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モダニズム建築紀行 日本の1960~80年代の建築

 「モダニズム建築紀行―日本の戦前期・戦後1940~50年代の建築」とセットだが、後巻である本書から読み始めてしまった。1960年から1983年までに建築された46件の建物を紹介する。大阪府建築士会の会報「建築人」に「記憶の建築」として2009年から掲載されたものをベースに加筆したと言う。実に長きにわたってこの連載を続けている大阪府建築士会にも敬意を表したい。
 取り上げられている建物の設計者は、前川國男増田友也谷口吉郎大高正人白井晟一丹下健三吉村順三芦原義信、林昌二、鬼頭梓村野藤吾など多数に及ぶが、なかでも前川國男大高正人が多く目に付く。筆者がかつて前川國男建築設計事務所に勤めていたことから、そうした選択になっているかと思われる。別に、日本のモダニズム建築ベスト100を選ぼうという企画ではないので、それはかまわない。事務所在職時に出会った建築家から直接聞いた話なども紹介されるが、それぞれの建築家が作品発表当時に建築雑誌等に掲載した文章やインタビューも多い。筆者の感想は控えめに、建築家自身の言葉や文章を伝える姿勢は評価できる。
 そしてこれら日本の近代を作ってきた建築家がいかに建物と人間や自然、都市との関係などを真摯に捉え、模索してきたがよくわかる。現在の我々はここまで真摯に建物に向き合って建築しているだろうか。しかしそうして建築された建物が今、次々と壊されている。本書で紹介される建物の多くも、雑誌掲載後に解体されてしまった。そのことが連載の途中ながら本書の執筆・発行を進めた理由だという。本書が発行されたことはうれしいが、解体が進んでいることは悲しい。
 我々はどんな社会を作ろうとしているのか。それが建物や都市の姿にも表れているはずだ。でも経済性ばかりが優先されて、建物と社会や人間性との関係について真剣に考えることは少なくなっているような気がする。そうしたことを考え抜いた建物を安易に壊すことができるのもその故ではないか。

モダニズム建築紀行―日本の1960~80年代の建築

モダニズム建築紀行―日本の1960~80年代の建築

〇私は荒廃を深めてゆく都市の文明を思いながら、再び、素朴な人間の精神と肉体をつちかう自然とそして農村の価値を考えないわけにはゆかない。人類は・・・工場からはげしく煤煙を挙げた放射能に手をそめながら、巨大な経済力をたくわえ危険な文明を築こうとしている。私はその人類の意志と生命のはげしさを頭から否定することは出来ない。しかし一体そこに平和はあり得るのだろうかと深い疑念にもおそわれるのである。・・・都市化が急激に進む中、それを相対化できる「平和の原形」を農協に求めて、大高は農村建築にユートピアの具現化を志していたのだ。(P041)
〇「近代建築は人間の建築としての『初心』を思いださなければならない。科学といい、工業といい、人間の頭脳で考えられたものであるのに、それによってつくられる近代建築や近代都市が、何故に非人間的なのであるか。」(前川國男「文明と建築」)(P071)
〇「変転を続ける社会でつくられてきた建築の中に、変転を超えて生き続ける建築の生命を読み取り、いま建築がこの社会の中でもつ意味を誤りなくとらえることが必要です。過去をつぎつぎに消し去ってきたために、建築は現実の条件に密着しすぎるものとなってしまいました。社会的条件の変転に比べて建築の生命は長く、建築をつくる思想はさらに寿命の長い、確かなものでありたいと思います。」(林昌二「歪められた建築の時代―1970年代を顧みて」)(P115)
〇吉村は、名もない民家を訪ね歩いた経験から、「よい建築には人間的なスケールがある」ことに気づいたと言い、「プロポーションが結局生命なんだ」と述べている。・・・「私はデザイン或いはクリエーションというものは、これは決して手品のように新しいものを作り出すものではなくて、一つの配置再編成だと思うのです。やはり昔のものの中からいいものを一杯集めてよく勉強してそういうものを再編成することが即ち創造だと思う」(P144)
〇あるインタビューで、村野は次のように述べている。/「もともと建物というものの対象は、人間でしょう。・・・人間が建物にどういう影響を及ぼし、また反対にいえば、建物が人間にどういう影響を与えるかということでもあります。ところが、これを考えていきますと、まず建物の影と光という問題について考えなければならなくなります。しかし私は、陰影ということはただ物理的な意味ばかりではなくて、心のなかの光と影ということまで広げて考えたいと思います。つまり、私は、建物と人間との関係に倫理性を求めたいと思います。」(P233)

