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人間の居る場所

 3部構成で、第1部が筆者自身の講演がベースとなった都市論、第2部は陣内秀信山本理顕らとの対談集、そして第3部は三浦氏がプロディースした吉祥寺と福井市浜町でのコミュニティデザイン大賞の顛末とこの章に関わった人々によるコメントなどで構成されている。
 三浦氏のスタンスは、都市はもっと人々が自由に楽しめる場所であるべきだ、というもので、タワーマンションなどの大規模開発を否定し、リノベーションや手作り、持ち寄りのシェアライフを称賛する。冒頭の「都会と都心と都市は違う」という主張は理解できるし、「都市計画は時代遅れの近代主義」という指摘も納得できる。第2部に置かれた堤監督との対談では、監督が作成したホームレスを扱った映画「MY HOUSE」を巡って対談が弾む。第3部は三浦氏が書いているのはそれぞれのイベントの始まりと顛末で、後は倉方俊輔や隈研吾、馬場正尊などが文章を寄せている。ドキュメントとしては面白い。
 全体的にはやや拡散的で、最近の三浦氏の主張をつなげてみせたという感じだが、気持ちは伝わる。そもそも三浦氏の立ち位置とはそういうところなのかもしれない。

人間の居る場所

人間の居る場所

○都市の魅力とは、まず第一に自由があることだと私は思う。・・・だから。私から見ると、大手町とか霞ヶ関などは都市ではない。あれは単に都心業務地である。・・・たとえば駅前で人々が焼き鳥を食べている風景は都市的な風景だ。だが都心とは限らないし、都会的な風景でもない。都会的という言葉は、より消費的な風景だ。・・・だが、都市的というのは、必ずしも清潔でなくてもおしゃれでなくてもいい。・・・たとえば、高円寺は都会的ではない。・・・でも人を集める都市的な魅力がある。つまり自由が感じられる。それは消費者が集まる場所というだけではない、人間の居る場所としての魅力だ。(P10)
○[三浦]横のつながりも切っていくし、縦のつながりも切っていくのが近代主義であり、近代個人主義。・・・都市計画というのは、基本的には未来のビジョンを示す・・・仕事だったので、非常に政治的で、本質的に近代主義なわけですよ・・・でもそうじゃないんだ、縦のつながり、横のつながりが重要なんだ、と思う人が増えてくると、・・・都市計画って誰も共鳴しなくなるわけなんです。/[陣内]だから、どこかから「まちづくり」という言葉に変わっていくんです。(P55)
○[陣内]リチャード・ベンダーだんというカリフォルニア大学の有名な先生が、東京とか日本の大規模開発の状況をクリティカルに捉えて、「マンモス型の開発とトナカイ型の開発がある」と言ったんです。・・・[三浦]マンモスどころか恐竜ですよね。氷河期がきたら全滅。・・・ゴキブリ型だったら一億年生き延びるはず(笑)。/[陣内]逞しくあらゆる根を張って、人間の力を信じて、それと横のつながりとか、助け合うとかシェアとか、すべてのそういうリソース、人間、場所、自然エネルギー、そういうもの全部を総合して、みんなでつくりあげていく面白い環境、街、地域というようなイメージにしていかないと、サスティナブルにはならないと思うんです。(P68)
○昼間の真面目に働く世界、規則や効率の支配する世界、しかしどんどん生産を伸ばしていく世界は「縦」の世界であり、仕事が終わって一休みするのは「横」の世界なのである。・・・そして都市は、この縦の世界と横の世界の日常的で緊密なバランスの上に成り立っている。縦の世界は官庁街やオフィス街である。しかしその近くに必ず飲食店街、歓楽街といった横の世界がセットになっている。/この縦糸と横糸が細く緊密に織り上げられているほど都市は魅力的になる。・・・新しい公共とは、横の公共であると私は思う。・・・市民自身が横につながることで編み出されていくパブリックのネットワークである。官による縦のネットワークと市民による横のネットワークが絡まり合うことで、強く、しなやかで、柔軟な公共性ができあがる。(P223)

