新・建築職人論☆

 本書とは関係ない話であるが、先日読んだブレンディみかこの「リスペクト―R-E-S-P-E-C-T」が良かった。他のブログでその感想は書いたが、ホームレス・シェルターの退去通知を受けた女性たちが公営住宅の空き家を占拠し、「居住の権利」を訴えるという実際にイギリスで起きた事件をモデルに、居住の権利や尊厳の問題をわかりやすく描き出している。
 で、続いて読んだのが、本書。これまで、住宅の生産や供給を流れる時代や社会の中に置いて、この後の方向を見てきた筆者だったが、本書では「職人」について取り上げる。たぶん、もともと職人の世界が気になり、また好きだったのだろう。というか、実は私も同じ。私の場合は、実家が土木業者だったこともあって、幼い頃から現場で働く大人たちを見てきたからだが、松村氏はどうしてだろうか。
 大工を始めとする職人の減少と高齢化は言われ始めて久しいが、事態はますます深刻な状況になっている。その中で筆者は、女性と外国人とDIYに注目する。彼らを建築職人の世界に招き入れたらどうか。いや、招き入れるべきではないか。して、その方策は?
 第2部「新たなものづくり人たち」では、女性職人へのインタビュー、そしてコミュニティ大工を自称し活動する鹿児島の加藤潤氏の活動を紹介し、加えてDIYerの可能性について考察する。そこから第3部の冒頭では、電動工具に着目するところも面白い。そして6章では、彼らを建築職人の世界に招き入れる方策について検討する。
 まず考えるのは、職人の誇りや遣り甲斐にコミットし、それを高めていくような方策が必要ではないかということ。そして、加藤潤氏が実践するコミュニティ大工のやり方、素人も含めて、みんなで計画し、設計し、施工していく方法を評価する。実は既にそんなやり方を設計分野から始めている人たちもいた。もちろんそれはまだ、一部の先鋭的なグループが始めたばかりに過ぎない。だが、今後、建築職人がさらに減少していくとしたら、そしてそれに歯止めをかけるためには、やはり職人の技をリスペクトし、共有していくしかないのではないか。
 「リスペクト」。図らずも、冒頭で紹介したブレイディみかこの小説のタイトルと同じになってしまった。でも、建築職人の世界も、そして人間の居住という視点においても、「リスペクト」というのは大事な感情であり、思想であるのは間違いない。「リスペクト」があってこそ、職人も、そしてみんなもハッピーになれるのではないか。オープンなものづくりコミュニティがみんなを幸せにする。そんな未来が実現すると良い。

○和室の骨格としての柱、梁、長押はもちろんのこと、敷居や鴨居、天井といった木部をつくる大工、襖や障子などの建具をつくる建具職と経師や和紙漉き職、畳をつくる畳職、畳表をつくる藺草農家、畳縁をつくる織物屋、土壁部分をつくる左官、欄間をつくる彫師といった建築職人たち。こうした建築職人たちがほとんどすべての日本の住宅に対応できる形で育成され、継承され、展開してきた幾世代にも亘る過程…。この過程の上に立つ建築職人の世界こそ、私たちの文化の基層と言ってよい。(P37)
○これまで入り口の設け方が限定的に過ぎた建築職人の世界を、もっといろいろな人にひらいていくべきだと考えてきた。そこでは新しい人として、女性の皆さん、外国人の皆さん、セルフリノベーション等でDIYに親しんだ皆さんを、明確に意識すべきだと考えている。…奥深い技能の世界は自己実現の喜びに繋がっており、建築をつくる行為は豊かさに満ちている。それを期待する新たな人々を、このものづくり人の世界に招待したいと心から願っているのだ。(P57)
○大工仕事は全く初めてという近所の人も含めて、地域内外のさまざまな人が加わる混成チームによる改修工事。…施主自身にとっても、工事に参加することはある種の自己実現であり、あるいはチーム・スポーツに似た楽しみであるよう…。そして、予算、工期、完成図を決めず、臨機応変に対応するのが基本だとのこと。これは、施主自身が工事現場を経営する「直営」という方式の一種と言えるかもしれない。…この臨機応変を旨とする「直営」が、コミュニティ大工の組織する素人も交えた工事チームに、無用な緊張感を与えず、「楽しい」と思わせる伸び伸びした環境を成立させているのである。(P127)
○自分の家のDIYリノベーションということになると、やるべきことがなくなってしまうことが一般的にあり得る。…この欠点を補うには、他人様の家を対象とすることの可能性の検討が早道ではないか。つまり、DIYを入り口として、新しいものづくり人の世界に入っていく形の追求があって良いと考える。DIYで目覚めたものづくりへの関心を、技能を高める方向に結び付ける教育・訓練の場や、あるいは仲間とのチームワークで実践を積み重ねる継続的な場の形成などが考えられると良い。(P146)
○若い人が豊かな気持ちで働けるものづくりの世界を、建築という分野でつくるためには、…目標達成に寄与する新技術導入かを判断していく態度が必要だ。…長期的に見てその技術の適用が、建築職人個々人の作業におけるやり甲斐や極め甲斐を生み出せているか否か。…ややもすると、これまでの効率化を促す新技術は、建築職人の裁量権を縮小したり、…熟達意欲の湧かない方向に変えたり、作業自体の達成感を減じたりすることがあっただろう。しかしそれでは、建築や都市の基層は擦り減るばかりである。(P160)
○「設計」において、情報共有と参加ということを核に新たな業態モデルが同時多発的に表れ始めている。/例えば、…発注者も設計者も職人も全員参加型のプロセスをつくり上げることに重きを置いて立ち上げた、「HandiHouse project」。…発注者もすべてのプロセスに参加する…「つみき設計施工社」。…「設計」から建築界に入った人たちが、「施工」の魅力や可能性に覚醒し、素人である発注者を巻き込みながらの新しい設計施工一式の業態に辿り着いたところが誠に面白い。(P181)

