第17回愛知まちなみ建築賞

 愛知まちなみ建築賞の表彰式が愛知芸術文化センターで開催された。会場に空きがあるので何人か出てくれないかと言われ、翌日が休みのこともあり、午前中で何とか仕事にキリをつけ出席した。

 今年度の受賞は全部で7点。主催者あいさつ、表彰式、選考委員長である早稲田大学の有賀先生の講評の後、設計者による作品紹介が行われた。

 「e-生活情報センター『デザインの間』」は、星が丘の交差点にオープンした中部電力のショールームで、隣接する星が丘テラスと並んで星が丘地区のセンスの向上に寄与している。吊り構造で支えられた木の屋根と通りに対してオープンなガラス壁面が印象的だが、屋上緑化されているとは知らなかった。有賀先生からの仮設性についての質問に対して、「仮設建築物とは考えていない。恒久的に利用してもらいたいと思っている」と返答されたが、星が丘テラスとともにこの地区の性格を方向付けるプロトタイプとなりうる建築物かもしれない。

 「岩倉小規模多機能ホーム・ちあき」は岩倉駅の東、五条川との間に建築されている。岩倉城址の枡形に面して建つ商家を改修してデイサービスやショートステイ等の複合高齢者福祉施設としたもので、白壁や虫籠窓などがきれいに復元されている。

 「M-HOUSE」は、間口5m奥行き25mの細長い敷地に建築された住宅作品。設計者自身も「最初は道路かと思った」と語ったこの超変形な土地に、鰻の寝床のような細長い建物を建てたわけだが、2階部分を微妙にずらし、また平面的にも左右を途中でくねらせて、外部性を敷地内に取り込むことで、明るく魅力的な住まいに仕上げている。空間構成の妙を感じさせる作品である。

 当日、会場に来て、式次第を眺めていたら、「岡崎市図書館交流プラザ Libra」の作品発表者の氏名に見覚えのある気がした。会場を見渡したところ、特徴あるもじゃもじゃ頭、高野洋平くん。彼との出会いは、阪神淡路大震災の翌年に震災復興活動の見学に行った際に彼のおとうさんも同行していた頃に遡る。おとうさんとも初対面だったが、そのときに彼も同行していたという。ほとんど記憶がないのだが、当時はまだ学生だったらしい。その後、安住の会の活動にも顔を出すようになり、延藤先生とも懇意にしていた。まさか彼がこの建物を担当していたとは知らなかった。 6378

 郵便局後に建設されたこの建物は、延藤先生の協力を得て、構想段階から市民参加により設計が進められており、どういう建築物ができるかと注目していた。昨年秋に偶然この施設内で会議があり、初めて見学する機会を得た。広い敷地に広がる低層の建物で、大きさの割に入りやすく明るいフレンドリーな印象。建物内部を高く明るい通路がうねうねと幅を変えながらエントランスから奥まで通り、左右に図書館や会議室等が並ぶオープンな造りになっている。

 しかしこの通路が外堀の形状を模しているとは知らなかった。また、建物の低さは岡崎城から大樹寺までのビスタラインを遮らないためのものであり、屋根にはそのライン上に太陽光パネルが設置され、天守閣から眺めたときに大樹寺の方向を示す装置となっているという。「こうした工夫や設計意図を施設のホームページに掲載してください」と審査員から要望があったが、ぜひそうしてください。

 「醸庵」は同じく岡崎市内で300年以上続く造り酒屋の店舗・事務所として建築された。無骨な設計者が慣れない説明をされたが、岡崎匠の会のメンバーが中心となり、石工の街・岡崎の御影石や三州瓦、三河産の檜、地元書家の筆になる暖簾など地域の力を結集して作った伝統的な建物で、最初は下手な説明だなと思っていたが、次第にその心意気に圧倒され、胸が熱くなってきた。有賀先生からも、「地元の材、地元の技に加え、将来の維持に当たっても、地元の力が重要である」という講評があった。地元の思いが伝わる作品である。

 「florist_gallery N」は名古屋市内に建てられたフラワーショップ兼ギャラリー兼住宅。延面積103m2と小さなRC造3階建ての建物だが、フルオープンな1階の明るい外観に屏風状に折り曲げた壁(床も折り曲げているとのこと)がうまく収まりしゃれた外観になっている。

 最後の「みなと医療生活協同組合 宝神生協診療所」は羊羹状のチューブの何ヶ所かに切れ目を入れてずらした平面構成。何となく卒業設計の形状のような気もするが、対面するトラックターミナルに対する緩衝とズレ面からの採光等に配慮した形態だという。

 久し振りに愛知まちなみ建築賞の表彰式に参加した。各作品をここまで丁寧に説明してくれるのはうれしい。実は第1回を立ち上げたときに担当していた。3つの選考基準は当時私が提案したもの。それが今も使われ続けているのはやはりうれしい。入賞者に送られる陶器製の銘版は、日展作家である水野教雄氏の手による。知人に紹介され、先生の工房に作品の作成を依頼に行ったときのことを思い出す。当時の上司が主催者代表であいさつをしていた。上司にとっても感慨深い表彰だったに違いない。いつまでも続けばいいな、と思った。