津和野は重伝建にして日本遺産の街

 津和野と言えば、「アンノン族」や「るるぶ」の時代に萩と並んで大ブームとなった。私も学生時代に一度訪ねた記憶がある。それから40数年。今、津和野はどうなっているのか。GWに山陰を旅行した際に、津和野の町も歩いてきた。ちなみに旧津和野町は2005年に旧日原町と合併し、津和野町役場は旧日原町にあるので、昔の人は間違えないように。

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多胡家表門
 山口線を走るSLが展示された津和野町駅前を通り過ぎ、津和野町大橋手前の駐車場にクルマを停めて、町を歩いた。まず、「多胡家表門」から。門をくぐると殿町。門しか残っていないが、多胡家は津和野藩筆頭家老を務めた家。1860(安政7)年の建築と言う。殿町通りの向かい側には「藩校養老館」。高い白壁の手前には津和野観光の象徴、菖蒲が植えられた水路に鯉が泳いでいる。殿町通りに面する土塀の腰の部分は、濃淡の付いた瓦が張られたナマコ壁となっており、その上のしっくい壁や赤瓦屋根と一体となって、柔らかい色合いとなっている。
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藩校養老館と殿町通り
 通りを北上すると、左手にあるのが「津和野町役場津和野庁舎」。鹿足郡役所として1919(大正8)年に建設されたもの。入口には大岡家老門が建っており、こちらは江戸時代のもの。さらに進むと右手に「津和野カトリック教会」がある。1929(昭和4)年建築の木造平屋建てだがゴチック様式にステンドグラスもある。
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津和野町役場津和野庁舎
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津和野カトリック教会
 小さな信号のある交差点に面して、右手に「戝間家住宅」。左手には「旧河田家具店」。ともに2階の細格子と赤瓦の庇が美しい。また妻壁窓庇の方杖模様が力強い。しばらく行くと、右手に「分銅屋七右衛門本店」。津和野大火(1853年)の直後に焼け跡の廃材などを使用して建てられた火事場普請の家で、保存地区内最古の商家建築だという。その隣にある「山陰中央新報」の看板が上げられた建物は「旧布施時計店」で1934(昭和9)年建築の洋風木造建築。2階の切り込んだ窓や縦に3つ並んだ丸窓がモダンなイメージを醸している。
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戝間家住宅
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旧河田家具店
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分銅屋七右衛門本店
 その向かい側には「俵種苗店」。そして隣に「呉服商さゝや」。1854(安政元)年に創業されて以来、今も呉服商として立派に営業されている。左側の土蔵も立派だ。その向かいにあるのが「古橋酒造場」。建築は1921(大正10)年と比較的新しいが、堂々とした外観で町並みに溶け込んでいる。右隣にベージュ色のモルタル塗りの洋館が併設されているところが面白い。
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呉服商さゝや
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古橋酒造場
 さらに進むと右手に「橋本本店」。1717(享保2)年創業の津和野で最も古い造り酒屋だそうだが、建物は1883(明治16)年頃の建築。表に張り出した酒樽や杉玉が酒造場であることを示す。主屋の左側に門が付き、ナマコ壁の土蔵が並んでいる。その先にあるのが「俵屋華泉酒造」。こちらも1883(明治16)年頃に建てられた商家で、両側に土蔵が併設されている。2階は塗籠のむしこ窓になっているのが特徴だ。
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橋本本店
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俵屋華泉酒造
 続いて見えるのが「高津屋伊藤薬局」。1798(寛政10)年創業の薬種問屋で、森鴎外とも縁のある薬局で、1911(明治44)年の建築とされる。斜めに引き込んだ駐車スペースなどもあり、近年になってなお改修を重ねているようだ。
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高津屋伊藤薬局
 さらに足を伸ばすと、近代的な建物の「津和野町日本遺産センター」がある。町並みの案内があるかと思ったが、もっぱら2015(平成27)年に日本遺産認定された「津和野百景図」の展示と説明のための施設だった。それでもそこで初めて津和野が重要伝統的建造物群保存地区に選定されていたことを知った。1975(昭和50)年の重伝建地区制度が創設された当時には、津和野は既に観光地として有名だったこともあり、地区指定には至らなかったが、時代が変わり、ようやく2013(平成25)年になって津和野の重伝建地区に選定された。しかしここまで歩いてきて、重伝建地区の説明はほとんどない。文化庁では2015(平成27)年から日本遺産制度を創設し、これのPRに努めているようだが、重伝建地区の方が町並みや建物の価値もよく理解できるし、何より住民等と一体となった地域づくりにつながるのではないか。せっかく選定された重伝建地区がほとんど重視されていないことを残念に思う。
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森鴎外旧宅
 帰りは旅館などもある魚町通りを抜けて、新丁通りを通って駐車場まで戻り、その後、「森鴎外旧宅」まで足を伸ばした。久しぶりに訪れた津和野にはまだ十分に懐かしい時代の町並みが残されていた。この先も伝統的な建物を大切に、継承していってほしいと願っている。