知られざる地下街

 (P019)に「こんなに距離が短い地下街があった」として、「蒲郡北駅前地下街」が紹介されている。(P025)に「全国地下街一覧」が掲載されているが、80ヶ所の地下街のうち、人口10万人以下の市にある地下街はこの「蒲郡北駅前地下街」だけだ。生まれ育った町なので、もちろんその存在は知っており、飲み屋街という印象だったが、最近は閉店した店も多く、シャッターの間にぽつりぽつりと店がある感じ(のようだ。最近行ってないので知らない)。でもこうして全国地下街の一つとして掲載され、もっとも短い地下街として1ページを割いて紹介されているのを見るとうれしい。
 廣井先生は名古屋大学在籍中に多少の面識はあるが、地下街の研究をしていたとは知らなかった。第1章、第2章で、地下街のトリビアと歴史を紹介。続いて「全国地下街案内」として、札幌から福岡まで、全国24ヶ所の特徴的な地下街が紹介されている。名古屋の地下街が7ヶ所と、東京・大阪を抑えて最も数が多いのはうれしい。中でも「サンロード」は日本で初めての本格的な地下街だそうで、地下街の南側が彎曲して迷路のようになっている理由は本書を読んで初めて知った。「エスカ」となごやめしの関係などのエピソードも面白い。
 第3章の「災害から地下街を守る、日本の進化する技術」こそが廣井先生の専門だが、正直、あまり面白いわけではない。火災や浸水被害への対応もある意味当たり前。だが、停電時には真っ暗になってしまうという指摘はなるほどと思った。これは確かに大変。蓄光表示などの対策が挙げられていた。また第4章「地下街のこれから」ではもっぱらICT、位置・空間情報技術の説明に終始していたのには閉口した。専門的過ぎる感じ。
 冒頭で「蒲郡北駅地下街」の紹介をしたが、地下街が今後も経営的に成り立つかどうかが、これからの地下街を考える上での最大の課題ではないか。各地下街が近年盛んにリニューアルをしていることが紹介されているが、それも老朽化もさることながら、経営面での課題があるから。そして地下街防災推進事業の実施が紹介されているが、それができない地下街はどうなってしまうのか。シャッター商店街以上にシャッター地下街対策は深刻ではないかと思うのだが、それを防災が専門の廣井先生に期待しても無理でしょうね。都市計画的、若しくは経営学的な視点からの地下街研究に期待をしたい。

知られざる地下街

知られざる地下街

○地下街の建設動機は、地下鉄の施設とあわせて開設されたもの、単独の商店街として建設されたもの、地上交通の混雑緩和を目的にした地下通路の設置にあわせてつくられたもの、地下駐車場にあわせて併設したものなど、さまざまです。・・・多くの地下街が昭和30年代、40年代に開業していて、30年以上経過している地下街は全体の約8割に上り、中には60年以上経過しているものもあります。(P036)
エスカにとってのターニングポイントは2005年に開催された愛知万博でした。・・・名古屋駅近のエスカは、訪れた方に名古屋らしさを感じてもらえるような“おもてなしを”と、当時はまだ“B級グルメ”と呼ばれていた「なごやめし」に特化した飲食店を積極的に誘致し、見事に成功。万博終了後も“エスカ=なごやめし”のイメージが定着し多くの来街者に楽しんでいただいています。(P061)
○地下に連絡通路を設けて地上の渋滞を緩和することを立案したのですが、それならばその地下通路の維持管理の収益を確保するため、地下通路沿いに商業施設つまり店舗を備えた明るい街づくりをしようと考えたことがサンロード開業の発端・・・です。また・・・時を同じくして計画された名古屋市営地下鉄東山線の隧道上に一体構造で建設され・・・そのため地下鉄線路に沿って地下街の南側は彎曲しています。(P068)
○外からの光が入りにくく、ほとんどいつも照明に依存している地下街が停電になると、想像以上に暗くなり、周りの状況を把握できなくなる可能性があります。・・・そこで・・・「畜光」の利用が、停電時の対応の一つとして挙げられます。(P136)

