現代建築のトリセツ

 「トリセツ」って言葉はいつから流行語になったのだろう。昨年、西野カナの「トリセツ」がヒットしたが、海堂尊の「トリセツ・カラダ」が発行されたのは2009年だから、もう10年近くも前から流行っているのだろう。そして松葉一清が「現代建築のトリセツ」を書いた。最近、特定の建築物がマスメディアに時に批判的に、そして時に迎合的に取り上げられることが多くなった。本書も新国立競技場問題から記述が始まっているように、建築関係者以外の一般の方に、現代建築をどう理解すべきか、どう見てもらいたいかをよく知られている建築物などを通して説明していく。
 これで理解してもらえるだろうか。やや難しいかもしれない。でも松葉一清にしてはかなり易しく書かれている。モダニズムとは、日本においては、戦後のヒューマニズムとともに現れた。正直、私自身もそうだったのかと目を開かれた。易しく言ってもらえば私にもわかる。しかし、丹下健三のデザイン力があまりに優れていたために、却って多くの駄作なモダニズム建築を生み、そしてポストモダン建築が現れた。だからポストモダンとは単に古代の装飾を付けた建物ではなく、モダニズムのマンネリを打破するために試行錯誤した結果のデザインだ。
 だが結局、落ち着くところは単なるデザイン力だけではなく、自然や風土性や人間性などと一体となったデザイン力だった。そして、安藤忠雄や象設計集団やジョン・ジャーディが紹介される。確かに“いい”現代建築は、単にデザインではなく、機能だけでもなく、価値を伴っている。他にも多くの建物や建物群、周辺環境などが紹介される。でも、その中に伊東豊雄や藤森輝信の名前がない。たぶん評価していないのではなく、持論を説明するのにより適切な建物を紹介したということだろう。「ゲートシティ大崎」や「霞テラス」が紹介されているのが興味深い。一度観に行こう。
 最後に、新国立競技場の設計者に選定された隈研吾との対談が載っている。一般の方にわかりやすいようにということだろうが、やや迎合しているような感じがした。そんな対談はいらないのではないかな。

現代建築のトリセツ (PHP新書)

現代建築のトリセツ (PHP新書)

○建築評論家で東大助教授だった浜口隆一(1915~1995年)は『ヒューマニズムの建築』(雄鶏社、1947年)という本を著しています。彼が提唱した<民主主義社会の建築>イコール<モダニズムの建築>という図式は広く受け入れられ、ネコも杓子も「モダニズム」となったわけです。・・・モダニズムの建築を全国に拡散させた原動力は、民主主義国家樹立、封建遺制追放の「幻想」でした。・・・ただ、理念だけではそこまで広がりません。・・・もし丹下健三(1913~2005年)がいなかったら、おそらく、ここまで日本中にコンクリート打ち放しの公共建築は流布しなかったはずです。(P30)
○その伊藤(ていじ)が1976年10月に『朝日新聞』の夕刊に寄稿した「すそ広がりのビルの語るもの」と題した評論こそが、アンドウ神話の始まりでした。・・・思うに、時代もアンドウを待望していました。・・・世界中が「次の一手」を探していました。/「住吉の長屋」は、多くのひとびとが喝采をもって迎えやすい「要素」を帯びていました。無装飾でモダニズムの規範から外れず、より純化した姿が幸いしました。インターナショナル・スタイルを掲げるモダニズムローカライズが、丹下以下の世代の課題でしたが、「住吉の長屋」はそれをシンボリックな形態ではなく「自然の享受」という体感的な次元で実現しました。(P116)
○「現代建築」は、巨匠とされる建築家の作品を神棚にあげて拝む類の芸術でもなんでもなく、わたしたちの日常の暮らしを楽しめるように設計されてしかるべきだということです。美術館などの文化施設に行けば知的快楽が得られるのと同じ次元で、商業施設に行けば消費の喜びがあります。モダニズムに毒されて、本音を隠して知的に振る舞おうとする態度こそが、実は醜悪なのだとヴェンチューリは言いたげです。(P150)
○近年、象設計集団の仕事が台湾に広がっていることを踏まえれば、普遍性が民族を越えて理解されていることがわかります。国家を超えて風土に接近する「現代建築」。軽はずみなグローバル化とは一線を画する価値観が「空間」として具体化されている姿にこそ、日本の「現代建築」の真摯なあり方が見いだせると思います。(P172)
○ヨーロッパの都市において、「現代建築」が市民の議論の洗礼を受けて、やがてはその街に定着し、歴史的な資産とともに、今日の文明となっていくのを目の当たりにするのは、決して珍しいことではありません。それは「流行」とは異なる世界です。/日本の現代建築もそうあるべきです。そして、そのために、まずは市民が、そして建設の旗振り役となる政治家や経済人が、さらに公金としての税金を建設に投じる公務員が、もっと建築に対する「目を肥やす」必要を痛感します。(P262)