持家政策を評価する視点と公共住宅の役割

 藻谷浩介の「デフレの正体」の中に、公営住宅と持家対策の2段階方式で成功した戦後の住宅政策を見習った医療福祉制度の構築」という提案がある。建築・都市計画関係者からはすこぶる評判の悪い日本の住宅政策を成功例として評価している点が気になっている。

 欧米の潮流は「公共住宅の直接供給から家賃補助制度へ」だと思っていたが、先日の海老塚先生の講演の中でも、イギリスの最近の住宅政策の流れとして、低価格持家促進事業が積極的に取り組まれているという。この事業の概要が知りたくて、少し調べてみた(というか、私のあさってな調べ方に業を煮やしたか、中部大のM先生にこの論文の存在を教えていただいた。)。

 同志社大学経済学部・菅一城准教授の「住宅購入の促進と公共的住宅の再評価-イギリスにおける低所得者向け住宅供給の政治経済学」だ。

 本論文は、サッチャー政権の公営住宅売り払い政策Right to Buy(RTB)に遡って、イギリスの持家促進政策を検証し、併せて低所得者対策としての公共的住宅の再活用の状況をレビューしたもので、公共住宅のあり方を考える上でも興味深い。

 まずRTB以降、イギリスでは持家率が大きく上昇した。2002年時点で70%を越えている。イギリスの政権は、その後労働党政権が受け継ぎ、今年になって13年ぶりに保守党政権に戻った。この論文が書かれた2005年時点では労働党政権だが、RTBは「住宅市場での柔軟な活動と安定的な共同体を両立する政策」として労働党政権にも評価され受け継がれている。いや先日の海老塚先生の講演でも、労働党に政権が移った1990年以降、持家率が大きく上昇するとともに、公営住宅HA移管が積極的に進められ、払い下げ戸数が増加しているということだった。

 低価格持家促進事業は大きく二つに分けられる。従来のRTBを代表とする公共的住宅入居者を対象とした制度とそれ以外の者を対象とした持家取得支援制度である。前者のRTBにも変遷があり、地域別割引上限額の導入や、不正防止のための購入後売却への歯止め策などが講じられている。また、HA住宅にも同様の割引購入制度がある他、公営住宅入居者に対する民間住宅購入資金補助もあるようだが、実施は地方自治体の裁量に委ねられ、実績自体は少ないようだ。

 公営住宅入居者以外に対する持家取得促進制度としては、大きく3つ紹介されている。Key Worker Living制度は教員や看護師、警察官などの都市サービスに不可欠な職業に従事する人々に限定して購入資金を5万ポンド(ロンドンの教員は10万ポンド)まで融資する制度である。しかも返済義務は、離職時、または購入住宅の転売時に発生し、かつ返済額は転売価格に比例するという。

 職業を限定しない持家促進制度としてはHomebuy制度がある。民間の既存住宅の購入時に購入金額の25%まで無利子融資するもので、財源は政府機関である住宅公社が拠出し、HA地方自治体と協議して融資対象者等を審査決定するという。

 もう一つ紹介されているのが、先の講演でも紹介されたConventional Shared Ownership制度である。これは本来購入価格の25%~75%を支払い、その分の所有権を得て、残りは家賃を払い続けるというものである。買い残し分はその後買い増しを行い、最終的には100%所有権移転を完了する。供給主体はHAで、この実績は他の低価格持家促進事業の倍額に達し、主導的な役割を果たしている。ちなみに、共有ではなく実際に特定部分を分割所有するDo-It-Yourself Shared Ownership制度もある。

 3つの制度のうち、最初のKey Worker Livingは職種が限定されており、2番目のHomebuyは全額ではないので低所得者には敷居が高い。Conventional Shared Ownershipは資金が足りない部分は家賃で補い、かつ家賃補助の適用対象となるようだから、低所得者の需要に対応している。

 もちろんこれらの持家促進策で低所得者がすべて救われるわけではない。住宅を購入しても自己資金分の住宅ローンが返済できない、税金や水道料金などが支払えない、購入した住宅を適正に維持・管理できないといった人々が存在する。そこで登場するのが「公共的住宅の再評価・再活用」である。

 既にイギリスの公営住宅の割合は、住宅ストック全体の9%近くまで減少したが、一方で社会住宅は8%まで伸びてきた。これらの公共的住宅を「住宅所有の負担に適さない世帯」のために一定数確保していく流れが出ているという。そのために、高齢者居住にふさわしい公営住宅の売払い申請を却下したり、一旦売却した公営住宅の買い戻しといった対応が行われている。もっとも単純に公営住宅の拡充ではなく、HAが主体となったり連携した取組が進められているようだ。

 この論文の最後「7.おわりに」では、「住宅所有を中心とした社会は、他方で公共的住宅が活用されることで機能する」と言いつつ、「持家を中心とする社会において、公共的住宅を相対的に少数のまま抑制しつつ効率的に活用することで十分に対応できるかどうかは今後の課題となる。」と書き、公共的住宅がどれだけあれば適当なのか、明確な判断をしていない。

 日本では戦後以来一貫して持家政策が取られてきた。現在では批判されることが多い持家政策だが、町内会活動への参加など、自己所有となることで地域への責任感が発生し、適正な維持管理が行われるなどの長所も多い。持家政策批判の真意は、持家取得促進策自体ではなく、その結果、公共住宅政策が手薄くなったことにある。

 一方、公共住宅における現在の最大の課題・矛盾は、入居者の沈殿化である。特に公営住宅は平成8年の応能応益家賃制度の導入以降、公営住宅収入基準に適合すれば合法的に市場からすれば相当に低い家賃負担で入居できる状況にある。もちろん実態はさらに低所得の収入分位10%未満の世帯が多く、コミュニティ・バランス等の面で課題となっている状況はあるが、一方で公営住宅入居者という既得権益を謳歌している世帯がいることも確かであり、公的サービス供与の不平等という問題を引き起こしている。

 サッチャー政権による公営住宅払い下げは「小さな政府」方針の下での民営化政策という側面があるが、一方で「柔軟で流動的な持家市場」を実現させ、その結果、真に住宅に困窮する世帯をあぶり出したと評価することもできる。だからこその「公共的住宅の再評価」である。

 現在の硬直化した日本の住宅政策を揺り動かし、適正な形に作り替えていくためには、「住宅居住の流動化」が一つのテーマになるかもしれない。それも、最近さまざまに取り組まれている持家層の流動化(ミスマッチ対策としての高齢の持家居住者の移住など)ではなく、借家層の流動化という方向で考えてみたらどうだろうか。公共住宅施策を持家政策と一体的に考えることで、これまでとは違った新たな住宅政策の展開が見えてくるような気がする。

 ちなみに蛇足だが、本論文の最末尾は「購入した住宅がその後の買い替え資力の源泉となることが保障されなければ、住宅購入は起居の場を確保することにとどまり、権利を行使し義務を果たす自立した住宅所有者の創出へと展開することは困難であろう。」という文章で結ばれている。「購入した住宅がその後の買い替え資力の源泉となる」とは、「中古住宅であっても、メンテナンス等の状況に応じ、新築時と同等の評価を得る」ということを意味する。まさにその点も日本の持家住宅市場の最大の課題の一つである。