岐阜市の歴史的町並み

 岐阜市の川原町辺りを歩いたのはもう14年も前のことだ。先月、日本建築学会東海支部都市計画委員会の主催で、岐阜市歴史まちづくり課の方から「歴まち計画」について聞き、現地を案内していただく見学会が開かれた。久しぶりに岐阜市の町並みが見たくて参加した。
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 「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」(通称:歴史まちづくり法)は平成20年に制定されている。これを受けて岐阜市が「岐阜市歴史的風致維持向上計画」(略して「岐阜市歴まち計画」)を策定したのが平成25年。昨年、2017(平成29)年には織田信長稲葉山城を攻略し、「岐阜」に改名して450年を迎えた。岐阜市ではこれを機に「岐阜市信長公450プロジェクト」を大々的に開催するとともに、岐阜城跡周辺の整備を精力的に進めている。
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 「岐阜市歴まち計画」で歴史的風致として選定しているのは全部で7風致。このうち岐阜城跡周辺の「長良川鵜飼と鵜匠の家にまつわる歴史的風致」、「岐阜まつりと岐阜城下町にまつわる歴史的風致」、「岐阜提灯・岐阜うちわと川原町の町屋にまつわる歴史的風致」の3風致については、重点区域「金華・鵜飼屋区域」(面積:約550ha)に指定されている。重点区域内では、岐阜公園再整備事業や岐阜公園三重塔修復整備事業、織田信長居館跡発掘活用事業、歴史的建造物群景観形成助成制度や景観重要建造物等助成事業などの拠点施設整備に係る事業や、無電柱化推進や道路整備等の周辺環境整備に関する事業、そして「信長学」推進プロジェクトや長良川まつり補助事業や長良川中流域の文化的景観保存調査事業などの諸事業を展開している。順次、説明をいただき、また見学をさせていただいた。以下、見学ルートに沿って記録しておきたい。
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 説明を川原町の入り口、「ぎふ長良川鵜飼 鵜飼観覧船待合所」の2階で受け、それから見学会に出発した。長良川沿いに長良橋の下をくぐると、20艘近い鵜飼遊覧船が並んでいる。鵜飼シーズンは5月11日からなので、まだ営業は始まっていなかったが、準備万端という感じだ。川の向かい側には長良川温泉街の建物が並ぶが、その一帯が鵜匠家や旅館が立ち並ぶ鵜飼屋地区だ。この鵜飼屋地区と出発地点だった川原町地区は堤外地、すなわち河川の中にある。
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 しばらく歩くと、鵜飼観覧船の造船所がある。全国唯一の市営の造船所で、ちょうど2艘造船中。ついで向かったのが岐阜公園。御手洗池の横を通り過ぎると、子供向けの遊具が並ぶ「ちびっこ天下広場」がある。民家イメージの滑り台や物見やぐらから滑り降りるスライダーなどが子供たちに人気。もともとあったということもあり、こうした施設も必要とのこと。子供の歓声を聞きつつ通り過ぎると、山腹で信長公居館跡の発掘が行われている。発掘中の手前の広場はかつて池や滝のあった庭園で、そこに面して褶曲した地層が見える。この前でブラタモリが撮影を行った。その広場から急な坂道を登っていくと、真新しい三重塔が聳えている。
 三重塔は大正6年大正天皇即位を祝う記念事業として建立。高さ約22m。伊東忠太が考案、建造場所の選定は川合玉堂が川原町の茶室から金華山を眺めて決めたという。完成後まもなく軒が下がり始め、補強柱で軒先を支えている。今回修復にあたって、この補強支柱は取り去り、木材の腐朽部分の補修や鬼瓦等の復元などを行い、彩色を施した。塔の内部では心柱が地面から浮く懸垂式工法を見ることができる。
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 信長公居館跡はまだまだ発掘中だが、当時の石垣も残っている。ただし木材などは、関ヶ原合戦の前哨戦で岐阜城が落城後、加納城に転用されたという。現在の岐阜城明治43年に復興天守閣が完成したものの、戦争で焼失。昭和31年にRC造で再建された。発掘調査中の公園の中をぶらぶらと下って行き、名和昆虫博物館、歴史博物館の横を通って、旧城下町地区に入っていく。
 まず向かったのが岐阜大仏。日本三大仏の一つと言われ、「そんな大仏あったっけ?」とバカにしてはいけない。高さ13.7mは奈良の大仏などにはかなわないが、木材の骨格に粘土を塗り、経文を張って、漆を施し、さらに金箔をおいた、乾漆仏としては日本最大の大きさ。天保3(1832)年完成なので、既に建立後185年が経っている。正面から見上げると優しい笑みで見下ろされ、「癒し系大仏」と案内の方が評していた。
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 ついで長良橋通りを西へ歩く。南側に妙照寺。北側には常在寺。ここには齊藤道三肖像画が所蔵されている。しばらく行くと、小さな水路を跨ぐが、ここが武家町と商人町の境。岐阜の町は岐阜城落城後、武家町は加納城の周りに移るが、商人町は長良川の水運の利があったため、そのまま残ったそうだ。魚屋町から久屋町、西材木町と北へ上がっていくと、古い民家が多く残っている。細い格子がきれいに洗い込まれた商家が並ぶ。御鮨街道とも呼ばれたそうだが、各商家の情報などが整備されていないのが残念。川原町と並ぶ素晴らしい景観が残っている。
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 川沿いの道路の手前に古い建物もうまく利用し、雰囲気のある木造の商業施設がある。ナガラガワフレーバー。カフェやベーカリー、ギャラリー、その他センスあるショップが並び、客を集めていた。その手前の路地を入っていくと、黒塀の倉庫の脇をカギの手に曲がり、次の通りに出る。ふり返ると、いい感じの商家。妻入りの屋根に平入りの下屋が通りに面している。背の高い格子戸が付いて、荷を出し入れの際には大きく前面を開けるのだろう。その隣には平入りの商家が続く。
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 さらに路地を東進。うだつのある小振りな商家が可愛い。このあたりの民家は2階に座敷があって、東側が開けて金華山岐阜城が眺められるようになっているのだという。ようやく大通りに出て、水路を渡り、川原町広場へ出る。ようやく川原町に戻ってきた。川原町広場から通りに上がる坂道の両側には玉石積みの石垣があって、蔵が載っている。右が青木家住宅土蔵。左は後藤市三郎商店土蔵。通りに出ると両側に趣のある商家が並び、続いている。赤い郵便ポストが建つ川原町家はカフェ。向かい側には明治30年建築の十六銀行旧富茂登出張所がある。その後は次第に強くある雨脚と、宵闇が迫る中、川原町の町並みを歩いて回った。
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 14年前に比べるとすっかり修景されてきれいになった。ラ・ルーナビエーラやホテル十八楼の前には正装をした案内スタッフが立っている。ラ・ルーナビエーラは覚えているけど、ホテル十八楼なんてあったっけ。岐阜うちわを製造販売する住井富三郎商店のことは覚えている。改めて当時のHP「岐阜のまちづくり/金華山・川原町・中心市街地活性化:(遊)OZAKI組」を見て、感慨にふけった。岐阜市はすっかり魅力的な街になりつつある。
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人口減少時代の都市

