大阪の保証金方式による借家建設

 12月14日に開催された公共住宅部会(都市住宅学会中部支部)は面白かった。テーマは「日本の住宅事情史 Topic-1 (大阪の保証金方式による賃貸供給)」。講師は豊橋技術科学大学名誉教授の三宅醇先生。

 先生は最近、「日本の住宅事情史」をまとめる構想を持って、過去の資料等を振り返り、メモを積み重ねていると言う。「住宅と社会の150年の変化」と副題のついたメモには、「1.日本という国、その人口と住宅」から始まり「14.英・日・亜の都市・住宅と社会」まで、江戸末期から現在に至る住宅事情史の断片が目次となって並べられている。もっともこの目次と構成は日々変わるとのこと。当日は、長い研究生活の中で集められた膨大な資料・書籍の中から、戦中戦後の10数年間の古い資料を見つけ出し、大阪の借家における保証金制度について考察を重ねた結果を報告いただいた。

 そもそもこの課題への関心は先生が卒論をまとめていた1962年に遡る。大阪及び近郊地域での木造アパートの実態調査をしていて、高額な保証金が課せられていることに気付いた。岐阜県中津川出身の先生にとっては全く初耳の家賃習慣だったが、その内容について経営者に聞こうとしたら、韓国人のその男性にひどい剣幕で怒鳴られたという。当時から大阪は韓国・朝鮮人比率が他の地域に比べ圧倒的に高かった。この経験がこの日の研究報告のベースになっている。つまり、韓国の借家制度「伝貰(チョンセ)」が大阪の保証金制度のルーツではないかという仮説だ。

 ちなみに「伝貰(チョンセ)」とは、現在も続く韓国の借家制度で、入居時に建設費の7割近い一時金を支払い、月々の家賃は払わず、退去時にはこの一時金が戻ってくる仕組みだ。家主は一時金を運用して利益を上げる。入居者は一時金をどうやって調達するのか、住宅価格が下落傾向になった場合に供給がどうなってしまうのかなど色々疑問もあるのだが、現在でも韓国では一般的な借家制度である。

 まず、戦前の家賃実態を調べてみる。1938(昭和13)・39(昭和14)年の2か年に亘り「本邦大都市に於ける土地家屋家賃状況調」が厚生省社会局で実施されている。以下に紹介する資料はすべて当日持参いただき、回覧された。ただし既にかなり風化しており、一部は破損し始めている。

 この調査によれば、東京・大阪・名古屋の三大都市のうち、東京と大阪は家賃がほぼ同額、敷金・権利金は大阪で権利金がやや高い傾向にあるが、一時金の総額はほぼ同じ。名古屋だけが家賃は約半額、一時金も抜群に低いという実態がみられる。つまり戦前の時点では、東京と大阪で家賃システムに基本的な差異はないと判断される。

 しかしその後の同種の調査では、家賃については「光熱費・賄料等を除いた家賃間代とし、権利金敷金等を含まない」として調査されている。先生はこれを「東大や建設省が、戦前の調査を元に、一時金に地域差はないと断定し、戦後の調査を始めてしまったのではないか」と疑問を呈する。

 先生が紹介するのは1953(昭和28)年の住宅統計調査だ。これによると、特に戦後建築の借家で大阪の家賃が東京に比べて相当に低いという結果が出ている。一方、1954(昭和29)年大阪府発行の「大阪府の昭和26~28年度着工民間借家及び建売住宅実態調査」によれば、着工された民間借家の8割はアパート形式で、入居時の一時金がアパートで家賃の10ヶ月分、戸建て住宅等ではそれ以上の一時金を取っているとされている。ちなみにこの一時金の内訳はアパートの場合、全額返還される敷金が2割、一部返済される協力金が8割で、協力金の返済率は8割という結果になっている。

