国・地方・政治家の役割 復興の進め方を考える

 土曜日に放送されたNHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 第1部 復興はなぜ進まないのか  ~被災地からの報告~」を少しずつ見ていっている。ようやくながら宮城県では復興への模索が始まったことが報告されていた。その中で、「国の復興方針が示されないので、決定することができない」という声が多く報じられていた。

 先々週の不信任決議とその後の首相辞任にまつわる報道の中で、被災地から「こんな政局をやっている場合か」という怒りの声が多く伝えられていた。私はそのことに強く違和感を感じた。なぜなら震災復興の作業の中で、政治家が果たすことのできる役割はほとんどないのではないかと思うからだ。

 震災復興の具体の業務は基本的に行政の仕事だ。中でも市町村が一義的にその役割を担い、内容に応じ県が役割分担をしつつ支援を行う。国は大きな方針を示し後方支援するというのが基本的な構図だと思う。そして国会議員は政府が示した後方支援のフレームに対して承認を与え、修正を加える。

 首相や政権与党は、国家官僚を指導してフレームづくりを行う。「3ヶ月仕事振りを見ていたが、その役割が十分果たされていないのではないか、これ以上はまかせておけない」というのが、野党や政権担当から外されている与党議員の意見であり、不信任決議案の趣旨である。その点では理屈が通っており、政権を担当していない国会議員にとってできることはこれしかないとさえ言える。もっとも国会など欠席して自らボランティア活動等に取り組むという選択肢もあるかもしれないが。

 今回の放送では、宮城県が主導的に復興計画を策定し、市町村へ提案している姿が報じられていた。その中で「国の方針が示されない」ということを多くの首長が語ったわけだが、この場合、国に期待してる方針とはなんだろう。具体的には「復旧する防波堤の高さが示されない」という言葉があった。そこにヒントがあると思う。

 国は復興構想会議などを開催し、復興ビジョンを策定しようとしているが、地区ごとの復興計画は先にも書いたとおり市町村が一義的に担うべきことだ。そうすると国の方針は二つ考えられる。市町村等で作られる復興計画を集め、国として財源等を鑑み、歯止めをかけ、かつ望ましい復興計画のモデルを示すこと。現在、国はこうした方向を目指しているように思われる。しかし、市町村がほとんど機能していない現状で、こうした取組はほとんど困難ではないのか。

 とすれば、国が示すべきはもっと大きな方針である。それは、震災前の状況まで復旧するのか、再度の震災に備えたもっと大規模な施設整備をめざすのか、のいずれかの方針を示すことである。ひょっとしたら、一部の地域は従前まで復旧しない、という方針もありうるが、いずれにせよ、どの方針を採るのかを示すことが今、いや震災後1ヶ月以内に示されるべき方針ではなかったか。

 現実的な方針として、「当面、従前の状況まで復旧する」こととして、そのための財源等を検討するのが国に課せられた責務である。その方針を早く示しておれば、県や市町村はそれを前提に、「従前に戻すのか」それとも「さらに災害に強い街づくりを目指すのか」を検討することが可能になり、今以上に復興計画づくりが進んだだろう。

 「さらに災害に強い街づくりを目指す」ための経費分担はすぐには決まらないかもしれないが、「従前に戻す」ための経費分担については早めに示すことは困難でないはず。その上で民間活用なども含めて地域の復興を考えるのは地方自治体として可能であり責務である。

 こうした、国・地方・政治家の役割分担が整理されていなかったこと、特に国において明確な方針が自覚されていなかったことが混乱の最大の原因ではないのか。もっとも国からは、政権を担う政治家の側の問題だという声が挙がるだろう。中途半端な地方分権、中途半端な政治主導の帰結が復興の現状につながっているということか。