 「人口減少時代の都市」の後ろには「経営戦略」と補えばいいのだろうか。経済学者から見た成熟型の都市政策の提言。だが、書かれていることにそれほどの意外性はない。むしろこれまで都市計画の研究者が言ってきたことを経済学者の観点から言い直したような気がする。
 第1章「人口減少都市の将来」で都市財政の人口減少による問題を指摘した後、第2章「『成長型』都市経営から『成熟型』都市経営へ」で紹介されるのは、意外にも戦前・戦後の都市経営。関一の大阪市都市政策と、神戸市の宮崎市長による都市経営だ。そして第3章「『成熟型都市経営』への戦略」で提言されるのは、ランドバンクを活用した空き家・空き地の活用と、自治体による電力供給事業への参入など。そこでは高松市丸亀町商店街の取組や富山市LRTと一体となった中心市街地整備事業、ドイツのシュタットベルケ、さらに長野県飯田市の住民参加の取組や神奈川県秦野市の公共施設再配置の取組などが紹介されている。
 しかし思うのは、結局これらの取組は、集中と選択による一部地域における経済活性化の取組であって、衰退地域での取組ではないのではないか。それに対して筆者が提案しているのが、未利用地の公園や緑地への転換。だが、それも経済的視点からは、豊かな自然・緑地の存在による資産価値の維持・上昇といった形で評価せずにはいられない。そしてそれを進めるための自治体による公営事業の推進。しかし本当にそれで大丈夫なのか。また失敗する自治体が多く出現するだけではないのか。
 人口が減少し、地域経済が全体的に衰退する状況の中で必要なのは、戦略的な都市経営ができない凡庸な自治体でも存続し、住民が満足と幸福のうちに生涯を送ることができるような自治体運営ができる制度や仕組みではないか。本書のような提言を実践することにより、成功できる自治体はいい。成功できない自治体をいかに支えるか、失敗する自治体をいかに生み出さないかが今、求められているような気がする。
 本書の中でもっとも評価したいのは、空き家・空き地を緑地へ転換することを好意的に捉えている点。結局、人口減少というのは、どう考えても、居住地の減少にならざるを得ないわけで、その減少分は緑地などにするしかない。それをどう達成していくか。それが都市づくりという点で求められる。都市経営的視点でそれをどう進めていくことができるか。経済学の立場からはその点で前向きな提言を期待したい。