町の未来をこの手でつくる

 紫波町のオガールプロジェクトについては、本書を読むまでほとんど知らなかった。筆者の猪谷氏は産経新聞記者を経て、現在はハフィントンポストの記者を務めている。前著「つながる図書館」が好評で、そのつながりとして紫波町立図書館を取材。オガールプロジェクトに出会った。したがって、建築や都市計画、まちづくり分野には基本的に素人。だからこそわかりやすいレポートとなっている。
 結局、オガールプロジェクトはなぜ成功したのだろう。公民連携事業の中心人物として関わっている岡崎正信氏の存在。前町長の藤原孝氏の力。東洋大学の清水義次氏の指導力。町役場で岡崎市とともにこの事業に本気になって取り組んだ鎌田千一氏や高橋堅氏の行動力。松永安光をはじめとするデザイン会議のメンバーの実力。キーパーソンがよくこれだけ集まった。そして、岩手県フットボールセンターの誘致決定がこのプロジェクトを大きく前へ押し出した。「オガールプロジェクト」という名称の決定といった小さなことも、このプロジェクトを成功へと導いたきっかけとなっている。
 何といっても民間サイドでこれだけ公共事業に前のめりになって参加し、ど真ん中で奮闘している岡崎氏の存在が最大の要因であることは間違いないが、同時にこの活動を通じて気付くことが多くある。例えば、「人々が共感するライフスタイル」が中心にあってこそ、継続するまちづくりが可能であること。「循環型の地域をつくる」という紫波町の理念が中心にあってこそ、プロジェクトがぶれることなく進められたことなど。公民連携という事業手法以上に、きっとそれは重要なことだと言える。
 岩手県は遠いので、見学に行くことは難しいが、このまちづくりがこうしてわかりやすい本となって紹介されたことはうれしいことだ。猪谷氏の取材力・執筆力に感謝したい。そして同様な事業を別の地域で立ち上げることは不可能だろうが、そこに流れる精神はしっかりと参考にしたい。

町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト

町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト

○「アメリカでも日本でも、公民連携事業をやる上で問題になるのは、・・・スピードに対する価値観・・・公民連携の失敗の大きな原因はそこにあります。それで、アメリカでは・・・行政側に代理人という組織をつくって、そこに民間側の人間を入れる。行政側が、行政的な経験がある人間をエージェントとしてそのプロジェクトに入れて、行政側の代理人として、民間と交渉しながら進めていくという公民連携事業なんです。(P34)
○制度や商業ではなく、人間がここに住んでよかった、ここだったら住みたい、ここだったら生涯を終えてもいい……と思えるような町をつくらなければいけない。道路や再開発ビル、区画整理なんてものは、あくまでも生活の一部に過ぎない。・・・ただ、具体的にそれがどういうことなのか。アメリカやヨーロッパの事例を調べていった時、人間中心という意味が納得できました。一言で言うならば、ライフスタイル。人が憧れるライフスタイルとは何か、ということでした」(P36)
○長年塩漬けにされ、空き地になっている駅前町有地にどのような未来を描けば、このプロジェクトは成功するのか。まず、プロジェクトの名前が肝要だ。あれこれ考え始めた3人に、岡崎は頭の片隅にあったアイデアを口に出してみた。/「うちの嫁が前に、『オガール』と言っていたんですよ」/「おがる」には紫波の言葉で「成長する」という意味があると説明すると、清水は、直感で「それ、いいね」と応じた。・・・オガールプロジェクト。成長していく町。まさに、紫波町が目指そうとしていた未来とリンクする名前だった。(P85)
○オガールプラザには自分たちが商売する部分について、補助金は入れていません。先に金融機関や投資家がどういう条件だったらお金を出してくれるのかチェックし、その条件をクリアするために優良テナントを見つけ、投資額も抑える。・・・銀行にしてみれば、相手が民間企業だったら当たり前の話です。民間で当たり前にやっていることをまちづくりでやったら、みんなが騒いでいるというだけの話かもしれない。でも、地方再生には、ここが本当に一番大事なところだと思っています。(P128)
○町はどうあるべきか、特効薬のようなものを期待されることがよくありますが、実際に何をしたら豊かな生活ができて、それが地域の豊かさにどうつながっていくかという話が認識されないと、その先に行かない。でも、紫波町の驚くべきところはそこで、循環型社会という、そのベースの考え方がすごくしっかりしていることだと思います」(P181)

