大塚女子アパートメント物語 オールドミスの館にようこそ

 同潤会の大塚女子アパートメントは2003年に取り壊された。スクラッチタイルの柔らかな外観。中庭のやさしいデザイン。食堂や浴場、音楽室、日光室もある豊かな空間は、何度か写真で見たことがある。男子禁制のそのアパートでは、独身女性たちが快適な生活を営んでいた。本書は大塚女子アパートで生活していた数人の女性たちの人生を紹介しつつ、大塚女子アパートが建てられ壊されるまでの時代の女性史を描いている。

  建築当時はおしゃれなアパートとしてモダンガールたちの羨望を集めた。同潤会が定めた男子禁制という規則には、入居者たちにより抗議運動が展開されたという。しかし時代はまだモダンガールたちに冷たく、興味本位のゴシップ記事も多く書かれた。婦人公論などの女性誌を紹介し、建築当時の女性観などをひとしきり描いた後、第3章以降、大塚女子アパートに住んでいた著名女性たちの人生を紹介していく。

  「女人芸術」の編集者、素川絹子と熱田優子。一時、谷崎潤一郎の妻となった古川丁未子、ロシア人でバイオリニストの小野アンナ、推理小説家でシャンソン歌手の戸川昌子、そしてフェミニズム・リーダーである駒尺喜美

  素川絹子と熱田優子は、戦争に向かう時代にあって地下非合法活動に邁進していく女性たちを描く。古川丁未子で描かれるのは、戦前モダンガールたちの意外に古風な女性観だ。小野アンナの物語はロシア革命から逃れて日本に渡ってきた女性とその家族の数奇な運命を描いてみせる。ちなみに小野アンナの夫の姪はオノ・ヨーコである。

  戦後の焼け跡の中、偶然、玄関ホールに難を逃れ住みついた戸川昌子の人生も戦後の必死に生きていた人々を思い起こさせる。それ以上に興味深いのは、東京オリンピックの都市改造ブームの中で大塚女子アパートが4mも曳家されたという事実だ。このときに閃いたインスピレーションから戸川のデビュー作「大いなる幻影」は書かれたという。

  そして駒尺喜美については、その人生もさることながら、このときの生活体験が彼女をシングル女性の住まいに関心を向けさせ、いくつかのシニアハウスを実現させたという。だいぶ以前のことになるが、中伊豆のライフハウス友だち村を訪ねたことがある。このときに田嶋陽子駒尺喜美も住んでいると聞いた。本書を読んで駒尺喜美の名前を久しぶりに聞いた。シニアハウスや高優賃の原点は大塚女子アパートにあったことになる。今さらながら、大塚女子アパートの先進性を感じる。

 

●入居申し込みの倍率は20倍にもなったという。なぜなら、大塚女子アパートはホテル並みのサービスと施設が用意された、仕事をもった女性にとって憧れの住まいだったからである。(P27)

 

●独身の職業婦人について、同潤会は当時の花形だったタイピストなどをイメージしていたと考えられる。だが、マスコミなどでモダンガールの見本のようにもてはやされても、実際の生活はかなり厳しかった。・・・当時の職業婦人はそういう社会の荒波にもまれていたのだから、大塚女子アパートの住人は同潤会の役人が考えるより、したたかで粘り強かったのである。(P66)

 

●下町のような気さくな付き合いがある一方で、親しくない人とはとくに付き合いもせずにすんだ。・・・そんな生活が駒尺には心地良かった。現在のマンション住民のように、ほどよい距離を保った都会の生活がここにはあった。(P171)

 

●大塚女子アパートの住人は単身者であり、戦後は(都営住宅となり)低所得者しか入居できなかった。・・・1981年に入居者募集は停止され、管理者の東京都が再開発という名目でこのアパートを取り壊そうとしたとき、彼女たちには為す術がなかった。(P181)