 すなわち、入居時に敷金・協力金(保証金)合わせて10ヶ月分の一時金を納め、退去時には約8ヶ月分が戻ってくる計算だ。ちなみに戸建て住宅等では一時金のうち全額返ってこない権利金が3~4割を占めるが、これは家賃統制令で家賃が抑えられている状況下での「袖の下」のようなものではないかと推測されていた。

 先生も参加された京大西山研究室による「民間アパートの研究」(1963(昭和38)年)でも、保証金はアパート(1室型)で家賃の10倍、文化住宅(2室型)なら20倍が一般的とされており、この時点で「保証金」という言葉が定着していたと言う。さらに先生が代表となり1977(昭和52)年に借家経営者を対象に実施した「民間アパートの実情と分析」でも、東京は敷金・礼金合わせて3ヶ月だが家賃はかなり高く、大阪は一時金が11~12ヶ月分だが家賃はやや低く、名古屋は一時金が4~5ヶ月で家賃は低いが大阪よりは高めという結果になっている。

 ちなみに現在でも大阪ではこうした状況が一般的なのかと関西出身の参加者に聞いたところ、当然のように頷かれた。知らなかった。もっともネットで検索すると、今ではさすがに保証金10ヶ月という物件は少ないようだが、東京に比べれば倍近いということはあるようだ。また、東京では契約期間満了時に更新料を求められることが多いが、大阪ではこうした習慣はない。

 では、大阪の保証金制度がなぜ生まれたかという問いの答えだが、先生はまず東京と大阪の街の成り立ちから考察を進める。江戸は武士の町で一戸建てが住宅タイプのモデルとしてあった。また、町の郊外は自然林の生い茂る武蔵野林で、容易に一戸建てを建設することができた。一方、大阪は町人の町で長屋建てが中心であり、郊外は水田地帯だったため町の拡張も難しかった。

 東京では1923年の関東大震災を受けて、郊外に一戸建ての借家が一斉に建設された。その後、戦中・戦後の家賃統制令や借家への重課税等から一戸建て借家の持家化が進行し、さらに1960年代からの若年人口の急増期に、持家の周辺にアパートを建設することとなり、木賃アパートベルト地帯が形成された。

 これに対して大阪では、長屋の周辺に適当な土地はなく、新たな借家は郊外の田畑を潰して建設された。そこに韓国・朝鮮人等の資本家が進出し、伝貰(チョンセ)の経験をアレンジして、家賃10ヶ月分程度の一時金を徴収しつつ、家賃を低額に抑えて入居者にも支持を得て、大阪の保証金方式が一般化したのではないか。

 なるほど、大阪の地形や町人の町といった伝統、韓国・朝鮮人の流入、さらに家賃統制令の影響などを考えると十分納得できる結論である。また今春、大阪市立住まいのミュージアムに行った際に、大阪の町家には「裸貸し」の習慣があるという話を聞いた。これは家具だけではなく畳や建具まで借主が所有し、転居する際にはこれらの家財を抱えて移動するものだが、こうした伝統も保証金制度が受け入れられる下地となっていたかもしれない。

 当初テーマを聞いたときは特定のエリアの特別な話題かと思ったが、東京との比較で考えてみると意外に面白い。現在の賃貸住宅は、土地所有者の節税対策等の土地活用意欲とそれを喚起し商売につなげようとするハウスメーカーやディベロッパー、そしてフランチャイズ化して全国展開されるミニミニ等の賃貸仲介業者等により供給が進められている。こうした現在のシステムは大阪の借家制度にどう影響しているのか。どうして商業施設では権利金方式の方が全国的にもより一般的な賃貸借制度となっていったのか、など家賃制度に対する疑問と興味は尽きない。

 また、韓国の伝貰(チョンセ)だけでなく、イギリスでは週単位で家賃を支払うことが一般的であったりと、借家制度は各国の伝統や習慣に根差し、相当に異なっている現実がある。日本国内においてすら、というのが今回の最大の驚きだったが、こうした住習慣の上で住宅制度を考えていく必要がある。過去から学ぶことはまだまだ多いということを実感した。