「都市の正義」が地方を壊す☆

○日本社会の人口減少は、地方のみならず首都圏を含めた国民全体の課題である。そして東京一極集中はこの国の構造そのものだから、首都・東京こそがこの問題の中心的な当事者であるはずだ。/にもかかわらず、国民の多くがこの地方創生をまるで対岸の火事のように感じ、・・・人口減少問題をまるで地方に責任があるかのように押し付けてしまっている。(P4)

 「はじめに」においてから怒っている。地方創生は「人口減少と東京一極集中の阻止」だったはずが、いつの間にか、地方が問題の元凶にさせられ、「競争と淘汰」の中に投じられてしまっている。このことは「地方消滅の罠」で既に危惧し、批判してきたことだ。それから3年余。日本創生会議の増田レポートを受けて始まった地方創生(まち・ひと・しごと創生)の取組が、当初はしっかりした現状認識からスタートしたと見えたものの、すぐに方向を変えて、自治体間の競争を煽るものになってしまった。
 「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」「同総合戦略」から読み解き、その後の各年の「基本方針」と「総合戦略」、そして2017年末に公表された中間評価まで検証した。その結果、いかに「地方創生」が名ばかりのものであり、かえって地方を疲弊させるものになってしまっているかを、北海道ニセコ町東神楽町山形県飯豊町の実例もまじえて検証し、批判する。
 その元凶は「都市の正義」。そして最大の要因はすべてを「経済」中心で考える思考法であり、それを押し付ける政府。第1章でそうした政策としての「地方創生」を分析した後に、第2章で「人口減少」の真因である「都市化」を指摘する。その背後には、国家を頂点とする中央集権的な「威信」の構造があること、また「依存」にも「良い依存」と「悪い依存」があることを第3章で示す。
 「選択と集中」「競争と淘汰」は非常時の論理であり、「排除」と不信を生み、最終的には国家を解体するものですらあることが第4章の前半で述べられている。地方創生の名の下に行われる観光政策にしろ、公共事業にしろ、すべては中央が儲かる仕組みになっている。そして利用された地方は「排除」され、捨てられるのみ。第4章の後半では、こうした中央集権・東京主義・経済優先・競争主義の「都市の正義」に対して、本来の「統治」とはいかにあるべきか。適正な規制、問題解決できる統治力、そして「多様なものの共生」による正しい「都市の正義」について問う。
 第5章「人口減少を克服するための地方創生とは」では、具体的な政策提案まで踏み込んでいる。しかし一方で、現実の政治状況を見れば、そこへ移行していくのは相当に厳しい。本書が書かれたのは安倍政権がモリカケ問題などで大きく揺さぶられて、総裁選再選の行方が不透明な時期だったそうで、それゆえにまだ将来に対してある程度の希望を持つことができたようだ。しかし今は・・・。
 だが、本書で描くように、未来がまったく失われたわけではなく、「地方創生」という方向自体が間違っているわけでもない。ただ、現状認識と方向・方策が、政府と国民、中央と地方の間で大きくズレている。それを正さなければならない。山下祐介氏の示唆は常に現実と未来を冷静に見通し、かつ、人間味にあふれている。

○私たちはどこかで人口減少を経済の問題だと考えてしまっている。だが、そうしたすべてを経済中心に考える思考法そのものが、人口減少を引き起こす元凶なのだ。・・・家族をつくり子どもを生み育てるのは、経済ではなく人であり、社会だ。人や社会を否定する価値の導く政策が、人を生み育て、社会を健全に統治できるはずがない。(P111)
○あまりにも国家に権限が集中しすぎたことによって、日本中の機関が首都圏に集まり・・・事業所が集中して・・・多くの人が長距離移動を行って自らの役割と家族の形成を必死で両立させようとしている。/人が、社会が、経済や国家に合わせて動いている。だが、人はそれぞれ生きた生身の個体である以上、その頑張りには限界がある。その限界の表れが、合計特殊出生率の極端な低下ということなのだろう。(P148)
○依存には良い依存と悪い依存がある。/それぞれが完全に自立していては国家にならない・・・。互いに依存し合い、支え合い、補い合い、協力し合うことで分業は行われ、国家は成立する。・・・共依存はむしろ支え合いであり、国家にとって望ましく、必要なことである。/それに対し、私たち国民が今国家に対して陥っている依存は、どうも悪い依存のようである。/地域間の共依存からなる国家、そういうものはありそうだ。(P158)
○そもそも「選択と集中」とは、非常事態の論理なのである。それは一時的、限定的に使用すべきもので、決して社会の常態に持ち込んではならないものだ。・・・すべてを守ろうとすると闘いに負けてしまうので、一部の犠牲はやむを得ない―これが「選択と集中」の根幹にある考え方だ。そしてこの生存をかけた闘いが・・・内側に移されたときに、「競争と淘汰」が現れる。・・・「選択と集中」と「競争と淘汰」は・・・ある者たちの「排除」を伴うものだ。(P200)
○地方創生の目的は、「まち・ひと・しごとの好循環」を作るということだった。/ところがそれを最初のところで「まずはしごと」に集中した。集中した途端に、この政策は失敗したのである。そこで対流は止まり、循環はなくなった。・・・いまの都市の正義に欠けている一番大切なもの。/それは循環である。/循環がなくなると・・・依存が依存で止まる。共依存でなくなる。/そして何より、問題を解くことができなくなる。(P249)
○統治とは、適正なルールを仕立てて、暮らしや経済のゲーム・・・がずっと持続するよう調整することである。/社会に導入されているルールのうち、どこを規制し、どこを外すか。いずれにしても規制緩和とか自由とかが大切なのではなく、規制の内容が大切なのである。・・・「適正な規制」が必要なのである。それも状況に合わせた規制が。事態をしっかりと観察し、結果に応じて規制を変えていく。そういう能力が統治者には求められる。(P252)