コミュニティデザインの時代

 いま民間の都市計画系コンサルタントは行政からの発注が減って、経営的に厳しい状況に追い込まれていると聞く。いくつか倒産した会社もあるし、人員整理を行っている会社も多い。そうした状況の中で、山崎亮氏が実践するコミュニティデザインの仕事が注目を集めている。彼はどういうやり方で、どういう考えを持ってその仕事に携わっているのか。直接そのことを書いた本ではないが、講演会等で聞かれる質問等に答えるつもりで短い文章を書き溜めていったら、こうしたエッセイ集になった。全体は4章構成。「なぜいま、コミュニティが注目されるのか」「つながりのデザインって何?」「仕事を通じて知り合った人のエピソード」そして「コミュニティデザインの進め方」。これらを読むと、山崎氏が現代社会をどのように捉え、コミュニティデザインをどう捉えているのか。日頃、どういう考えや態度で仕事に関わっているのかがわかってくる。当初の私の関心にも応えてくれる。

 書かれていることは至極まともであり、同様なやり方で住民と接し、コミュニティデザインに携わっている都市計画系コンサルタントはたくさんある。一方で、山崎氏の生まれ持った性格やその後の鍛錬等によって、際立って優れたコミュニティデザイン能力を発揮していることもよく理解できる。

 1点、なるほどと思ったのは、ワークショップに入る前に十分なヒアリングを実施している点である。「コミュニティデザインの4段階」(P180)として、第1段階は「ヒアリング」、第2段階は「ワークショップ」、第3段階は「チームビルディング」、第4段階は「活動支援」を挙げている。

 このうちの第1段階「ヒアリング」を徹底して行い、地域のキーパーソンと友達になって、個人的にワークショップに誘える関係にまでなる。そうした人脈づくりが重要だというのは確かにそのとおりだと思うが、そこまでやっていられない地域がほとんどではないか。

 そのために山崎氏は寝る間もないほど忙しい毎日を送る。坊主頭に髭面なのも、単に床屋に行っている暇がないからだと言う。うーん、それって時給に換算するとどれだけの過酷労働になるんだ?

 そもそもコミュニティデザインという仕事が開拓期でまだ全国を合算しても十分な業務量があるわけではない。その中で、山崎氏が業務として認知させる役割を果たしている。でき得れば、各地域や行政でコミュニティデザインの必要性と専門性が認知され、これまでほとんど無給でこれらの仕事を行ってきた都市計画系コンサルタントに正当な業務としてのフィーと業務量が生まれる日が来ることを願う。一方で、行政職員がコミュニティデザイナーになればいいという方向もあるだろうな。でも本書中で山崎氏が指摘しているように、よっぽど熱い行政職員にしかできないというのも事実。いまはまだ、コミュニティデザインという仕事、そしてコミュニティデザイナーという職能が十分認知される以前の「暁の時期」だと言える。

●定住人口が減るから交流人口を増やして何とかしようとするのもいいが、むしろ「活動人口」を増やすという手もあるのではないか。・・・活動人口が増えれば人のつながりが増えることになり、孤立化していた市民がひとまとまりのコミュニティを形成することになる。まちの元気度合いを測る数値は定住人口と交流人口だけではなく、活動人口もあるのではないかと考えている。(P9)
●現代を生きる人たちにとって、つながりがなさすぎるのは生きにくいが、つながりがありすぎるのも生きにくいのである。どれくらいの強度であれば快適なつながりなのか。僕たちはいま、コミュニティデザインという手法を使って「いいあんばいのつながり」がどれくらいの強度なのかを探っているところだ。自由と安心のバランスを調整しながらコミュニティデザインに取り組んでいるといえよう。(P11)
●こうした空き地のマネジメントに地域のコミュニティがどう関わるのかを考えるのが僕たちの役割である。・・・室内を快適にすればするほど、まちの活動は室内化されるし、地縁型コミュニティの活動だけを期待していれば活動主体が減少していってしまうことになる。まちの屋外空間とテーマ型コミュニティとをどのように組み合わせるのかが、人口減少時代のまちにとって大切な視点となるだろう。(P22)
●ものをつくってもいいし、つくらなくてもいい。施主から相談された課題を解決するために、必要であれば空間を設計するし、そうでなければコミュニティを設計する。あるいはその両者を組み合わせることによって、与えられた課題をうまく解決することができる。「ものをつくらない」という方法を手に入れることによって、建築家の解決策は一気に幅が広がるのではないだろうか。(P73)