有松の高優賃を見た後で、有松の町並みを歩いた。
まずは、街道沿いを西に向かった。竹田中升荘の右向かいには山車蔵が、左向かいには玄関引き戸袖の腰壁をナマコ壁にした住宅がある。美しくはないが配慮はしている。しばらく歩くと竹田嘉兵衛邸がある。1階屋根上に掲げられたガス灯が特徴的だ。1階の細かい板格子、2階虫籠窓の丸金棒のような細い格子が繊細で美しい。「加」の文字が入った丸瓦が使われ、側面には特徴的な文様が描かれている。
有松の街道は自然に蛇行しているのが心地よい。張り出した庇を格子で囲って車庫?にする民家があり、赤い昔ながらのポストがあって、古い建物が続いている。左右にナマコ壁、2階は白壁塗込窓の商家が岡邸。2階庇下の塗込めが波状になっているのが特徴だ。
繊細な造りの町家が多い中で、小塚邸は豪壮な造りだ。両側にうだつが上がり、2階の壁も虫籠窓の格子が太くて荒々しい。天明の大火(1784)後に建造されたというのは有松の中でも古い部類に入る。1階に外柱が並んでいるが、土間に木柵が並び、あまり目立たなかった。その隣には黒い下見板壁に上部の漆喰壁がまぶしい蔵が建っている。上部中央の庇と窓が印象的。町家を1軒挟んで西町山車蔵。端正な外観だ。ここには有松祭りの3台の山車の一つ、神宮皇后車が収められている。
このあたりが西の端。高速道路の遮音壁が立ちはだかる。きびすを返し東へと戻る。都市景観重要建築物に指定されている町家以外の建物もよく景観に気を使っている。ガス灯が残る商家、細い格子やナマコ壁はこの地区の特徴だ。伝建地区指定を目指す活動も続いているようだ。
突然、鉄筋コンクリート造の薬屋が現れる。2階・3階の窓を縦につないだ白い枠は、けっして有松の景観にマッチしているわけではないが、どこか優しげで懐かしい感じがする。同行した友人が「これ、昭和30年代のアパートですよ」とささやく。どれどれと覗くと、裏手に3階建ての住戸が連なっている。うら寂しい雰囲気が意外に古びた時代に合っている。
「こうした町が観光化で生きていくことは無理なんですかねえ」と同行者の一人が言う。「無理でしょう」。住民一人一人が町並みを愛し、守っていくしかない。「たばこ」の箱看板が乗る店舗。唐子車(からこしゃ)山車庫は3体の唐子からくり人形を乗せた山車を収めている。背が高く茶色に下見板がよく目立つ。
駅前に区画整理で整備された広い道路を渡り、東側の通りを歩く。渡ってすぐ左手には、神半邸を再生利用し、カフェやレストラン、パン屋などが入っている。とりあえず通り過ぎて隣は中濱邸。入口に掛けられた紺色幕がいい感じ。道路沿いに大きな石が置かれている。左側には2階建ての土蔵。白壁が煤で汚れ、雰囲気がある。
服部邸、屋号井桁屋は街道随一の大屋敷。1階の庇下に家紋の入った幕が吊され、有松絞りの小売も行っている。2階は黒壁の虫籠窓が並び、うだつも立派。本屋敷の左には板塀が続き、屋根越しに松が生い茂る。右隣には服部良也邸。土蔵が立派。腰のナマコ壁は黒壁。道路から見て平入りの蔵と妻入りの蔵。間に片流れの下屋と黒板壁の木戸が付く。右隣には1階が茶色に格子壁、2階は白壁塗込めに木格子の商家が続く。
その先には、RC造の有松鳴海絞会館や有松山車会館があるが、伝統的な町家は少なくなり、錆の浮いたトタン壁の車庫の先にマンションが見える。隣には見事な松と町家。平入りの民家に妻入りの町家風の看板を建てた看板建築。テント張りのガレージ。白塗込虫籠窓に細かい格子の町家。持出し看板に格子と下見板壁、銅板飾りの戸袋のある商家。1階外柱に格子壁からショーウィンドーが張り出す工芸店。寿限無茶屋は築100年の民家を利用したうどん屋さん。雑多な建物が並ぶ。統一的な景観整備ができればいいが、やや雑駁な感じになっている。
昼食は街道を戻って神半邸のレストランへ。おもての間はカフェになり、土間の突き当たりはパン屋。土間から見上げると豪壮な小屋組が見える。レストランは2階の座敷にイス・テーブルを並べてゆったりと食事。町家のこんな使い方はいいが、人通りを考えるとこれ以上増えることは営業的に厳しいだろう。
繊細な町家、ゆったりとした雰囲気。やっぱり有松はいい町だ。しかしこの町を残していくのは難しい。住民の思い如何にかかっているのだと思う。
●参考
フォトアルバム「有松の町並みを歩く」