「大学町」出現

 本書を読もうと思った動機は、筆者が名古屋大学出身だったから。最近、名古屋大学及び関係者と関わることが多くなった。キャンパスにも行くことが増えた。これまではただ通り過ぎるだけの場所だったが、最近は鏡が池を眺め、起伏のある地形を歩き、周辺の高級住宅地や市街地を通ることが多くなった。地下鉄開通とともに豊田講堂や古川記念館が再生され、IB電子情報館や環境総合館が整備され、現在は建築系校舎の建替が進められている。本書では、名古屋大学も含め、戦前、郊外に整備・開発された関東・関西の主な大学の開発の経緯を振り返り、大学と市街地整備の関係を分析したものである。

 取り上げた大学と市街地は、一橋大学と国立、関西大学千里山関西学院神戸女学院と阪急沿線、東京工業大学と大岡山、慶應義塾大学と日吉台、名古屋大学大阪市立大学などである(大学名は現在)。

 東京では関東大震災後という特殊な状況の中で、私鉄敷設とともに民間の力に負った開発が行われた。そこには不利な地形も利用可能という大学キャンパスの特徴が民間事業者に利用された形跡が窺われる。また関西では、小林一三の多角的な私鉄経営の一環として、ミッション系のブランド・イメージや独特の建物景観が活用されている。

 大阪市立大学は、関一の大阪市都市計画に基づく計画的な緑地創出の一環として開発されたが、用地取得の難航の中で、都市計画の当初の意図は大幅に後退せざるを得なかった。一方、名古屋大学では、名古屋初の総合大学として、官主導により、土地区画整理事業を利用したキャンパス整備が行われた。

 終章で、「計画の一貫性と事業の実現性・・・の相克」という言葉がある。大学に限らず、ほとんどの施設が当初の都市計画の理想を実現することなく整備される。都市計画という手段を通さない方が計画を実現できることの方が多いかもしれない。副題の「近代都市計画の錬金術」という言葉は(これも私が本書に惹きつけられた要因の一つだが)、金を求めつつ多くの科学を発展させた錬金術を大学整備の経緯に照らして、周辺地域も含めた「大学町」の価値と意味を考える趣旨だと言う。

 それはある意味、現代都市計画に対する批判と見ていいのだろうか。そこまでの深い論考はされていないが、各大学の開発の歴史を見るだけでもそれなりに楽しめる1冊であった。

●大学キャンパスならば、高低差などの理由で住宅地として売りにくい土地も広場として活用することができる。そして、住宅地との相性もよく、商店街も成立する。こうして、市街地の形成と強く結びついた大学町が、東急沿線に出現したのである。(P117)

●愛知県による大学創設費の寄付、そして土地区画整理組合からの用地寄付といった地元負担によって、名古屋帝国大学の創設は実現した。そして用地寄付が可能となった背景には、戦前名古屋における土地区画整理の進展と、その特徴的な展開があったのである。その意味でまさに、土地区画整理が大学を生んだといってもよい。(P150)

●計画の一貫性と事業の実現性は、表裏の関係をなすものでもある。その相克のなかで、それぞれの都市における、それぞれの都市計画的な状況に応じて「大学町」が生み出されたのである。・・・多様な主体による都市計画的な試み、都市計画が制度となっていくことによって失われがちなものを、「大学町」は教えているように思えるのである。(P192)