人間の居る場所

 3部構成で、第1部が筆者自身の講演がベースとなった都市論、第2部は陣内秀信山本理顕らとの対談集、そして第3部は三浦氏がプロディースした吉祥寺と福井市浜町でのコミュニティデザイン大賞の顛末とこの章に関わった人々によるコメントなどで構成されている。
 三浦氏のスタンスは、都市はもっと人々が自由に楽しめる場所であるべきだ、というもので、タワーマンションなどの大規模開発を否定し、リノベーションや手作り、持ち寄りのシェアライフを称賛する。冒頭の「都会と都心と都市は違う」という主張は理解できるし、「都市計画は時代遅れの近代主義」という指摘も納得できる。第2部に置かれた堤監督との対談では、監督が作成したホームレスを扱った映画「MY HOUSE」を巡って対談が弾む。第3部は三浦氏が書いているのはそれぞれのイベントの始まりと顛末で、後は倉方俊輔や隈研吾、馬場正尊などが文章を寄せている。ドキュメントとしては面白い。
 全体的にはやや拡散的で、最近の三浦氏の主張をつなげてみせたという感じだが、気持ちは伝わる。そもそも三浦氏の立ち位置とはそういうところなのかもしれない。

人間の居る場所

人間の居る場所

○都市の魅力とは、まず第一に自由があることだと私は思う。・・・だから。私から見ると、大手町とか霞ヶ関などは都市ではない。あれは単に都心業務地である。・・・たとえば駅前で人々が焼き鳥を食べている風景は都市的な風景だ。だが都心とは限らないし、都会的な風景でもない。都会的という言葉は、より消費的な風景だ。・・・だが、都市的というのは、必ずしも清潔でなくてもおしゃれでなくてもいい。・・・たとえば、高円寺は都会的ではない。・・・でも人を集める都市的な魅力がある。つまり自由が感じられる。それは消費者が集まる場所というだけではない、人間の居る場所としての魅力だ。(P10)
○[三浦]横のつながりも切っていくし、縦のつながりも切っていくのが近代主義であり、近代個人主義。・・・都市計画というのは、基本的には未来のビジョンを示す・・・仕事だったので、非常に政治的で、本質的に近代主義なわけですよ・・・でもそうじゃないんだ、縦のつながり、横のつながりが重要なんだ、と思う人が増えてくると、・・・都市計画って誰も共鳴しなくなるわけなんです。/[陣内]だから、どこかから「まちづくり」という言葉に変わっていくんです。(P55)
○[陣内]リチャード・ベンダーだんというカリフォルニア大学の有名な先生が、東京とか日本の大規模開発の状況をクリティカルに捉えて、「マンモス型の開発とトナカイ型の開発がある」と言ったんです。・・・[三浦]マンモスどころか恐竜ですよね。氷河期がきたら全滅。・・・ゴキブリ型だったら一億年生き延びるはず(笑)。/[陣内]逞しくあらゆる根を張って、人間の力を信じて、それと横のつながりとか、助け合うとかシェアとか、すべてのそういうリソース、人間、場所、自然エネルギー、そういうもの全部を総合して、みんなでつくりあげていく面白い環境、街、地域というようなイメージにしていかないと、サスティナブルにはならないと思うんです。(P68)
○昼間の真面目に働く世界、規則や効率の支配する世界、しかしどんどん生産を伸ばしていく世界は「縦」の世界であり、仕事が終わって一休みするのは「横」の世界なのである。・・・そして都市は、この縦の世界と横の世界の日常的で緊密なバランスの上に成り立っている。縦の世界は官庁街やオフィス街である。しかしその近くに必ず飲食店街、歓楽街といった横の世界がセットになっている。/この縦糸と横糸が細く緊密に織り上げられているほど都市は魅力的になる。・・・新しい公共とは、横の公共であると私は思う。・・・市民自身が横につながることで編み出されていくパブリックのネットワークである。官による縦のネットワークと市民による横のネットワークが絡まり合うことで、強く、しなやかで、柔軟な公共性ができあがる。(P223)