○現代の自治体は、人口減少下で税収の伸びが期待できない中、市営事業を通じて都市財源を開拓していった戦前の都市経営の経験から、多くの教訓を引き出すことができるのではないだろうか。特に電力供給事業は、2011年3月の福島第一原発事故後、環境が大きく変わり、再び自治体が参入可能な事業領域となった。(P55)
○成熟段階の都市政策では、投資の優先順位を社会資本という物的投資から、自然資本、人的資本、社会関係資本という非物的投資へと、重点を移行させる必要がある。・・・これら「拡張された資本」へ投資を行い、その厚みを増すことは、成熟都市にとって、まず経済成長の源泉となるだけでなく、市民の福祉水準の向上に直接的に好影響を与える。さらに、もちろん経済成長で所得水準が上昇すれば、そうした経路からも、市民の福祉水準を押し上げられることになる。(P104)
○空き家問題を解決することは、都市空間を再編し、緑豊かな街区を形成する千載一遇の機会としてとらえてはどうだろうか。所有者が利用可能性のない空き家の所有権を手放したくない場合は、ランドバンクが解体を請け負う代わりに、その利用権を、時限を切って譲り受けて緑地化することが考えられる。他方、所有者が不明な空き家の場合は、所有権をランドバンクに移転させたうえで解体し、コミュニティの生活の質向上を狙って恒久的な公園、ポケットパーク、緑道、広場などを計画的に設置していくことが想定される。(P139)
○ランドバンクがまちづくり事業に踏み込むとき、その成否は、空間再編事業の終了後にそこを利用する住民とそのコミュニティにかかっていることを忘れてはならない。・・・事業の当初から、コミュニティの住民たちが空き家問題をどのように解決し、自らの生活の質を高めるために何が必要かを議論し、空間再編後のコミュニティの姿について、設計図を描いておく必要がある。(P139)
○都市空間の経済的利用を最優先したこれまでの「人口増加・成長経済型の都市経営」とは異なり、「成熟型の都市経営」では、自然資本をもっとも重要な資産かつ戦略的資源と位置づけ、積極的な投資対象とみなすべきである。・・・日本では、公園・緑地は経済的価値を生まないために・・・きわめて低い優先順位しか与えられてこなかった。しかし今後はその発想を逆転させ、都心部が貴重な経済的空間だからこそ公園・緑地を配置することで、その土地・不動産の経済的価値が高まることに留意した開発を行う必要がある。こうした公園・緑地の経済的作用は、都市政策の観点から、もっと注目されてよい。(P149)