藤森照信の現代建築考

 「現代建築考」というタイトルを見て、藤森照信もついに2000年代以降の建築の評論をするようになったかと早合点してしまった。いや、そうではない。最も早いのはウィリアム・ヴォーリズの「浮田山荘」。最も新しいのは筆者の設計になる「たねや ラ・コリーナ近江八幡」。多くは戦前から1980年代まで。フランク・ロイド・ライトが旧山邑家住宅を残して日本を去った後、残されたアントニン・レーモンドが残した数々の建物。そして、ル・コルビュジエの事務所で働いた面々が戻ってきて、活躍をする時代。さらに、丹下健三が現れ、菊竹清訓磯崎新黒川紀章などが登場する、ポストモダン前までの建築を紹介していく。
 もとは、東京ガスのPR誌「LIVE ENERGY」で20年近く連載されていたもの。本書を通じ、藤森照信が関心を寄せるのは、バウハウスを代表するモダニズム建築を「白派」と置き、それに対してモダニズムに足りない表現を加えたル・コルビュジエを「赤派」をして、両者の流れを汲む建築家の作品を見ていく。とは言っても、自分自身を「赤派」の末尾に加える筆者のこと。近代以降、いかに世界とは異なる日本独自の建築が発展していったかという観点で取り上げれば、おのずと「赤派」に属すると思われる建築家の作品が多くなっていく。
 だが、ただ「赤派」の建築を見ていくだけではない。多くは、これまであまり紹介されてこなかった作品=小品が多い。たとえば、三重大学のレーモンドホール(1951年)、前川國男の木村産業研究所(1932年)、村野藤吾の旧・佐伯邸など。また、与那原カトリック教(片岡献1958年)、カトリック教会(ジョージ・ナカシマ1965年)に至っては、建築家の名前すら知らなかった。なお、松村正恒の日土小学校(1958年)を筆者自身がドコモモで選定されるまで「知らなかった」と述べているのは、何となく心強い。ちなみに、菊竹清訓の東光園は知ってはいたが、「二段ピロティはこれが初。初にして絶後」とはあまり意識していなかった。数年前皆生温泉に行った際に見てこればよかった。
 久し振りに多くの建築作品を、藤森照信の解説で見ることができて楽しかった。やはり藤森照信は、その知識の確かさだけでなく、名文家だと改めて思った。2000年以降の作品に対する藤森の批評もいつか読んでみたい。

○日本の建築界が近代という激変の時代にちゃんと機能できたのはさまざまな傾向も建築家が存在したからで…村野藤吾白井晟一、今井兼次からなる一群の存在…のおかげでどれほど日本のモダニズムの時代は豊かになったことか。彼らは、1920年代後半にバウハウス…とル・コルビュジエの影響が入ってきたとき、その力と魅力を認めながら、自分たちがすでに立脚するプレ・モダニズムから動こうとしなかった。/モダニズムには人間と建築を結ぶための糸が一本抜けている、と見ていた。…村野は最晩年…建築史家の関野克に対し、/「遠目はモダニズム、近目は歴史主義」/と短く語っている。モダニズムには、近づいて初めて見えてくる細かい造形と仕上げの妙が欠ける。(P3)
○”ビルディング・タイプ”、日本語に直せば“建築類型”。建物の用途ごとの形式を指し、ビルディング・タイプがひとたび成立すると、一目見て何の用途か分かるようになる。たとえば、学校は学校らしく見えるから、病院やオフィスと間違えることはない。/建築家の夢の一つは、自分のデザインによって一つの時代のビルディング・対応を決めることだが、そんな広範な貢献をした日本近代の建築家を私は一人しか知らない。/丹下健三香川県庁舎が1958年に完成して以降、全国各地の県庁舎はじめ市庁舎、町役場はもちろん文化施設にいたるまで、数多くの公共建築が香川県庁化していった。(P101)
○思想の奥に数学を置き、面と線で構成し、理念的には抽象性を、感覚的には細く薄く軽いことを追求したのがバウハウスであり、この流れは、やがて鉄とガラスの超高層を生む。/バウハウスに始まる白派を、戦後にたどるなら、まず清家清がいて、次に槙文彦が現れ、谷口吉生が続き、やがて妹島和世と西澤立衛にいたる、とみなしていいのではないか。…主流であるバウハウス派=白派とは対比的に、コルビュジエ派=赤派は、数学的秩序が建築表現を支配することを嫌う。…ル・コルビュジエは…1932年のスイス学生会館において、“白い箱に大ガラス”を離れ、自由な曲線や曲面、打ち放しコンクリート、自然石の使用へと舵を切る。抽象性を止めて物の存在感を求め、ここに赤派は始まる。…存在感を生むのは、具体的な物であり形であり、その背景には自然があり文化がある。…赤派は自然と文化の数だけ、具体的には建築家の数だけ分かれて発生しうる。(P141)

