まちの幸福論

 コミュニティデザイナー・山崎亮が最近注目を集めている。いくつか著書がある中で、「まちの幸福論」というタイトルに惹かれて、まずは本書を手に取ってみた。  第1章・第2章で筆者がコミュニティデザイナーの道を歩むまでの経緯や経験を語り、第3章でNHK「東北発☆未来塾」での学生たちによるワークショップの様子が紹介される。

 参加者を束ねる力、深めるノウハウや知識が豊富なことはよくわかった。だが、何のためのワークショップだったのか、よくわからない。NHKの番組のためにワークショップを実施してみせた、のだろうか。

 第4章以降は、コミュニティデザインとは何か、地域は住民が主体的に取り組んでこそ変わるし、それしか本当の再生や活性化はない、といった地域づくりの基本を述べる。そのことは今さら言われなくても自明。だとすると、本書はやはりコミュニティデザインの意味や筆者の力量を紹介するのが目的なのだろうか。

 興味深い文言も多くあるけれど、当たり前という気がしないでもない。少なくともこれまで住民主体のまちづくりに多少とも関わってきた人間であれば。ある意味、想像どおりの内容で、正直、今更読む必要もなかったかなと思った。

 これからブレイクするだろう山崎亮という人間の人となりを知るという目的であればそれなりに有益ではあったが、それ以上でも、それ以下でもない。うんちくもどこかで聞いたことのあるようなことばかりだ。

●新しいデザインは、いまも次から次へと生み出されている。携帯電話。車。住宅。最先端のデザインを手に入れた人は確かにそのときは幸せになれるかもしれない。しかし・・・常に新しいデザインが登場するため、消費者はいつまで経っても満足することができないでいる。そんなサイクルを考えたとき、新しいモノをデザインする力は、人の幸せのために寄与しているとは言えなくなっているのではないかと思うようになっていた。(P28)
●「みんな感じたと思うけれど、自分の意見を肯定してもらえたら、話題やアイデアはどんどん出てくる。そして、自分も相手を肯定していると、負けずにもっとアイデアを出そうと考えるようになります。この”Yes,and”の話し方が、ブレーンストーミングを進めるときの前提になると思ってください」(P68)
●若者たちが何の努力もしていないわけではない。ソーシャルメディアをツールとするには、ツィッターやフェイスブックで友人を増やす努力は欠かせない。・・・僕たちから上の世代とは努力の仕向け方が違っているわけで、普段から人とのつながりを耕し続けることが、ソーシャルネイティブ世代にとっての努力であると言えよう。(P114)
●まちづくりに限らず、閉塞した状況を乗り越えて新たなステージへと向かうとき、チームにとってリーダーが欠かせない存在であることは昔もいまも変わらない。だが、先頭に立つリーダーは主役ではない。前に進むためのエンジンは後ろについている。課題を乗り越える原動力となるのは、主体となったメンバー全員がまとまる力であると言えよう。(P127)
●他所のまちに行ってしまった住民が戻ってきてくれるように、いつでも人を迎え入れられることが、故郷としてのまちのあるべき姿ではないだろうか。まちの幸せは主体としての住民がつくり上げるものであって、他所から来るお客さんをあてにしていてはいけない。(P171)