日本語の建築

 先に「『建築』で日本を変える」を読んだ。それは伊東豊雄に対するインタビューをまとめて本にしたものだった。本書を購入してから、これも同様にインタビューをまとめたものだということに気が付いた。それで同じようなことが書かれていたらどうしようかと、少し反省した。結果的には、前著は、岐阜メディアコスモス信濃毎日松本本社などの建築作品を中心に語っているのに対して、本書はそうした部分がありつつも、伊東氏の最近の建築思想を語ったものとなっている。
 中でも、新国立競技場コンペへの思いが語られた「新国立競技場三連敗」は興味深い。東日本大震災後に建築した「みんなの家」やまちづくり提案の挫折の経験、大三島での取組などを核として、モダニズム建築や責任者不在の問題、公共建築の管理の壁など批判する。そして、「建築をつくることそのものがコミュニケーションでありコミュニティだ」と言う。そのことには私も大いに共感する。理解できる。
 これらのメインストリームの間に、東京やインドや日本語が語られる。そして本書のタイトルも第5章の「『日本語』という空間から考える」から採られているが、本書全体からすれば枝葉の部分のように思える。タイトルは内容に比してミスマッチ。でも、内容的には最近の伊東氏の考えがよくわかり、心地よい。奥さんが旅立たれ、独り身だということも知った。だから大三島に行けるのかな。最近の伊東氏には風のように自由で、日なたのような温かさに溢れている。

日本語の建築 (PHP新書)

日本語の建築 (PHP新書)

○巨大な防潮堤を成立させている「安全・安心」という壁こそが、じつは最も堅固な壁なのです。しかもこの壁は必ずしも目に見えないけれども我々の周りの至るところに立ちはだかっています。なぜなら「安全・安心」の壁は「管理」という壁と同義語だからです。・・・「安全・安心」という大義のもとで人を守ってくれるはずの壁が、人と人を隔て、人を孤独に陥れているとすれば、こんな壁は大問題で、障壁でしかありません。(P4)
○責任者とはすなわち、管理する側です。その管理者の顔が見えない。それはなぜかといえば、問題があった時に責任をとらなければならないからです。・・・私は、やはり誰かが顔を見せて「私が責任をもつから一緒にがんばりましょう」と言ってくれること、それしかないと思います。今までの経験からいっても、クライアント側に誰かそういう人が一人でもいれば、必ずいい建築ができるのです。(P51)
仮設住宅が極小の家だとすれば、「みんなの家」は極小の公共空間、公共建築の最もプリミティブな形とも考えられます。・・・いわば「みんなの家」は、モダニズム建築を超えるための一つの試みなのです。仮設住宅モダニズム建築の究極の形だとしたら・・・そこを超えていくためには、一度、最もプリミティブなところまで立ち返り、新たに建築を組み上げていくしかないと思ったのです。(P65)
○透明なチューブ状の柱・・・が建ち上がっていくにつれて、役所の方も施工会社の方も、反応が変わってきました。「今まで見たこともない、新しいものを自分たちはつくっているんだ」という、自負心にも似た気持ちを抱いてくれるようになったのです。つまり、つくることを共有できるようになりました。私はこのプロセスから、建築は、コミュニケーションの場を提供するのではなく、建築をつくることそのものがコミュニケーションであり、そこにコミュニティ空間があるのだということを考えるようになりました。(P91)
○建築とは、一言にすれば「人の集まるところをつくる」ということです。ただ、いくら・・・コミュニティを形成する空間はここだと・・・机上で考えていても人は集まりません。だからこそ、建築塾の塾生が大三島に行き、そこで実践的に、人間関係を少しずつつくろうとすることには大きな意義があります。・・・このことは・・・「つくることがコミュニケーションだ」ということを、より明確に表していると思います。プロセスにこそ、交流が生じ、コミュニティが生まれるのです。(P173)