな性格を持ち、それによって、私たち自身は大きな影響をうけている。スカイツリーも、おそらく大きな影響を与える建築物となるだろう。(P32)
○現存する二代目の前には、初代通天閣が存在した。第5回内国勧業博覧会の誘致に成功した大阪は、その跡地に娯楽場「新世界」を建設し、中央に通天閣を据え、シンボルタワーとした。/初代は、凱旋門の上にエッフェル塔が乗るという奇抜なデザインだった。・・・しかし、開業からわずか3週間後の明治天皇崩御により、全国の娯楽施設では閑古鳥が鳴いた。初代通天閣も・・・第二次世界大戦のさなか・・・軍需資材として大阪府に献納された。(P78)
○複雑なデザインが災いし、3棟の年間メンテナンス費は約40億円と高額のため建て替えを検討されたこともある。空調やライフライン設備の老朽化も進み、現在は、都庁舎改修プロジェクトのもと、総事業費約762億円をかけ、改修を進めている。(P88)
○神戸市役所の最寄駅は、市営地下鉄「海岸線三宮・花時計駅」だ。駅名にも採用されるほど、神戸市のランドマークとして認知されているのが、市役所北側の花時計である。・・・地域の象徴性と同じ役割を担っている花時計は、1957(昭和32)年に日本ではじめてつくられた。・・・市役所横の大通りは「フラワーロード」と愛称がつけられ、花時計の影響が感じられる。(P100)
JRセントラルタワーズは、左右が非対称な形状のツインタワー。高さも異なる円柱状のホテルタワー、扇形のオフィスタワーから構成されている。・・・通常ツインタワーは対称につくられることが多い。しかし、設計を担当した大成建設によると、それぞれの自立性の表現、直線と曲線、凹凸面とフラット面という相反要素の組み合わせでオリジナリティを演出しているそうで、確かに、見る場所によって大きく表情を変える。/なお、ツインタワーという構造を選んだ大きな理由は、地下部分が地下鉄を挟んで分断されていたため、基礎工事が十分に行えない部分が出てきたためとされる。(P180)

小さな建築

 「小さな建築」って何だろう?

○「小さな建築」とは、寸法が小さな建築ということではありません。私たちが持って生まれた五感が、その中でのびのび働く建築、あるいは私たちの心身にフィットする建築・・・ここはどこ、今はいつ、これは何、隣はだれ、私はだれ…と、いつも感じていられるような建築と場所であってほしい。そのような感覚をもてるのが「小さな建築」です。(P2)

 象設計集団の創立メンバーの一人、富田玲子が自らの(または象設計集団の)建築思想や自らの半生、建築体験等を綴った本。実際には、富田自身が執筆するのではなく、語ったことを編集者の松井晴子らがまとめて本にしている。2007年に出版された時は読んでいなかったが、今回、「建築オノマトペ」が増補されて新版として再刊された。
 象設計集団の作品は出石市立弘道小学校や脇町立図書館を見たことがある。と思ったら、これらは創立メンバーの一人、重村力らのいるか設計集団の作品だった。名護市庁舎などは一度は見てみたい作品だが、雑誌等で見ただけでまだ実物を一つも見ていないことに気付いた。せめて近くにある多治見中学校だけでも見ておかなくては・・・。でも、見なくてもどんな作品、どんな空間が実現されているかは、雑誌等だけでもよくわかる。それだけ個性的でもあり、心地よさが伝わってくる。
 富田玲子と言えば、丹下健三ケヴィン・リンチの「都市のイメージ」を訳しており、東大丹下研究室出身だが、その後、早稲田大学の吉阪隆正研究室に移って、そこにいたメンバーと一緒に象設計集団を創設している。本書でも吉阪研究室の居心地がよく、また吉阪先生の指導方法に親近感を抱いていたことが書かれている。確かに、象設計集団の建築には早稲田の匂いがする。
 第4章「育った家のこと」で幼少期の頃を振り返るが、その頃に、浜口ミホや下河辺淳に自宅を設計してもらった話が出てくる。また、日本国憲法の執筆者の一人、ベアテ・シロタの父親、レオ・シロタに師事したピアニスト、藤田晴子にピアノを習っていたことも披露されている。なんと華麗な経歴であることか。もっともそれで今の地位を手に入れたというわけではなく、そうした経験があって筆者の感性が生まれ、象設計集団の一員として数々の名建築を生み出しているということ。一方で、女性として子育てと仕事を両立させてきた半生がある。だからこそ、象設計集団の設計には血と心が通っている。
 「小さな建築」とは、小さな人間に寄り添う建築、といった意味だろう。そして「建築のよろこび」を歌う。やはり象設計集団はいいなあ。でも創立時のメンバーは軒並み80歳近くになっている。彼らの建築の心は今後どう受け継がれていくのだろうか。本書には若い建築家の名前がほとんど挙がっていないところが少し気にはなる。

小さな建築【増補新版】

小さな建築【増補新版】

○やわらかいもの、自分よりも弱いものが身近にある環境をつくってあげるほうが、犯罪を防げると思っています。・・・暴力に対して力ではなく、やわらかさで対応していく知恵を働かせないと、際限がなくなっていくと思います。(P46)
特別養護老人ホームでは、・・・建物のすべてを自分の家と思ってほしい。草花が咲いているデッキや屋上も全部自分のものと思ったら、豊かな気持ちになるでしょう。・・・誰にとっても「老い」は未知の世界です。だから私たちの願いが、ものごとを感じ取る力を使い果たしてしまったかに見えるお年寄りたちの心に届いているかどうか、じつはわかりません。でもきっと届いているだろうと信じて、私たちは「終の棲家」をつくっているのです。(P83)
○丹下先生は私の案も含め、学生の作品をとても熱心にご覧になっていました。若い人の感性を吸収しようとする意欲が感じられました。だから逆に、林泰義は「丹下研究室に行ったら、持っているものをすべて吸収されてしまう」と思って、高山英華先生の都市計画の研究室に入ったらしいのです。そういえば、私の卒業設計のアトリエ棟の吊り構造の屋根の形は、国立屋内総合競技場に似ています。提出したのは61年だから、私のほうが先。もしかしたら丹下先生はこれを見て、影響されたのかもしれないと私はひそかに思っています。(P172)
○建築の条件はまず第一に、機能的であることです。雨漏りしない、つぶれない、燃えない、風を防ぐ、泥棒を防ぐ、人と物が収容できる、目印になる、使いやすいなどが条件です。/次に求められるのは、心地よいことです。涼風が抜ける、やわらかい光が入る、四季を感じる、広々している、こじんまりしている、自分の居場所がある、わかりやすく迷わない、静けさがある、にぎわいがある、調和があるなど、時と所により心地よさは多様です。/そして機能的で快適であることの先に、「建築のよろこび」があります。わくわくする、どきどきする、うきうきする、きらきら輝く、希望が湧いてくる、踊りたくなる、不思議な感じがする、怖い気もする、みんなで生きているんだなと思える、薫り高い、神秘的…。こんなよろこびが生まれる建築をつくりたいものです。(P248)