町の未来をこの手でつくる

 紫波町のオガールプロジェクトについては、本書を読むまでほとんど知らなかった。筆者の猪谷氏は産経新聞記者を経て、現在はハフィントンポストの記者を務めている。前著「つながる図書館」が好評で、そのつながりとして紫波町立図書館を取材。オガールプロジェクトに出会った。したがって、建築や都市計画、まちづくり分野には基本的に素人。だからこそわかりやすいレポートとなっている。
 結局、オガールプロジェクトはなぜ成功したのだろう。公民連携事業の中心人物として関わっている岡崎正信氏の存在。前町長の藤原孝氏の力。東洋大学の清水義次氏の指導力。町役場で岡崎市とともにこの事業に本気になって取り組んだ鎌田千一氏や高橋堅氏の行動力。松永安光をはじめとするデザイン会議のメンバーの実力。キーパーソンがよくこれだけ集まった。そして、岩手県フットボールセンターの誘致決定がこのプロジェクトを大きく前へ押し出した。「オガールプロジェクト」という名称の決定といった小さなことも、このプロジェクトを成功へと導いたきっかけとなっている。
 何といっても民間サイドでこれだけ公共事業に前のめりになって参加し、ど真ん中で奮闘している岡崎氏の存在が最大の要因であることは間違いないが、同時にこの活動を通じて気付くことが多くある。例えば、「人々が共感するライフスタイル」が中心にあってこそ、継続するまちづくりが可能であること。「循環型の地域をつくる」という紫波町の理念が中心にあってこそ、プロジェクトがぶれることなく進められたことなど。公民連携という事業手法以上に、きっとそれは重要なことだと言える。
 岩手県は遠いので、見学に行くことは難しいが、このまちづくりがこうしてわかりやすい本となって紹介されたことはうれしいことだ。猪谷氏の取材力・執筆力に感謝したい。そして同様な事業を別の地域で立ち上げることは不可能だろうが、そこに流れる精神はしっかりと参考にしたい。

町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト

町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト

○「アメリカでも日本でも、公民連携事業をやる上で問題になるのは、・・・スピードに対する価値観・・・公民連携の失敗の大きな原因はそこにあります。それで、アメリカでは・・・行政側に代理人という組織をつくって、そこに民間側の人間を入れる。行政側が、行政的な経験がある人間をエージェントとしてそのプロジェクトに入れて、行政側の代理人として、民間と交渉しながら進めていくという公民連携事業なんです。(P34)
○制度や商業ではなく、人間がここに住んでよかった、ここだったら住みたい、ここだったら生涯を終えてもいい……と思えるような町をつくらなければいけない。道路や再開発ビル、区画整理なんてものは、あくまでも生活の一部に過ぎない。・・・ただ、具体的にそれがどういうことなのか。アメリカやヨーロッパの事例を調べていった時、人間中心という意味が納得できました。一言で言うならば、ライフスタイル。人が憧れるライフスタイルとは何か、ということでした」(P36)
○長年塩漬けにされ、空き地になっている駅前町有地にどのような未来を描けば、このプロジェクトは成功するのか。まず、プロジェクトの名前が肝要だ。あれこれ考え始めた3人に、岡崎は頭の片隅にあったアイデアを口に出してみた。/「うちの嫁が前に、『オガール』と言っていたんですよ」/「おがる」には紫波の言葉で「成長する」という意味があると説明すると、清水は、直感で「それ、いいね」と応じた。・・・オガールプロジェクト。成長していく町。まさに、紫波町が目指そうとしていた未来とリンクする名前だった。(P85)
○オガールプラザには自分たちが商売する部分について、補助金は入れていません。先に金融機関や投資家がどういう条件だったらお金を出してくれるのかチェックし、その条件をクリアするために優良テナントを見つけ、投資額も抑える。・・・銀行にしてみれば、相手が民間企業だったら当たり前の話です。民間で当たり前にやっていることをまちづくりでやったら、みんなが騒いでいるというだけの話かもしれない。でも、地方再生には、ここが本当に一番大事なところだと思っています。(P128)
○町はどうあるべきか、特効薬のようなものを期待されることがよくありますが、実際に何をしたら豊かな生活ができて、それが地域の豊かさにどうつながっていくかという話が認識されないと、その先に行かない。でも、紫波町の驚くべきところはそこで、循環型社会という、そのベースの考え方がすごくしっかりしていることだと思います」(P181)