●21世紀は「都市縮小の時代」である。人口減少を前提とした都市の新しい「かたち」が問われる。都市の広がり、自然との関係、別の言い方をすれば、暮らし方、働き方の見直しが迫られるということである。(P18)
第一章の書き出しの文章である。
●縮小都市は新しい都市文明論として考えるべきである。(P35)
という文章も見られる。これはドイツの縮小都市研究チームのリーダーである建築家オズワルドの考えとして紹介されたものだが、人口減少に伴う都市縮小は、先進諸国の都市に広範に発生する共通の現実的な課題として捉えられる。現にアメリカのいくつかの都市では「賢い衰退」政策が実行されている。「都市規模の創造的縮小」である。
本書は、第一章で「都市縮小」の世界的な現状と施策動向を概観した後に、第二章でアメリカの諸都市の、第三章では東ドイツ地域の諸都市の現状を報告する。
後者では必ずしも政策的にうまくいっているわけではない事例もあるが、その翻弄される姿は他人事でなく心を揺さぶられる。 第四章は日本の事例である。ここでは、福井、釜石、飯塚、長崎、泉北の各都市が報告されている。課題に気付いたに過ぎない状況の町から、新たな政策が着実に結果を出しつつある都市まであるが、どれもこれが決定打ではあり得ない。都市の現状、置かれた状況、住民の力、歴史、自然環境など、同一の都市は一つとしてないからだ。
都市縮小が現実の課題として眼前に迫っている。既に始まった都市も多い。このことをよく理解して現実的に対応することが求められている。本書を読むとそのことがよくわかる。都市は新しい時代に入っている。
●縮小都市化するインナーシティに溢れる空き地を、目障りな邪魔ものとは見ない。可能性をはらむ土壌と考える。ではデトロイトでは、なにがはじまっているか。社会変革型の都市農業運動である。(P69)
●サステイナブルであることは、状況に対して変わることなく断固一環として継続することではなく、むしろ変化に十何、かつ多様に対応し得ることである。その意味で、ライネフェルデが展開してきた縮小都市政策は、真にサステイナブルシティ戦略だった。社会主義フォーディズムのプレハブ集合住宅/建物を、その建築的条件と社会的ニーズを勘案して改修、解体、減築、転用のいずれにするかを柔軟に使い分けてきた。(P132)
●日本では、産業政策は霞ヶ関の専売特許ではない。地方都市政府もあの手この手の企業誘致策を用意し、地方版の産業政策を繰り広げている。こうした都市政策は、グローバルに縮小都市の動向を眺めても世界に先行している。対外輸出可能な都市施策である。/釜石の課題は、「鉄の町」から「鉄、機械、エコ、水産、観光……の多様な貌の町」へとローカルアイデンティティを再編し、それを「釜石の希望」として地域社会が共有しあうことである。(P167)
●日本の集合住宅は壁式構造やラーメン構造となっている。減築、大幅改築には、手間とコストが嵩む。また、建築基準法には減築の考え方がない。これまで新築、増改築の拡張主義できた世間の考え方をそのまま反映しているが、縮小都市の時代を迎えて建築基準法の改正も今度の課題となる。(P198)