僕らの社会主義☆

 國分功一郎はかねてより注目している哲学者であるが、それがコミュニティデザイナーの山崎亮氏と対談する、というのはかなり異色の組み合わせのように感じた。が、読んでみると、確かに國分氏は「来たるべき民主主義」住民運動を通して、住民自治の問題などに体験的に関わってきた。住民参加型のコミュニティデザインとは相性がいい。後段では、コミュニティデザインと市民参加の歴史を並行して語る場面もある。
 「社会主義」というタイトルに冒頭から二人とも、気後れというか、弁明というか、「私たちが話をしたい社会主義は、ウィリアム・モリスラスキン、ロバート・オウエンらに代表されるイギリス初期社会主義ですよ」という説明が繰り返され、ロシアなどの革命社会主義ではないということが強調される。そしてその先には、エベネザー・ハワードやオクタヴィア・ヒルらの名前が挙げられる。こうなると都市・建築を勉強した者なら得意の分野だ。本書の感想を、一般書を対象にした別のブログに書こうかどうしようかと迷ったが、こちらのブログで公開することにした理由だ。
 國分功一郎氏と山崎亮氏の対談だが、どちらかと言えば、國分氏が司会をして、山崎氏が語るという形で進行していく。それで内容的にも、建物の装飾やポストモダンの意味など、建築的な話題が多い。装飾については、文字を読めない人々がまだ多くいた時代に、宗教の教義や道徳的内容を視覚的に伝えるという役割をもっていた。さらに、それを製作する職人には仕事の楽しさを教え、楽しく充実した人生と社会づくりを支えてきた。ということを、モリスらは考えていた。
 しかし産業革命を経て、社会が次第に効率化を求めるようになると、装飾が表す意味や物語を理解するリテラシーが失われ、機能や構成を重視するデザインが主張されるようになる。同時に美術界にもモンドリアンなどの構成主義の抽象画が登場する。そしてバウハウスデ・ステイルの時代を経て、現在につながるモダニズム建築の時代がやってくる。しかしモダニズム建築のもつ抽象性をどう読み解くのか、そのリテラシーを専門家以外の一般の国民・住民がもつことはできなかった。そこで建築物の表層は、商業主義の流れの中で、単なる広告塔と化し、ショーウィンドーに成り下がってしまった。
 そこからの復権を目指し、再び装飾の意味に立ち返ろうとしたのがポストモダンだったが、結局これも専門家のマスターベーションで終わる。そして現在、建築業界は、今後、どんな建築を設計していけばいいのか、混迷の時代を迎えている。

〇環境に配慮した建築を実現すべきか。地域の風景に溶け込む配慮をすべきか。地元の材料を徹底的に使うべきか。あるいは、そもそも新しい建築を建てずに、既存の建築をリノベーションすればいいのか。地域に住む人たちと対話しながら参加型で設計や施工を進めるのはどうか。さまざまな取り込みが試行されています。(P146)

 もちろんそれらの中で、山崎氏が取り組んでいるのが「地域の住民と共に対話しながら参加型で設計や施工を進める方法」であり、そこには「物語が生まれ」「記憶される建築になり」「地域に無くてはならない建築になります」(P147)ということだが、確かにそれはそのとおりだろう。そして後段は、行政と地域、住民参加と民主主義の話題になっていく。その中でも興味深いには、建築の作家主義を批判的に捉え、土木の無名性を評価している点だ。「土木こそポストモダンのキーワードではないか」というのだが、面白い視点だ。住民参加とはまさにそういうことだろう。
 哲学者と建築出身者との対談ということでどういう内容になるかと思ったが、非常に面白い建築論だった。建築の将来に向けて、非常に大きな示唆を与えてくれる。建築専門家は彼らの言葉にもっと謙虚に耳を傾けなければならない。松村秀一先生が言う「ひらかれる建築」もこうした話の延長線上にあるのかもしれない。非常に面白い対談集だった。

僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

○正しいことだけをずっと議論していると、楽しさが消えていってしまう。正しいだけでは人のつながりが生まれにくいし、続けるのも難しい。もちろん正しさも大事なんだけど、それ以上に楽しさが大切だと思います。つまり、プロジェクトにおける正しさと楽しさの配分が大事なのです。(P041)
〇建築の第一義的な機能は、道行く人たちに宗教的・道徳的な意味を教えることだった。そして具象的な装飾はその意味の担い手であった。ところが装飾がそのような機能を果たすためには、前提となる物語が共有されていなければならない。でも近代ではその物語は崩壊してしまっている。(P082)
〇装飾には二つの機能がある・・・。まず、それ自体が道行く人に情報を伝達する教育機能を持っている。そして、装飾を作り上げる職人たちには、自由な想像力を発揮する場面を与える。・・・モリスは自らの工房でそれを実践した。質のよい労働によってこそ、素晴らしい製品が作られるという信念の実践ですね。(P088)
〇共有される物語が失効した後、モダニズムは、物語を前提としない、抽象的な原理で人々に訴えかける建築を目指した。ところがそれは・・・機能主義が徹底される中で建築は人の記憶に残らないものとなってしまった。・・・僕が選んだ方法、地域の住民とともに対話しながら参加型で設計や施工を進める方法だと、そこに物語が生まれますし・・・記憶される建築になります。(P146)
〇建築が最後のモダニズム、最後の作家主義の牙城としてもてはやされたけれども、結局我々の命を支えているのは土木です。そしてそれは作家主義とは無関係の無名の技術としてある。その意味で、土木こそポストモダンのキーワードではないか。(P178)
〇コミュティデザイン1.0(地域計画)の時代は市民参加1.0(反対型の市民参加)だった。・・・コミュニティデザイン2.0(参加型の設計)の時代は市民参加2.0(提案型の市民参加)が登場した時代でもあった。・・・そしてコミュニティデザイン3.0(活動や事業を生み出す)の時代は市民参加3.0(実行型の市民参加)の時代でも・・・あります。(P209)