集合住宅

 7年前に発行された本である。翌年には私も読んだ。当時の読書感想を読み返すと、しっかり本書の内容を理解していたことがわかる。大学の集合住宅に関する講義の最後に、本書を紹介していたが、実際どういう内容だったかというと、記憶が曖昧。そこで今回、読み返すことにした。
 第一次世界大戦後に欧州各国で建設された労働者のための集合住宅団地を見学し、紹介する。それらの多くは今もまだ現役で住み続けられている。一方、冒頭で紹介する「軍艦島」は既に廃墟となり、最後に紹介する同潤会アパートはすべて取り壊された。本書は世界各地で繰り広げられた反格差社会運動やピケティの登場に触発されて執筆されたかもしれないが、日本におけるこれらの運動がすっかり下火になっていることを考えると、欧州とのユートピア思想の厚さの違いを感じさせられる。
 でも、今の若い学生たちには難し過ぎたかな。何と言っても、先日のレポートでは、賃貸住宅と区分所有マンションの区別がついていない学生が何人もいたのだから。まずはそこから講義を始めよう。もちろん私だって、知らないことはたくさんある。そして知ったと思ってもすぐに忘れてしまう。何度も何度も勉強しなくては・・・。あまりに忘れていて、反省してしまった。本書はけっこう、やっぱり、面白かったけどね。

○19世紀半ばから20世紀前半にかけて建設された集合住宅は「夢の跡」だ。社会的に恵まれない多くのひとびと、とりわけ労働者たちに、健康で快適な生活の場を持ってもらう。その理想を実現するため、資本家も、政治家も、官僚も、そして建築家も、さまざまな知恵を巡らせ、工夫を凝らして、労働者層の「暮らしの場」を都市的スケールで実現した。その動きは…世界規模で拡大し、20世紀にはモダニズムの波にも乗って「集合住宅団地」という形に実を結んだ。(P7)
○そこに出現した「コンクリートの集合住宅群」は建築不在で構築され、…モダニズムの建築観に通じる「即物的かつ機能的な要求」を「母」にして産み落とされた。…モダニズムル・コルビュジエやグロピウスがいうように、作家性、ましてや建築家の知名度ではなく、機能主義や合理主義の産物であることを評価の基準に置くなら、「軍艦島」は世界で最も「見る価値」があることになるだろう。/しかし、現実は違う。(P038)
○1929年10月24日、第2回「近代建築国際会議CIAM)」がフランクフルトで幕を開けた。議題になったのは「生活最小限の住居」。…「CIAM」は、まさに「ノイエ・フランクフルト」お披露目の場だったのである。/産業革命が世界を激変させ、大都市では多くの労働者層が住宅に困窮していた。…建築生産をもっと工業化すれば効率があがり、劣悪な住環境を余儀なくされているひとびとを一気に救えるのではないか…。それはまさにモダニズムによる「ユートピア」実現にかける思いだった。(P085)
○激越な「赤いウィーン」がもたらした、大規模集合住宅が今日まで美しく保たれているのは、ひとつには住民の高い意識があってこそだ。かつて労働者が政治の主導権を把握した時代に、英知を結集して都市の住宅のあり方を構想した果実がいかに確たるものだったかを「カール・マルクス・ホフ」などの「生き続けるユートピア」は示している。…トマ・ピケティのいう「格差」解消の努力は、その時代には明確に意識されていた。(P126)
○建築がかつてはいかに事大主義で権力者の飾り物であったかを前置きし、ヨーロッパ各国の第一次世界大戦からの復興が住宅中心で進められていることを受け、「現代欧州の著名なる建築家」の「大多数は住宅建築の権威者ではないか」と読者に問いかけている。…同潤会の建築家たちが、強い使命感を持って、帝都復興をひとつの好機ととらえ、住宅の領域での社会的な使命をまっとうすべく「集合住宅」の設計に勤しんでいたことが、そこから読み取れる。(P202)